都市対抗野球大会が開かれたことに感謝、JR北海道の挑戦
真夏の大人の祭典、都市対抗野球大会。今年は東京オリンピックの関係で同時期の東京ドームが使用できない予定だったため、11月22日から12日間の開催となった。
北海道地区からは、9月に行われた厳しい予選を勝ち抜いたJR北海道硬式野球クラブが本大会に出場。結果は初戦敗退となってしまったが北海道代表「札幌市・JR北海道硬式野球クラブ」として、どんな思いで「東京都・NTT東日本」と戦ったか、その一戦を振り返る。
都市対抗デビューを果たした若手バッテリー
大事な初戦、先発を任されたのは2年目右腕の伊藤宏太投手(北翔大)だった。札幌学生野球リーグでは北翔大のエースとしてプロ注目の投手だった伊藤だが、今までの最高成績は岩見沢東高時代の全道大会2回戦で、全国大会の出場は初めてだ。
大学時代に球速を大きく伸ばし、昨年までは速球派だったが「力任せに投げ、シュートして真ん中に入ってしまうことがよくあったので、それをなくすために制球力重視に変えました」と、今年は140キロ台前半のストレートを軸に変化球も駆使し、予選では3試合14回2/3を投げて四死球はわずか2だった。初めての東京ドームで対するのは、強豪NTT東日本。自分のピッチングが全国で通用するのか試すには、十分すぎる相手だ。
野手の先発メンバーは、予選と入れ替えて臨んだ。南則文監督は「本大会に向けて練習試合をやっていく中で、調子を判断してこの打順になりました」と話した。
スターティングメンバー
1(二)福田涼太 東海大北海道 2年 ※現・東海大札幌
2(遊)西山裕貴 東北福祉大 2年
3(三)嶋田源太郎 流通経済大 9年 ※主将
4(指)松浦昌平 筑波大 7年
5(右)浪岡千晶 駒澤大 1年 ※偵察
6(一)小林勇希 函館大 8年
7(左)前田禎史 上武大 1年
8(捕)井内駿 東海大札幌 1年
9(中)吉江将一 立正大 4年
(投)伊藤宏太 北翔大 2年
☆1回裏から5番 丹澤賢 国士舘大 8年
5番ライトには投手である浪岡の名があった。いわゆる「偵察」と言われるもので、多くの場合は、相手投手が右腕か左腕か予想がつかず、右打者、左打者どちらを先発メンバーに入れるか迷っているときに、一度出場予定のない選手の名前を入れてメンバー表を提出し、その後相手の先発投手を見てメンバー交代をする。だが、今回はそれだけではなく主に別の理由で偵察を入れたという。
都市対抗野球でたびたび見られるのが、外野守備で高く上がった打球を見失ってしまう場面だ。白い天井やライト、外の天気の状況などが要因で白球が見えなくなる選手がいる。それ以外でも、屋外の球場とドーム球場では様々な違いがある。JR北海道は今回、ドームでの事前練習ができなかった。そのため、偵察を入れておいて守備の状況を確認し、試合開始後に左打ちの丹澤賢外野手(8年目・国士舘大)がライトの守備についた。
先攻のJR北海道で、1回表にチーム初安打を打ったのは嶋田源太郎主将(9年目・流通経済大)だった。それから5回まで毎回安打で出塁するものの、相手の好守にも阻まれなかなか得点できず。伊藤は4回に連打を浴び先制を許したが、6回途中まで1失点と試合を作った。また、バッテリーを組む井内駿捕手(1年目・東海大札幌)は1回と3回に二盗を阻止、自慢の肩を見せる。道産子の若きバッテリーは、全国の舞台でその存在を知らしめた。
好投を続けていた伊藤を6回途中で替えたのは、事前にこの試合では早めの継投をしていくと決めていたからだ。南監督は「競った展開で伊藤もかなりの緊張感、集中力で投げていたのでキャッチャーとも話をして、点を取られる前に継投した方がいい、あとのピッチャーに託そう、ということであそこで判断しました」と、試合後に明かしていた。
6回、左打ちの上川畑大悟内野手(2年目・日大)を打ち取ったところでベテラン右腕、福山雄投手(12年目・法大-三菱ふそう川崎3年)がマウンドへ。右打者が続くタイミングで福山を投入するという戦略で、1人目の左打者だけ伊藤が投げての交代だった。
ところが、福山が連打されJR北海道はここでまた1点を失う。福山から左腕の和田洸輝投手(4年目・環太平洋大)に交代するも、悪い流れは続くもので思わぬバウンドの内野安打に守備の乱れ、犠飛、適時2塁打などでさらに3点を失い0-5となった。
反撃したいJR北海道は6回7回と無安打だったが、迎えた8回、先頭の井内が内野安打で出塁する。その後2死2塁とすると、相手投手のワイルドピッチで井内がホームを踏み、チームに初の得点をもたらした。ところがその裏、犠飛で得点を許し、点差はまた5点に広がる。最終回の攻撃は三者凡退に終わり、初戦突破の夢は消えた。
NTT東日本
堀(4回1/3、失点0自責0)熊谷(2回2/3、失点0自責0)▲飯島(2/3、失点1自責1)▲沼田(1/3、失点0自責0)大竹(1回、失点0自責0) - 保坂
JR北海道
伊藤(5回1/3、失点1自責1)福山(0/3、失点2自責2)▲和田(1/3、失点2自責0)立田(1/3、失点0自責0)▲夏井(1回1/3、失点1自責1)内沢(2/3、失点0自責0) - 井内
▲は左投
NTT東日本 (二塁打)下川、桝澤、越前、向山
JR北海道 (二塁打)井内
この悔しさをどう受け止めるか
今回、JR北海道は補強選手なしで本大会に臨んだ。北海道には、これから暖房費もバカにならないような寒い冬がやってくる。現在JR北海道はクラブチームで、もともと会社から出してもらえる経費には限りがあるが、今年は秋から冬にかけての都市対抗ということもあり、補強選手を抱えることはできないという判断に至った。それでも、主将の嶋田は一切泣き言を言わなかった。
「新人が多くて若いチームですので、そういった選手が力をつけていかないと強くならない。補強選手をとらなかったという会社側の判断は、僕たち選手側にとってはプラスだったんだと思います」
そして「今回、この都市対抗の本大会でNTT東日本さんとの試合を経験した若い選手、中堅選手が、この悔しさをどう受け止めて来年に向けて練習していくかで、私たちJR北海道硬式野球クラブが強くなるかどうか決まってくると思います。僕はキャプテンとしてその辺をしっかり促していきたいと思います」と、前を向いていた。
若い選手と言えば、先発した伊藤もそのひとりだ。初めて東京ドームのマウンドに上がった感想を聞くと「ここでプロ野球選手もやっているんだなと思うと、ちょっと感慨深いものがありました」と言って、少しはにかむとこう続けた。「結構硬いマウンドで、自分自身あまり硬いマウンドで投げるような経験をしたことがなかったので合わないかなと思ったんですけど、ちゃんと投げられたので良かったです」
今大会での収穫を聞かれたときには「自分の力をちゃんと発揮できればそれなりにちゃんと戦えるとわかったので良かったです。まっすぐがコースに決まると痛打はされていなかったと思います」と、自信を持って答えた。
すでに先の目標も定まっている。
「今年は去年と違って制球力重視でやってきて、球の質は良くなっていますがもともとあった球威が落ちてしまっていたので、来年は今の制球力で球威を上乗せしていきたいと思います」
来年はどんな伊藤が見られるのだろうか。
この大会があったから頑張れた
「初戦が大事」とはどのチームの監督も口にすることだが、今大会は昨年の4強が1回戦で姿を消すという波乱の展開となった。都市対抗常連チームにとっては、スタンドを埋める観客と大応援が当たり前の光景になっている。それが今年は、4万以上ある席に少ないときは1千人を切る観客がポツポツと座っているという状況だ。各企業、社員に動員をかけられないというのもあるだろうが、それ以外の社会人野球ファンにとっても今年は足を運びにくい状況だろう。チーム力や個々の能力はもちろんだが、応援が試合の戦況を変えることもある。普段大きな応援をもらっているチームほど、その差を大きく感じたのではないだろうか。
そういう意味では、今年はどのチームも思うような練習ができず大応援もない中で、今の時点での純粋なチーム力を見られる貴重な大会だったかもしれない。NTT東日本も、2回戦、3回戦と、堅い守備と補強選手も加えた打線の爆発で強さを見せつけたが、初戦のJR北海道は数字だけ見ると5点差はあるものの、内容的には苦戦したと思える。
北海道はここ数年、災害に見舞われることが多く、JR北海道の選手たちはそのたびに様々な対応に追われ、練習が満足にできない状況となった。今回の新型コロナウイルスも、札幌近郊は早い時期から感染が確認されたことで練習に影響した。ここ最近また札幌の感染状況がニュースで取り上げられており、気の休まらない日々だろう。勝負の世界なので負ければ同じなのかもしれないが、JR北海道はそんな状況下で補強選手を加えずに惜しい戦いをしたということを記憶にとどめておきたい。
そんな今回の大会について、南監督はこう語った。
「北海道はわりと早めにコロナの感染拡大が始まり、4月5月と練習できない状態になりましたので、冬から練習してきたものがゼロに戻って作り直しになりました。その辺が一番苦労したかなと思います。本当にこの大会がなかったら頑張れなかった。この大会を開催していただけたことが選手たちの頑張りになりましたし、今日負けて悔しいのはあるんですけど、予選突破して本大会に来られたというのは、もうこの上ない幸せですね。負けましたけどいい経験ができたと思っています。本当にみなさんに感謝しています」
感謝という言葉を使いたいのはこちらも同じだ。大会関係者、そしてJR北海道関係者にだ。毎年、都市対抗、日本選手権と2つの全国大会が開催されるが、今年はどちらも行われるか不透明な状況だった。十分な練習もできず、できたとしても何を目指せばいいかわからない状況だっただろう。そんな中、都市対抗の開催が決定。北海道から東京ドームに駆けつけたい気持ちを抑えて、海の向こうから応援した同僚、ファンもJR北海道のナインが東京ドームで戦う姿を見て、元気づけられたに違いない。
JABA北海道地区連盟がHPに掲載したJR北海道への言葉に、共通の思いを抱いた。最後は、その言葉を引用して終わりたい。
“コロナ禍の影響で春先から練習もできない、日本選手権等大会の中止
この状況下で最後の全国大会への出場権を獲得、出場が決まってから2カ月後の東京ドーム
我慢と緊張感を持って日々過ごされた選手、チーム関係者全ての皆様に心から敬意を表します”