近年、大ブームとなっている韓国プロ野球(KBO)
広尾晃のBaseball Diversity
韓国プロ野球(KBO)は、2024年、観客動員が初めて1000万人を超えた。観客動員で言えば、7000万人を動員するMLB、2600万人のNPBについで、世界のプロ野球トップリーグでは3番目の規模ということになる。(メイン写真はKtウィズの本拠地、水原市の水原ktウィズパーク)
韓国野球の歴史
朝鮮半島に野球がもたらされたのは1903~05年と言われる。アメリカから布教活動のためにやってきていた宣教師のジレットが皇城YMCA野球団を作り、ここから野球が普及していったと言う。
韓国は1910年に日本の植民地となった。以後、日本式の学校が韓国に設けられたが、その学校にも野球部が設けられた。
戦前の春夏の甲子園には、1921年の釜山商業を皮切りに毎年「朝鮮代表」が海を渡って出場した。延べ20校が出場したがベスト8に4回進出している。ただし多くのチームは、韓国在住の日本人が主力で、韓国人だけのチームは1923年の徽文高普だけだったという。
戦後復興の中で
戦後、日本の統治が終わった韓国(大韓民国)は、戦後復興の過程で野球が復活する。
多くの実業団チームに野球部が作られ、日本の社会人野球のような大会が開かれ、人気を博していた。
また、この時期の韓国にはアメリカ軍が駐留していたが、駐留米軍チームは、韓国の社会人チームと対戦、ボールや用具を支給するなど韓国の野球振興に寄与した。
戦前、日本の支配を受けて日本的な「スモールボール」のスタイルが定着していた韓国の野球が、投げる、打つ中心のパワフルなスタイルに変わったのは、駐留米軍の影響が大きかったとされる。
日韓の高校野球の違い
戦後、日本ではいち早く中等学校野球大会が再開され、学制改革とともに「高校野球」へと発展していったが、朝鮮戦争のあと、韓国でも高校野球が始まった。
日本の高校野球は朝日新聞社が主催する「選手権大会」と、毎日新聞、朝日新聞が共催する「選抜大会」の2つだが、韓国では6つの大きな全国大会がある。
また、日本では高校野球は2024年時点で、全国3798校の野球部で行われているが、韓国の高校で野球部があるのは81校だけだ。これらの学校へ進学する選手は、基本的に「プロ野球選手になる」ことを目標にしていて、カリキュラムも野球主体になっている。
韓国プロ野球のはじまり
韓国では長く社会人野球が「トップリーグ」として人気を博してきたが、1982年に韓国プロ野球(KBO)が発足した。
設立にあたっては、日本プロ野球記録の3085安打を打った大選手、張本勲氏が大きな役割を果たした。韓国人の両親の元、広島で生まれた張本氏は、浪商高校から東映フライヤーズに入団、首位打者を7回獲得、巨人、ロッテでも活躍。引退後、母国韓国でプロ野球設立の機運が高まると、韓国プロ野球コミッショナー特別補佐官に就任、NPBのコミッショナー事務局や、当時の韓国全斗煥大統領にも協力を要請するなど、韓国プロ野球の設立に尽力した。
また、NPBでプレーしていた在日韓国人の選手をKBOへと数多く勧誘した。
在日韓国人選手は、設立間もないKBOで主力選手として活躍したが、そのほとんどが韓国語に堪能ではなかったうえに、日本文化で育ったために、生活のギャップもあって「俺たちは何人なのだろう」という「アイデンティティーへの疑問、悩み」を抱くようになった。
こうした在日選手の苦悩は1988年に刊行された関川夏央氏の名著「海峡を越えたホームラン」に具に紹介されている。
KBOリーグは、1985年、6球団、前後期各40試合の計80試合でスタートした。
1年目は、前年までNPBでプレーしていた白仁天がMBC青龍に選手兼任監督として入団。38歳の高齢ながら打率.412で首位打者を獲得した。
80年代中盤からKBOは、全国的な人気を博するようになり、1995年には観客動員は年間540万人に達した。
低迷と復興と
しかし、それ以降、KBOリーグは低迷する。
一つは、韓国人選手がMLBやNPBで活躍したことが大きかった。
朴賛浩は、韓国の漢陽大学で屈指の好投手として知られたが、大学を中退、KBOを経ることなくMLBのドジャースとマイナー契約をし、95年にはメジャーに昇格。97年から5年連続二けた勝利を挙げるなど、エースとして活躍した。
日本でもほぼ同時期に野茂英雄がドジャースと契約をしたが、朴と野茂はドジャースの先発の柱として活躍した。
また、KBOのヘテタイガースのエース、クローザーとして大活躍していた宣銅烈は、1995年、NPBの中日ドラゴンズと契約した。宣は97年には38セーブで最多セーブを獲得するなど中日でも活躍した。
KBOよりも経済規模が大きく、レベルも高いMLBやNPBに「人材流出」したことが、KBO人気に水を差した。
さらに1997年に起こった「アジア通貨危機」で、韓国経済は金融危機に見舞われIMF(国際通貨基金)の管理下に入った。KBO各球団の親会社も経営難に陥るなど低迷し、2000年の観客動員は200万人台にまで落ち込んだ。
再び右肩上がりへ
しかし2005年頃からKBO人気は復活。球団数も2011年までの8球団から12年は9球団、2016年には10球団体制になっている。
KBOは1999年と2000年と2リーグ制で行われた時期もあったが、それ以外の時期は1リーグ制だ。
試合数は各チーム16試合総当たりの144試合制となっている。
ポストシーズンには上位5チームまでが進出し、トーナメント制のプレーオフを経て韓国シリーズを戦い、優勝チームを決めている。
KBOの10球団のうち、ソウル特別市にある斗山ベアーズとLGツインズは同じ蚕室野球場を本拠地としているが、それ以外の8球団は各地の球場を本拠地にしている。
同じくソウル特別市にあるキウム・ヒーローズは、韓国唯一のドーム球場である高尺スカイドームを本拠地にしている。この球場は2024年3月、ロサンゼルス・ドジャースとサンディエゴ・パドレスによるMLB開幕戦が開かれたことでも知られている。
KBO観戦の魅力
KBOの本拠地球場は、ほぼすべてが内野にも芝を張ったアメリカスタイルの球場で、高尺スカイドームを除いてすべて天然芝。以前には人工芝だった球場も、天然芝に張り替えている。ナイターの時には、芝生が証明に生えて非常に美しい。収容人数は2万5000人前後で、3万人以上を収容するNPB球団の本拠地球場に比べるとやや小ぶりだ。
NPB球団でも派手な応援が一つの呼び物になっているが、韓国も各球団の大応援団が人気になっている。
NPBでは「観戦応援約款」というルールがNPB、球団と応援団の間で取り交わされ、応援は「味方の攻撃時だけ」であり鳴り物を使ったり、立ち上がっての応援は「指定されたゾーンで、許可を受けた応援団員だけ」に認められているが、KBOではそうしたルールはなく、ホームチームの応援団は、試合開始から終了まで大音量で応援をする。ロードチームの応援は限定的だ。
韓国政府も近年のKBO人気は「応援団」によるものが大きいという見解を出している。
NPBからはMLBに挑戦する選手が相次いでいるが、KBOからもこれまで26人の選手がMLBに挑戦。2024年は内野手の金河成がパドレスで、外野手の裴智桓がパイレーツでプレーしている。
WBCやプレミア12などの国際大会では、韓国は日本の最大のライバルだったが、近年は振るわない。また、大谷翔平のようなスーパースターも出ていないが、KBO人気の高まりとともに、優秀な人材が集まって、国際大会でも盛り返してくるだろう。