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元プロのOB監督就任で部員激減…「寂しさ」を知る4年生が後輩たちに見せた”景色”

「秋、15試合もやれて楽しかったね。最高のチームだったよ」。東北学院大の星孝典監督は、明治神宮野球大会への道が断たれた試合の直後、ベンチで涙を流す選手たちにそう声をかけた。春は全日本大学野球選手権で東北福祉大が日本一に輝き、秋はその東北福祉大を下した八戸学院大が全国の舞台へ。東北の大学野球は今年も激闘続きだったが、今秋の主役は東北学院大だったと言っても過言ではないだろう。

東北学院大・星孝典監督「突然OBの私がやって来て…」

今秋のリーグ戦は優勝こそ逃したものの、東北福祉大と仙台大から勝ち点を奪取し、7年ぶりの準優勝を果たした。2019年春以降、12季連続で優勝と準優勝を分け合っていた「2強」の牙城を崩した。

明治神宮大会出場を懸けた東北地区代表決定戦では、八戸学院大との1戦目に20対1で大勝。リーグ2位のチームは2勝しなければ決勝には進めず、2戦目で惜しくも敗れたため全国の舞台には届かなかった。それでも、今秋を象徴するようなしぶとく、粘り強い野球を展開し、本物の強さを見せつけた。

今秋最後の試合を終え、星監督(左)はベンチで選手たちに言葉を贈った

躍進の要因の一つには、2023年に就任した星監督が見初めて連れてきた1、2年生の台頭が挙げられる。ただ、指揮官が「個性のある4年生一人ひとりがチームに貢献してくれた」と話すように、最上級生の奮闘がなければ快進撃は起きなかった。

「彼らが入学する前後は監督がいなくて、2年生になる時に突然OBの私がやって来て辞めていく仲間も多い中、野球を続けて『神宮の土を踏むんだ』という強い意志を示してくれた。彼らの強い意志があったからこそこうやって少し、歴史を動かすことができました。最後まで残ってくれた4年生はすごく尊いです」

星監督はそうも口にした。東北学院大は星監督が母校に戻る前の2年間、大人の監督が不在の状況だった。30人以上いた現在の4年生の代には学生だけで作る自由な雰囲気を好む選手も少なくなく、巨人、西武でプレーしコーチ経験も持つOB監督の就任を機に、「そんなつもりではなかった」と過半数が退部した。それだけに、最後まで戦い抜いた4年生に対する思いは強い。

田村虎河主将が涙、頼れる同期は「誰一人欠かせない」

主将として、正捕手としてまとめ役を担った田村虎河(4年=駒大苫小牧)はその一人。ラストゲームを終えると、しばらく涙が止まらなかった。

「4年間、本当にいろいろなことがありました。1年生の頃はグラウンドを使えない時期もあって、全体練習ができず試合もなかなか組んでもらえなかった。星監督が来てから思うように野球ができない状況が少しずつ変わり始めて、今では4学年全員が一つになれている。土台を作ってくれた先輩たちや支えていただいた方々のためにも勝ちたかったし、星監督を神宮に連れて行って胴上げしたかった。それができず、悔しさが溢れました」

最後まで攻守にわたって牽引した田村

2年時からは練習が充実し、試合数も増えた。そんな中、主将に就任した田村は「スーパーポジティブ」という合言葉を作り出し、チームに勢いと一体感をもたらした。全員で活発な部内競争を繰り広げ、リーグ戦では同じ目標に向かってベンチ入りメンバーも控えメンバーも一緒になって戦う。いつしかそれが当たり前になった。

チームを去ったかつての仲間のことも忘れてはいない。「○○がいたらどうなっていたかな」。ふとした時、そんな想像もした。

「寂しさはありましたが、残ったメンバーとは最後まで野球と向き合ってきました。大学生になってまで熱く、何時間も議論するような仲間と出会えるとは思っていなかった。誰一人欠かせないし、みんなを信頼しています」。もともとは「キャプテンシーのあるタイプではなかった」と自認する田村にとって、ともに歩むと決めた同期の存在は心の支えだった。

シーズン途中で海を渡った4年生…親友が示した感謝

今秋のリーグ戦の途中でやむを得ずユニホームを脱いだ4年生もいた。主に代打の切り札として活躍した左の好打者・齊藤柊(4年=鶴岡東)だ。今秋も前半はバットで貢献し、語学留学のため10月頭にオーストラリアへ渡った。引退試合となった東北福祉大戦には「3番・指名打者」でスタメン出場。安打こそ出なかったもののチームは強敵相手に勝ち点を挙げ、齊藤は試合後、人目もはばからず泣いた。

2打席連続本塁打をマークした3年秋、仙台大の剛腕・佐藤幻瑛(3年=柏木農)から代打本塁打を放った4年春は、一定の結果を残せた上、4年秋の留学も決まっていたことから、シーズン終了後に引退を考えた。しかし、親友である高橋琉(4年=久慈)に「最後まで柊とやりたい」と引き留められ、留学の直前まで野球を続けた。

代打の切り札として欠かせない存在だった齊藤

齊藤と高橋は学部が同じで、大学生活の多くの時間をともに過ごした。全体練習のキャッチボールでは常にペアを組み、自主練習の際も二人で汗を流した。「留学の話は前々から聞いていたので覚悟はしていたのですが、実際にいなくなると寂しさがありました」とは高橋。心にぽっかり穴が空いた。

高橋は2年秋から「1番・中堅」を定位置にした不動のリードオフマン。今秋は打率1割台と打撃不振にあえいだ。終盤に連敗を喫すると、責任を感じて余計もがき苦しんだ。いつもなら齊藤に悩みを打ち明けるが、親友は側にはいない。離ればなれになってからは電話などで連絡を取り合っていたため、弱音を吐くことはできた。だが、「柊に寂しい思いをしていると知られるわけにはいかない。活躍を見せることが柊への恩返しになる」と考え、野球と向き合った。

「楽しんで、勝ってきて。神宮の報告待っているね」と思いを託された代表決定戦。高橋は1戦目で5度出塁して1番打者の役割を果たし、得意の守備で何度も投手を救った。「神宮の報告」はできなかったが、「柊にはとりあえず、『今までありがとう』と伝えたいです」と、目を潤ませながらも清々しい表情をのぞかせた。

代表決定戦で本来の輝きを取り戻した高橋

「自分のためではなく、仲間に『ありがとう』と言ってもらうために頑張ってきた。一緒に頑張れる仲間がいたから、ここまで野球を続けることができました」。齊藤は引退試合の後、そんなことを口にしていた。「寂しさ」を乗り越えて生まれる「ありがとう」の気持ちは、選手を、チームを強くさせる。

「3年生の奮起に期待」次世代につなぐ東北学院大の野球

田村は八戸学院大との試合後、後輩たちに向け「この景色を忘れないでいてほしい」と伝えた。叶えられなかった夢は次の世代に託す。

星監督も「最上級生がチームを引っ張らなければ踏ん張りがきかない。今、悔しい思いをしているであろう3年生の奮起に期待します」と力を込める。八戸学院大戦では1戦目で阿部勇星(3年=福島東)が代打本塁打を放ち、2戦目はピンチの場面で絶対的エースの堀川大成(4年=東日本国際大昌平)ではなく千葉達弥(3年=仙台東)と内田塁斗(3年=盛岡三)をマウンドに送り出した。

八戸学院大との2戦目で9回のピンチの場面を託された内田

「この先の景色を見に行けるチームを作りたい」と星監督。もう一度、歴史を変えるべく、立ち止まることなく歩みを進める。

(取材・文・写真 川浪康太郎)

読売新聞記者を経て2022年春からフリーに転身。東北のアマチュア野球を中心に取材している。福岡出身仙台在住。

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