「飛ばしてナンボ」 東北工業大の強打者・佐久間永翔がたどり着いた“理想の打撃”

今年の仙台六大学野球リーグは東北福祉大・堀越啓太(新4年=花咲徳栄)、仙台大・渡邉一生(新4年=日本航空/BBCスカイホークス)ら全国屈指の好投手への注目度が高い。そんな中、「そういうハイレベルなピッチャーから打って全国に行きたい」と闘志を燃やす右の強打者が東北工業大にいる。3年時までにリーグ戦通算43安打、5本塁打をマークしている外野手・佐久間永翔(新4年=白石工)だ。
「硬式球は飛ぶ」を信じ貫いた力強いスイング
佐久間は宮城県白石市出身。小学2年生の頃に野球を始め、小中は軟式野球をプレーした。
中学時代に体が大きくなり、力強いスイングも習得したものの、中身が空洞になっている軟式球を飛ばすのには苦労した。中学までは試合で本塁打を打ったことがなかったという。それでも、当時の監督の「そのままのバッティングを続けていれば、硬式球は飛ぶから大丈夫だよ」との言葉を信じ、ロングティーなどに取り組んで長打力を磨いた。

白石工高に進み、金属バットで硬式球を打つようになってからは、その長打力が開花。2年秋からはチーム事情で本職ではない捕手を務めつつ、4番に座って通算10本を超える本塁打を記録した。
大学1年秋に優秀新人賞獲得、一方で課題も
元々は就職を考えていたが、高校の監督の勧めで東北工業大へ。大学入学前から木製バットを使った打撃練習に励んでいたこともあり、大学野球にはすぐに順応した。
ルーキーイヤーは春にリーグ戦デビューを果たすと、秋は全試合に4番でスタメン出場。秋は東北学院大2回戦で右翼方向、東北大1回戦で左翼方向への本塁打を飛ばして非凡な打撃を披露し、優秀新人賞に輝いた。佐久間は当時を「先輩が多かったので、何も考えず、一番がむしゃらにやっていた時期でした」と振り返る。

一方、課題も残った。1年秋は仙台大、東北福祉大の「2強」との試合で計12打数無安打7三振と沈黙。「何回も三振してしまって、ここで打たないと意味がないと思った。強いチームと対戦した時に打たないと上には行けない」。タイトル獲得の喜びよりも悔しさが勝った。
そこで採り入れたのが速球対策。仙台大、東北福祉大は速球派の投手が多く、打席で振り遅れを実感していた。普段の打撃練習の際に2、3歩前に出てマシンの球を打つなど工夫を凝らし、苦手の克服に努めた。
「警戒」された2年時も仙台大戦含む3本塁打
2年春のリーグ開幕戦、早速対策の効果が現れる。四回から登板し好投していた仙台大の右腕・元木悠馬(当時3年=山形工)から逆方向への本塁打を放ったのだ。
「警戒されるだろうなというのは分かっていた」という2年時。調子を崩す時期がありながらもスタメン出場を続け、「定位置」だった4番以外にも1番や3番、5番などあらゆる打順で起用された。打った時も打てなかった時も目黒裕二監督が試合後の取材で「佐久間」の名を頻繁に挙げたのは、期待の表れだろう。

この年は春の開幕戦の一発を含む3本塁打をマーク。中でも印象的だったのが、秋の最終戦となった東北大3回戦での本塁打だ。0対1で迎えた九回、東北大のエース・佐藤昴(当時2年=仙台一)から逆転の2点本塁打を左翼席へ。勝ち点3での3位を決定づける一打を放ち、雄叫びを上げながらダイヤモンドを一周した。
「調子を落としてもずっと使ってもらっていたので、使ってくれた首脳陣のためにも打とうという気持ちで、ホームランだけを狙ってフルスイングしました」。理想の打撃を体現した瞬間だった。
「ホームランで点数を取る」打撃が勝利につながる
佐久間にとっての理想の打撃は、「ホームランで点数を取る」打撃。高校時代と大学2年時まではその理想を文字通りがむしゃらに追い求めた。
しかし、3年生になった昨年は初めてリーグ戦での本塁打が0に終わった。佐久間は「チームバッティングを意識し始めてから大振りするよりコンタクトできるようにした方が良いと考えるようになって、小さくなってしまった」と自己分析する。現に秋は自己最高打率の2割8分1厘をマークしたが、後輩が増えてチームの勝利を重視するあまり、理想の打撃からは遠ざかってしまった。

「自分は飛ばしてナンボ。チームのことを考えすぎてバッティングが小さくなるより、思い切り振って大きいのを打って自分が得点源になる方が勝利につながりやすい」。そう思い直した今春は、5本塁打と本塁打王獲得を目標に再び長打増加を狙う。
大学卒業後の進路については「春の結果次第です」。1学年上の代は後藤佑輔(七十七銀行)、鎌田健太郎(JR盛岡)、難波龍世(バイタルネット)が社会人野球に進んでおり、佐久間も「先輩たちが実力勝負の世界に進んで気が引き締まった。自分も野球(継続)を視野に入れています」と話す。本領発揮の春が間もなく幕を開ける。
(取材・文・写真 川浪康太郎)