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ジェフユナイテッド市原・千葉がJ1での戦いで伝えたいこと―佐藤寿人・勇人が語る次世代へのメッセージ

 通称オリジナル10と呼ばれ、1992年のJリーグ発足時から所属しているジェフユナイテッド市原・千葉1(以下ジェフと省略)が、17年ぶりのJ1昇格を決めた。

 母体となった社会人サッカーの名門チーム・古河電工から数えると、80年近い歴史を持っているこのジェフは、幾多の変化を経験してきており、2025年の今も変化し続けているクラブである。

 男子トップチームのJ1昇格という最高の出来事で今年を締めくくったジェフは、来年以降どのような変化を遂げようとしているのだろうか。長年ジェフ以外でのクラブでも活躍し、現在は解説者として活躍する佐藤寿人氏と、ジェフでクラブユナイテッドオフィサーを務める佐藤勇人氏の2人に話を聞くことができた2

ジェフ千葉レディースを率いるカルメレ・トレス氏

男子も女子も、千葉で強くなる

今回ジェフユナイテッド市原・千葉は、船橋市にジェフレディースとアカデミー向けのグランドとクラブハウスを新設します。この変化は、チームや選手にどのような影響を与えると予想されますか。

佐藤寿人氏(以下、敬称略)「千葉県内で男子と女子の選手の育成ができるようになったということは、ジェフにとって大きな一歩であると言えるでしょう。特に専用の練習場を確保することで、レディースの練習スケジュールが主体的に組めるようになったことは、チームに大きなプラスの影響を与えると思います。」

佐藤勇人氏(以下、敬称略)「私は現役を引退してから、ジェフのアカデミーやレディースの練習を見るようになりました。そうしているうちに、アカデミーやレディースの練習環境が整っているとは言い難い状態で、プロとしてこの環境は厳しいな、と私自身も感じていました。例えば、かつてレディースがトレーニングできるのは、男子チームの練習時間が空いている時間帯に限られていたんです。そうした環境を目にして、なんとかしてレディース専用のグラウンドを作りたいと思いました。

 今回レディース専用のグラウンドが船橋にできることで、チームとして強くなることはもちろん、よりローカルに根差した地域とのつながりの強いチームになれればと考えています。千葉県に住む女子選手に、将来はジェフ千葉レディースでプレーするんだ、と思ってもらえるようになれば良いと思っています。」

ジェフ千葉レディースのお話がありましたが、今年からスペイン人の女性監督であるカルメレ・トレス氏が指揮を執っています。勇人さんは今年のレディースを見て、昨年と比べて、何か変化を感じられましたか。

佐藤勇人「女性同士ということもあるのでしょうか、選手と監督とのコミュニケーションがスムーズにできているように見えます。また、トレス監督自身が監督としての面だけではなく、教育者としての一面を持つ方なので、選手にどうすれば正確に自分の意図を伝えることができるのか、非常に意識しているように思います。

 また、選手自身ものびのびプレーしているのがわかりますし、それと同じくらい、監督から一つでも多く吸収したいという意欲が見られますね。」

時々スペイン人監督は、日本語に翻訳したら相当きつい言葉で、試合中に選手に声をかけたりしますよね。ほとんどの場合は、その言葉には悪気はないのですが、そうした部分をトレス監督に見られたことはありますか。

佐藤勇人「もちろん、トレス監督も試合中に選手を励ましたり、指示を出すために大きな声を出すことはあります。でも、これ以上きつい言い方すると選手に悪影響が出るんじゃないか、というようなラインを超えることはないので、そのあたりは本当に気をつけてコミュニケーションをされていますね。」

現在はジェフのクラブユナイテッドオフィサーである佐藤勇人氏

エンブレムに込めた「誇り」を伝えるために

おふたりから見て、ジェフのトップチームからアカデミーを貫く共通のフィロソフィとは、どのようなものだと思われますか。また、佐藤寿人さんはサンフレッチェ広島や名古屋グランパスでプレーされましたが、そうした経験を通して、これがジェフのフィロソフィだな、と感じたことはありましたか。

佐藤勇人「私がアカデミーにいたころは、同じ年に入った同期の選手全員が、翌年もジェフのアカデミーでプレーできたわけではなかったんです。つまり、毎年何人かは、ジェフのアカデミーを去る選手がいました。このように育成の中でも競争があり、そこを生き残らないと次の段階にいけないというのは、トップチームでプレーをするために必要なことです。それを育成段階の早いうちから、選手に直接伝わる形で教えるという厳しさは、ジェフのフィロソフィのひとつと言ってもよいように思います。

 また、ジェフのフィロソフィのなかで重要な部分を占めるのが、このクラブにとって千葉県が地元であるということです。例えば千葉県でサッカーをしている子供たちに、大きくなったらジェフでプレーするんだ、と思ってもらえるようなクラブになることの重要性は、今までずっとこのクラブの中に共通認識として存在し続けていると思います。」

佐藤寿人「トップチームのサッカーを体現するアカデミーの存在が、ジェフのフィロソフィと言えるのかもしれません。いわば、トップチームからアカデミーまですべての世代で、ジェフがプレーするサッカーのシステムや方向性を共有できる環境がある、ということでしょうか。

 ジェフはかつて、J1でタイトルを取った時代もありましたが、ざまざまな理由から2010年以降はJ2で過ごしてきました。現状を見ていると、今のジェフはトップチームとアカデミーの間で、プレーの方向性について一本線になりにくいというか、共有しにくい時代なのかな、とも思います。」 

お話に出たように、おふたりともジェフのアカデミー出身です。今ジェフのアカデミーでプレーする若い選手を見て、この点は自分たちのアカデミーにいたころと大きく違うな、と感じることは何かありますか。

佐藤勇人「僕らの時代と比べると、今はサッカー選手がプレーする場所の選択肢も増えています。今、選手はジェフのようなJリーグのアカデミーや町のクラブ、そして学校のサッカー部でプレーすることができます。

 でもその分、ジェフのエンブレムへの憧れや誇り、重さというものが自分たちがアカデミーにいた時代とは異なっているような気がします。

 僕らの時代は、クラブチームか学校の部活動くらいしかサッカーをする選択肢がなかったですし、そのクラブチームの数も今ほど多くはありませんでした。だから、ジェフのエンブレムをつけて練習やプレーするとき、その喜びや誇りというのは本当に大きなものでした。

 アカデミー時代から競争が厳しかったので、来年もジェフでプレーできることが分かった喜びは、本当に特別なものだったんです。そうした背景もあり、チームへの思いは一層強くなりましたし、ジェフのエンブレムをつけて戦えることの誇りを感じながら日頃からプレーしていた選手は、自分も含めて多かったように思います。」

佐藤寿人「確かに今の選手は、サッカーをするための選択肢が増えました。例えば、僕らの時代はジェフのアカデミーに入ったら、他のチームでプロになろうなんて全く考えていなくて、プロになる=ジェフのトップチームでプレーする、という選択肢が一般的でした。だから、近い将来、自分たちがジェフのエンブレムを背負うんだ、といつも思っていました。

 今はアカデミーのころから、海外を含む他のチームでプレーすることを目標にしている選手もいます。もちろん、それはそれで良いことです。でも、その分、どうしてもこのクラブでサッカーをしたいんだという強い思いが少なくなっているのかもしれません。

 このことは、時代の流れということになるのでしょうし、ジェフだけで見られる傾向でもないと思います。いわば、今は選手たちがクラブに対する帰属意識を持ちにくい時代になっているということでしょうか。

 でも、だからこそ、トップチームはアカデミーの選手やファンから見ても、魅力のあるチームであり続けないといけない。ジェフの場合、それはトップチームがJ1で戦う姿を見せること、そしてJ1で勝つ喜びを千葉県の皆さんと一緒に経験すること、この2つが必要なのだと思います。」

現役時代はジェフ千葉・セレッソ大阪・サンフレッチェ広島・べガルダ仙台・名古屋グランパスの5クラブでプレーした佐藤寿人氏。

 長年にわたりジェフの顔ともいうべき選手であった佐藤勇人氏。クラブを外から見ることも多かったが、現役時代の最後を同クラブで迎えた佐藤寿人氏。2人が持つジェフへの思いは現役時代同様、いや、現役時代よりもさらに強くなっているのではないかと感じられたインタビューとなった。

 J1でプレーするトップチームの経験を次の世代の選手たちに伝えること、そしてレディースは、地域に溶け込む親しみ易さと強さの両立を目指し、ジェフのエンブレムをつけることの誇りと喜びを、選手はもちろんファンや地元である千葉の人々と分かち合うこと。それが17年ぶりのJ1昇格を果たした今のジェフが次に成し遂げたいことなのではないだろうか。

1. 1992年当時のチーム名はジェフユナイテッド市原

2. 2025年12月12日にインタビューを実施

(写真提供 ジェフユナイテッド市原・千葉) 

(インタビュー・文 對馬由佳理)

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