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岩手の社会人野球界が誇った“連盟のスーパースター” スタジアムDJにSNS活用…野球場で作り出した「幸せな空間」

岩手の社会人野球を支えた若武者が、30歳の節目に新たな挑戦に乗り出す。JABA岩手県野球連盟(以下・JABA岩手)の事務局次長を務めた国乗弥幸さん。来年4月からは地元・福岡の折尾愛真高校で教壇に立ち、野球部の指導にも携わる予定だ。社会人野球の発展に向け奔走した経験を教員人生にどう生かすか――。大学時代を含む岩手での12年間は大きな「財産」になった。

岩手県社会人野球ベストナイン表彰式で「最後の仕事」

11月22日。サンセール盛岡(盛岡市)で岩手県社会人野球ベストナイン表彰式が開催され、国乗さんはJABA岩手での最後の仕事を終えた。祝賀会では司会を担当。受賞者の「プチ情報」を交えた軽快なトークで会場を盛り上げた。岩手の社会人野球を愛する国乗さんだからこそ作れる、和やかな雰囲気だ。

ベストナイン表彰式後の祝賀会では司会を務めた

表彰式の約1週間前、大学の先輩である水沢駒形野球倶楽部・吉田幸太選手と食事をした際、面と向かって言われた言葉に胸を打たれた。「社会人野球で選手のスーパースターは5年に1回くらい現れる。でも、お前みたいな連盟のスーパースターは今後100年経っても現れないよ」。最大級の賛辞を受け、思わず感極まった。

表彰式の日も、この日の「主役」である多くの選手、スタッフらが国乗さんへの感謝と惜別の言葉を口にしていた。それほど、国乗さんはJABA岩手に欠かせない存在だった。

岩手に残り、「感謝」伝えるべく始めたスタジアムDJ

国乗さんは福岡県出身。幼稚園年中から高校まで地元で白球を追った。厳しい親のもとで育ち、幼少期から野球道具はすべて自分で洗っていたという。肩を故障したため大学での競技継続は断念。それでも野球に携わりたい思いは消えず、遠く離れた岩手の富士大学硬式野球部にマネージャーとして入部した。

当時の常勝軍団を支えた国乗さんのもとには母校の折尾愛真高校から熱烈なオファーが届いた。国乗さん自身も教員免許を取得して地元へ戻るつもりでいたが、大学時代に関わっていたJABA岩手の上市隆之・現会長に残留を懇願され、卒業後も岩手に残ることに。花巻市の民間企業で働く傍ら、当初は「ボランティア感覚」でJABA岩手の活動に加わった。

スタジアムDJとしても活躍

3年前からは正式に登録され、県内の全大会で運営を担うことになった。また昨年からは選手入場の口上などを行うスタジアムDJとしての活動を開始。きっかけを与えてくれたのはJABA東北地区連盟の新沼悟専務理事だった。

新沼さんの口癖は「アマチュア野球は観に来てもらえるだけで感謝」。大会会場でのキッチンカーの出店など、球場に足を運ぶファンを楽しませるための様々な企画を実行する新沼さんから、スタジアムDJを提案された。当初は「裏方がグラウンドに出るのは好きではない」と断った国乗さん。だが、尊敬する大先輩の言う「感謝」を伝えるためには「ファンの方々が喜べる空間を作らないといけない」と思い立ち、社会人野球の魅力を表現する声を直接届けることにした。

今年からインスタ開設、SNS活用し「横のつながり」を強化

またSNSによる発信にも力を入れ、今年からはインスタグラムの公式アカウントを開設した。SNSには大会の情報を淡々と掲載するにとどまらず、選手や裏方の活躍を手厚く、幅広い層に伝えている。

国乗さんはSNSを活用した理由について、「横のつながりを強化したかったんです」と話す。「横のつながり」とは選手と連盟のつながりのこと。JABA岩手に加入して間もない頃、両者の間に隔たりがあると感じた。

「例えば、ヒットだと思ったのにエラーが記録されると選手は『なんでエラーなのか』と不満を募らせる。試合中止の判断についても意見が分かれる。両者に話を聞くと誰も悪くない。だけど、年齢も立場も違うので良くも悪くも衝突しないんです。自分は年齢的には選手に近く、立場的には連盟(役員)に近い。互いを理解してリスペクトし合えば歩み寄れると考え、自分が間に入る役目を担い、みなさんの頑張りを発信することにしました」

「幸せな空間」を作るべく奔走した

選手、役員、審判員、記録員、アナウンス…。それぞれの場所からは見えにくい互いの努力が見えるようになると、自然と距離は縮まる。国乗さんは「直接手を握らなくとも、自分がタコ足配線やハブ空港のようにみなさんの起点になれば、横のつながりは強まる」と自負していた。

そしてもちろん、SNSによる発信はファンに向けたものでもある。国乗さんはあるファンからもらった「野球場は『ウィン』しかない空間だよ」という言葉を肝に銘じている。「選手は野球をするのが好き。連盟にはアナウンスをするのが好きな人や記録を書くのが好きな人、運営をするのが好きな人がいる。ファンは応援をするのが好きだから野球場に来ている。幸せな空間はその人たちが集まる野球場でしか作れない」。すべての「ウィン」をつなげるため、国乗さんにしかできない役目を全うした。

国乗さんは来年以降もSNSによる情報発信を続けてほしいと願う。「自分がいるからやる、いないからやらない、ではなく、球場に来ていただく方々のために発信してほしい。ファンの方々を大切にしなければ、社会人野球は衰退してしまう」との切実な思いは残ったメンバーに託す。

覚悟胸に母校へ「福岡から活躍を届ける義理があります」

JABA岩手で活躍する間も母校からのオファーは途絶えなかった。「ホームランの打ち方も三振の取り方も教えられません」と何度も断ったが、それでも必要としてくれることに誠意を感じ、30歳の節目にUターンを決断した。

「8年間待ってもらったので、22歳の国乗ではなく30歳の国乗を呼んでよかったと思ってもらえるよう、これまでの経験を高校野球に還元するのが自分の使命。盛大に送り出してくれた岩手のみなさんにも、福岡から活躍を届ける義理があります」

岩手の選手、スタッフらから盛大に送り出された

最後の理事会では、「今後、岩手の大会に顔を出した時に偉そうな態度を取っていたら叱ってください。教員はテストをする立場ですが、岩手に来る時はテストをされるために、答え合わせをするために来ます」と挨拶した。それだけの覚悟を持って大好きな岩手を飛び立つ。

「教科書に載っていることだけでなく、国乗からしか教われない社会人としての生き方を教えたい」と国乗さん。次は母校で、「100年経っても現れない」スーパースターになる。

(取材・文 川浪康太郎/写真 2枚目以外は本人提供)

読売新聞記者を経て2022年春からフリーに転身。東北のアマチュア野球を中心に取材している。福岡出身仙台在住。

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