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「最速164キロ右腕」のイメージと戦った西武ドラ4・堀越啓太 紆余曲折の大学4年間を経た先に広がる可能性

「どうしても自分は『コントロールが悪い速いピッチャー』という印象を持たれていると思います。ですが、自分の中では大学4年間で変われたと感じています」。今秋ドラフトで埼玉西武ライオンズから4位指名を受けた東北福祉大・堀越啓太(4年=花咲徳栄)はそう胸を張る。

大学1年時の冬、トレーニング施設で非公式ながら160キロ台を連発し、SNS上などで大きな話題を集めた。2年時に同施設で計測した球速をもとに「最速164キロ右腕」と形容される機会も増え、公式戦でも最速157キロをマーク。常時150キロを超える剛速球で観客を魅了した一方、球速ばかり目立つがゆえに「速いだけ」という印象もつきまとった。それでも、本人の言う通り「変化」を追求したからこそ、夢の舞台に立つ権利を得た。

先発の機会が増え芽生えた「球速は二の次」という考え

「公式戦で160キロを出すのを目標に練習してきましたが、途中からはどうしたらチームの勝利に貢献できるかを重視するようになり、『球速は二の次』という考えに変わりました。そこは成長した部分だと思います」

速球に頼っていた下級生の頃は制球が乱れたり、甘く入った球を痛打されたりする場面も少なくなかった。堀越は当時を「常に『自分単位』で考えていて、自分の成績や数字ばかりを気にしてしまっていました」と振り返る。

大学1年時から注目を集めた堀越

ただ、チームの勝敗に直結しやすい先発投手として投げる機会が増えるにつれ、考えが変化。日々、勝利に貢献する方法を考えるうちに、自然と制球力や配球、変化球の精度など球速以外の面にもフォーカスを当てるようになった。

3年時からは与四球数が目に見えて減り、磨き続けてきたスライダーや大学日本代表選考合宿で中村優斗(当時・愛知工業大、現・東京ヤクルトスワローズ)に握りを教わったフォークなどの変化球も精度が増した。「対打者」を意識し、三振を奪いにいく投球と打たせて取る投球を使い分ける術も身につけた。

3年秋のリーグ戦では手がつけられないまさに「無双状態」を体現し、調子を落とした4年春も全日本大学野球選手権の東日本国際大戦に先発し6回10奪三振無失点と好投。「速いだけ」の投手でないことはマウンドで示した。

「ずっと憧れてきたチーム」地元球団からの指名に感謝

一時はドラフト1位候補にも名前が挙がったものの、結果は4位指名。肩のコンディション不良が影響して4年秋の登板がゼロに終わったことが、評価を下げる要因の一つになった。

「怪我をしていたので、4位あたりかもう少し低い順位が妥当ではないかと思っていました」と堀越。「診断結果や画像をすべてオープンにした上での指名だったので、本当にありがたい指名です」と感謝を口にする。

全日本大学野球選手権がドラフト前最後の公式戦登板となった

そして何より、4年前の屈辱を晴らしたという意味では、順位は関係なかった。高校3年時はプロ志望届を提出するも指名漏れ。ドラフト当日、バッテリーを組んでいた同期の味谷大誠(現・中日ドラゴンズ)が指名され歓喜に沸くのを横目に、悔しさを募らせた。今年のドラフトでも先に同期の櫻井頼之介(4年=聖カタリナ学園)が中日から2位指名を受け、4年前の出来事が頭をよぎったという。それだけに、名前を読み上げられた瞬間は純粋な喜びが湧き上がってきた。

ましてや、埼玉県飯能市出身の堀越にとって西武は地元球団。「ずっと憧れてきたチームでありユニホーム、球場なので、すごく嬉しいです。小さい頃に試合後のフィールドに降りたこともありますし、(本拠地で)投げるイメージはできています」。プロ野球選手を志すきっかけを与えてくれた球団に恩返しするチャンスを自らの手でつかみ取った。

ドラフト後に復帰、「セーブしながら」魅せた質の高さ

ドラフトの2日後には明治神宮野球大会出場を懸けた東北地区大学野球代表決定戦で復帰登板を果たした。

東日本国際大との1回戦は3点リードの9回に登板。先頭打者に安打を許すも後続は抑え、無失点で試合を締めた。この日の最速は148キロにとどまったが、本人は「セーブしながら8割くらいで投げています。今は数字に囚われることなく、質を高めてきたストレートで勝負しています」と数字を気にしていなかった。

雨天中止を挟んで翌々日に行われた八戸学院大との決勝は、5点ビハインドの8回に登板し無失点。1回戦では出なかった150キロを1球計測したが、この日もやはり質で勝負した。チームは敗れたため、これが大学でのラスト登板に。堀越はマウンド上で、「制限のかかるイレギュラーな場面で『自分らしさ』を出せない中、増やしてきた引き出しの一つを引き出して投げることができました」と4年間の成長を確認した。

大学ラスト登板はドラフト後に訪れた

「レベルの高い選手たちと切磋琢磨しながら成長できた。(東北福祉大に)来て良かったです」と堀越。チームメイトに向けては「(今秋の)リーグ戦には間に合いませんでしたが、みんながつないでくれて最後にアイボリー(のユニホーム)を着て投げることができた。みんなに感謝したいです」とも口にした。プロ野球の舞台で活躍することは、大学で出会った仲間への恩返しにもなるはずだ。

「一番は、長く活躍できるピッチャーになりたいです」。堀越に「将来、どんなピッチャーになりたいか」尋ねると、シンプルな答えが返ってきた。プロ入りは野球人生の通過点に過ぎず、自身の投球スタイルはまだまだ模索中。大学までに「正解」にたどり着いたわけではない。160キロ台を連発するクローザーか、はたまた総合力で勝負する先発投手か、それとも――。可能性は無限に広がる。

(取材・文・写真 川浪康太郎)

読売新聞記者を経て2022年春からフリーに転身。東北のアマチュア野球を中心に取材している。福岡出身仙台在住。

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