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クライミングディレクター・宮澤克明氏が目指すもの~すべては僕の大好きなクライミングのために

 垂直にそり立つ壁を、カラフルなホールドにつかまりながら道具を使わず、自身の身体一つで登るスポーツクライミング。2021年夏の東京五輪で初めて正式種目として採用され、女子複合で野中生萌が銀メダル、野口啓代が銅メダルを獲得し、男子複合でも楢崎智亜が4位に入賞。日本人選手の活躍で国内における注目度は高まっている。ワールドカップでは緒方良行が2021、2022年と2年連続の年間総合優勝を果たした。彼ら日本人選手の活躍を支えてきたのが、クライミングディレクター・宮澤克明氏だ。


 スポーツクライミングには、以下の3つの種目がある。

・スピード……同じ条件で設置された壁を登り速さを競う。
・ボルダリング……高さ4~5mの壁を制限時間内にいくつ登れるかを競う。
・リード……制限時間内に高さ15m以上の壁のどの地点まで登れるかを競う。

「スピード」「ボルダリング」「リード」の3種目を一人で行い合計点を競うのが、東京五輪で行われた「複合」だ。
 野中、楢崎らトップ選手を指導する宮澤氏は、国内最大級のクライミングジム系列店『PUMP』を運営する有限会社フロンティアスピリッツの事業部長を務めている。宮澤氏が設立し、コース作りを手掛けた『B-PUMP荻窪』(東京都杉並区)には、世界中から著名クライマーや代表チームが集う。
「東京五輪の際には、いくつもの国の代表がここでトレーニングを行いましたし、2019年に八王子で世界選手権があったときは、海外から多くの選手が来ていました。そんな施設は世界中探しても他にないですよ」
 そう言って宮澤氏は胸を張る。

宮澤氏のチームが手掛けた『B-PUMP荻窪』のコースのクオリティーは、世界中のクライマーから高い評価を得ている

中学時代は水泳で全国大会に出場

 宮城県で生まれ育った宮澤氏は子供のころからスポーツ万能、特に水泳競技において高い運動能力を発揮した。物心つく前から水泳に打ち込み、中学時代は高飛び込みで全国大会も経験。高校でも水泳部に入部し将来を嘱望されていたが、自身の中で水泳競技への情熱が薄れていくのに気づいた。
「上には上がいるな、という感覚もありましたし、大学でも水泳を続けようとか、そういう気持ちが自分には全然起きなくて。水泳でゴハンを食べていく自分とか、水泳で成功する自分というのが、イメージできなかった。高校では途中で退部して、それからは遊びほうけていました(笑)」
 高校卒業後は東京の美容専門学校へ進んだ。美容師を目指した理由を聞くと「かっこよくて、モテそうだと思ったから(笑)。何よりも、女の子にモテることが最優先事項ですから」と笑顔で答える。美容専門学校に2年通ったのち、表参道の美容室で働くようになった。美容師として忙しくも充実した毎日を過ごす中、スポーツクライミングに出合い、ここで宮澤氏の人生は大きく方向転換した。
「父が山登りや山岳レスキューなんかをやる人だったので、自分も小さいころから山登りに連れていかれたことがあったんです。仕事の気晴らしに、何かアクティビティーをしたいなと思っていたときに、住んでいた家の近くにクライミングができるジムを見つけて。行ってみたらハマりました。『これを仕事にしたい』と思ったんです」
 スポーツクライミングの魅力にとりつかれた宮澤氏は美容師の仕事を辞め、クライミングジムのスタッフとして働くことになる。当時から宮澤氏と活動をともにする米倉祐司氏はこう語る。
「僕はそのジムでアルバイトをしていて、そこに宮澤さんが登りに来ていたんです。宮澤さんはどんどん登れるようになって、すごい人だなぁと思っていたら、いつの間にか一緒に働くようになっていました(笑)」
 現在は公益社団法人日本山岳・スポーツクライミング協会(JMSCA)の「普及強化委員長」の肩書を持ち、代表選手を指導する立場にある宮澤氏だが、競技者として大会などに出場したことは意外にもほとんどないという。クライミングジムで働くようになってからは「より難しい、面白いコースを作りたい」と、コース作りに情熱を注ぎ込むようになった。『B-PUMP荻窪』は、宮澤氏が作り上げたコースのクオリティーが高く評価され、日本における『クライミングの聖地』とも呼ばれる場所になっている。コース作り、ジムの経営に加えて、競技会の運営も手掛けてきた。
「クライミングの中で、ワクワクすることを、どれだけ提供していけるか、クライミングをいかにして普及していくか、そこに今は一番喜びを感じますね」

「これを仕事にしたい」と美容師の仕事を捨て、スポーツクライミングの世界にのめり込んでいった

『THE NUMBER』のプロジェクトに情熱を注いで

 今年の3月にはユース世代のクライマーを対象にしたトレーニングキャンプ『THE 18』を開催した。宮澤氏自身がヘッドコーチを務め、日本代表コーチから現役の世界王者まで、豪華コーチ陣がユース(18歳以下)選手たちの指導にあたった。宮澤氏はその目的をこう語る。
「クライミングは趣味から入る方が多くて、コーチの指導を受けたことない人がほとんどなんです。彼らにコーチが必要なのか必要ないのか、本当のところは今は分からない。ただ、コーチの指導を受けるチャンスがないというのはよくないと思うので。若い選手たちにコーチの指導を受けるきっかけを作りたかったんです」
 今年8月には3人一組のチームで競い合う『THE 3』を開催した。個人スポーツであるスポーツクライミングにチーム戦を取り入れたのには、障害を持つ人たちにも競技を楽しんでもらいたいという思いがあったからだ。
「たくさんの人たちを巻き込んできたつもりだったんですけど、東京五輪が終わってパラリンピックを見ていたときに、『あれ? 自分が思うカルチャーの中から抜けていた人がいるな』と気づいたんです。それが障害を持つ人たちです。3人一組のチーム戦だったら、例えば耳の不自由な人がいても、チームで助け合いながら競技ができる。目の不自由な人がいても、チーム戦ならばクライミングを一緒の空間でできる。障害を持つ方と健常者が一緒にやれる競技会、それをやりたいと思って」
 クライマーたちを楽しませるため、スポーツクライミングをさらに普及させるため、浮かんでくるアイディアを次々形にし、イベント、競技会を手掛けてきた。『THE 3』『THE 18』などのように、企画に数字を落とし込み、『THE NUMBER』とブランディングしている。今、力を入れているこの『THE NUMBER』について、宮澤氏はこう説明する。
「以前はこっちの大会にはこっちの冠があって、あっちのイベントにはあっちの冠があって、みたいな感じだったんですけど、そうではなく『THE NUMBER』という大きなプロジェクトの中で、やりたい企画をどんどん実現させていきたいんです」

「来てくれる人に楽しんでもらうこと、クライミングの普及、そこに今は喜びを感じる」と宮澤氏は語る

100やっても100自分に返ってくるとは思っていない

「すべては僕の大好きなクライミングのために、このカルチャーのために」
 宮澤氏はよくこの言葉を口にする。20代前半、スポーツクライミングと出合って以来、このスポーツ、このカルチャーに情熱のすべてを注ぎこんできた。
 手掛けた企画がすべて大きな利益を生んでいるわけではない。それでも宮澤氏は次々と新しいことへのチャレンジを続ける。
「100やっても100自分に返ってくるとは思っていないんです。100やったうち、自分に返ってくるのは10かも知れない。でも、全部自分や自分の会社に返ってくることばかりやっていたら、このスポーツは発展しない。100のうち90はこのスポーツのためになることをやらなければいけない。もっとグローバルに、ワールドワイドにつながって仕事をやっていきたいと思います。僕の大好きなクライミング、こんなにかっこいいスポーツなのに、やらないの? それでいい、それがかっこいいんじゃないですかね」
 かっこよくて楽しくて。自分がこんなに好きになったスポーツを、もっともっとメジャーにしたい。宮澤氏の軸はブレない。

米倉祐司氏(右)とはクライミングを始めて以来、活動をともにしてきた

北海道札幌市出身。スポーツライター。日刊スポーツ出版社などを経て2018年よりフリーランスに。

プロフィール

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