仙台で「スケートへの愛」表現するラストシーズン 五輪代表内定の佐藤駿&千葉百音と過ごした日々の先に
いずれも仙台市出身の佐藤駿(エームサービス・明大)と千葉百音(木下グループ)が、ミラノ・コルティナ五輪のフィギュアスケート日本代表に選出された。羽生結弦、荒川静香らを輩出した日本フィギュアスケート発祥の地・仙台から、新たな国民的スターが誕生しようとしている。
かつて佐藤、千葉とともにアイスリンク仙台で練習していた鈴木なつ(関西大)は、関東、関西と拠点を移したのち、大学4年生になった今年の9月から仙台に戻ってきた。今季限りでの引退を決めている鈴木は「仙台でスケートを始めて本当によかった」と断言する。
鈴木なつが地元の大会・仙台市長杯で演技「嬉しいし、光栄」
代表発表の2週間前、アイスリンク仙台で開催された「仙台市長杯フィギュアスケート競技会」のエキシビションに鈴木が登場した。今季のSPでも使用している『A Thousand Years』を披露。長い手足を生かした華麗なスケーティングで魅了し、大会に花を添えた。

「卒業感があるし、ラストシーズンにぴったりな良い曲だと思って選びました。自分が好きでやってきたことはスケートしかないので、最後にスケートへの愛を氷の上で表現できたらという思いで滑っています」。地元で舞い、万雷の拍手を受けた鈴木は「こういう機会をいただけるとは考えてもいなかったので感慨深い。すごく嬉しいし、光栄です」と目を輝かせた。
仙台で競技開始、浪岡秀コーチに教わったジャンプが武器に
スケートと出会ったのは幼稚園生の頃。バンクーバー五輪をテレビで観戦し、女子日本代表の浅田真央、安藤美姫、鈴木明子が氷上で舞う姿に釘付けになった。「大勢のお客さんの前で、たった一人でリンクに立って滑るスケーターはかっこいい。私もやってみたい」。衝動的に競技意欲が湧いてきたが、茨城に住んでいた当時は近くにリンクがなかったため、小学校に上がるタイミングで仙台に引っ越したのを機に競技を始めた。
所属した「仙台SFC」では浪岡秀コーチに師事。「自分自身、ジャンプが好きで、ジャンプしかやりたくないくらいの気持ちでずっと跳んでいました」と振り返るように、浪岡コーチからはジャンプの基礎を徹底的に教わった。

「仙台でスケートを始めて本当によかった」と心の底から思える所以は、その練習環境にある。鈴木は「オンオフがはっきりしていて練習量がすごく多いので、ただ楽しいだけではなく、自分を磨くことのできる環境だったというのは今になって感じます。(一般客の増える)土日も人が多い中で何回も跳んでいて、それが普通だった。幼少期からそういう恵まれた環境でやれていました」と回顧する。
この仙台の地でともに切磋琢磨したのが佐藤と千葉。佐藤は同い年で、千葉は2歳年下だ。「駿くんは普段は普通の小学生だけど、ノービスの時からスターでした。とにかくジャンプが上手だったので刺激をもらっていました。百音もすごく練習をする子なので、一緒に練習できてよかったです」。世界へ羽ばたいた二人に対し、「小さい時から知っているので不思議な感覚ですが、頑張ってほしい」と期待を込める。
また、中学は羽生と同じ仙台市立七北田中に通った。同じ氷に乗って練習したこともあるといい、鈴木は「世界のトップの人が身近にいて、自分も頑張れば世界で戦えるかもしれないという可能性を示してくれている。みんなの士気を高めてくれる存在だと思います」と声を弾ませる。
レベルアップ図り拠点変更、2度の全日本選手権出場を果たす
鈴木は「ジャンプが決まっても点数が伸びない」と悩んでいた高校1年時、以前から指導を受けたり、振り付けを依頼したりしていたコーチがいる山梨に拠点を移した。山梨とその後「高いレベルに挑戦したい」と進学した関西大では表現力やスケーティングを磨き、オールマイティな選手へと成長を遂げた。
2020年と23年は全日本フィギュアスケート選手権への出場を果たした。20年は14位、23年は20位に入り、「良い思い出として残っているし、自分を知ってくださる方も増えたと思います」。拠点変更し貪欲にレベルアップを図ったからこそたどり着いた大舞台だった。

4年生になりキャンパスで受講する授業がなくなった今年9月からは、再び仙台へ。鈴木は「浪岡先生を嫌いになって仙台を離れたわけではない。これだけ聞くと身勝手な話かもしれませんが、最後は浪岡先生のもとで終えられたら嬉しいという思いがずっとありました」とその理由を明かす。
目指していた「最後に浪岡先生と一緒に全日本」こそ叶わなかったものの、恩師とともにスケート人生のカウントダウンを刻んでいる。
今季限りで引退、年明けのインカレでは「全部を出し切る」
大学卒業後はメディア関係の会社に就職する予定。「競技をしている時は、競技の魅力がたくさんの人に伝わればいいなという思いで滑っていました。自分はスポーツが好きなので、これからもスポーツやスケートの魅力を発信したいです」。すでに頭の中に新しい未来を思い描いている。

年明けには関西大を背負って戦う最後の大会である日本学生氷上競技選手権大会(インカレ)に出場する。「自分の中のマックスの構成で挑んで、できるようになったことの全部を出し切る」のが目標だ。
リンクを離れるその日まで、仙台が生んだフィギュアスケーターとしての矜持を、氷上で示す。
(取材・文 川浪康太郎/写真 2枚目以外は本人提供)
