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ピッチでの経験をビジネスの成果に。異業種で挑戦する、元アルビレックス新潟の長谷部彩翔

新潟を離れて気づいた、故郷を包む「オレンジの呼吸」

現在、かつてアルビレックス新潟(以下、アルビレックス)に所属した元Jリーガーの長谷部彩翔(アルビレックス新潟ユース(現U-18)からトップチームに昇格し、2008年、2011年に在籍)は新潟から遠く離れた、福岡の地に立っている。 新潟を離れて約一年、初めてある事実に気づかされた。それは、新潟という街にいかに深く、濃く、アルビレックスという存在とサッカー文化が根付いていたか、ということだ。

「新潟にいた頃は、それが当たり前だと思っていたんです。でも、外に出てみて初めて、あの街に流れる空気そのものが特別だったんだと分かりました」

ユース時代からオレンジのユニフォームを身に纏って戦うことが日常だった彼にとって、街中にクラブのフラッグがなびき、週末になれば老若男女がビッグスワンへ向かう光景は、呼吸をするのと同じくらい自然なことだった。しかし、新潟を離れた今、その「当たり前」がいかに稀有で、30年の歳月をかけて築き上げられた尊い奇跡のような文化であったかを痛感している。

彼が引退後のセカンドキャリアとして選んだのは、サッカーとは全く無縁の自動車販売の世界だった。 「今までサッカーしかしてこなかったからこそ、関係のない世界で自分がどこまで通用するのか試したかった」 数ある職業の中で、なぜ「車」だったのか。そこには、現役時代から変わらない「誰かのために」という彼の献身的な人柄が滲む。自動車の購入は、一生の中で数回しかない、非常に大きなライフイベントだ。 「人の人生に深く関わる仕事がしたい。その瞬間に立ち会い、信頼を築くことは、ピッチでサポーターの想いを背負い、仲間のために走ることに通じるものがあると思ったんです」 サッカーで培ったコミュニケーション能力を、「誰かの人生の決断に寄り添う力」へと昇華させる。それが、彼の選んだ第二のピッチだった。

 ショールームという名の「チーム」を率いて

現在、長谷部は店舗運営のすべてを統括する「店長」という重責を担っている。 彼の歩みは驚異的だ。「入社した社員の中で一番早く店長になってやろう」と誓い、未経験から飛び込んだ世界で最短距離を駆け抜けた。入社わずか三ヶ月で資格試験に挑み、一度は壁にぶつかりながらも、その一年後には店長の座を掴み取った。その躍進を支えたのは、間違いなくアスリートとして身体に染み付いた「プロの思考」と、チームに対する責任感だった。

「店長として店舗を任されるようになり、視野が大きく広がりました。個人の数字を追うのではなく、いかに店舗全体を一つのチームとして機能させるか。メンバーの育成や目標達成に向けたプロセスは、サッカーの試合の準備と全く同じなんです」

スタッフ一人ひとりの個性を把握し、適材適所で強みを引き出す。目標に向けて組織の成果を最大化させ結果を残す。達成に満足すること無く、また次の目標に向かって、メンバーを鼓舞する。彼が今、ビジネスの現場で体現しているのは、かつてビッグスワンのピッチで学んだ「連携」と「献身」の精神そのものである。自分の背中を見せて、周りがついていきたいと思えるリーダー。それは、彼が理想とするリーダー像であり、かつてピッチで共に戦ったリーダーたちの姿でもあった。

現在は、自動車販売の世界で、新たなキャリアを切り拓いている

「努力」の真理 —— 成功への唯一の切符

店長としてスタッフを鼓舞し、自らも律し続ける長谷部が、今も大切にしている言葉がある。 「努力したからといって、全員が成功できるわけではない。だが、成功した人は全員、たゆまぬ努力をしている」

プロの世界の残酷さと美しさを知る彼だからこそ、この言葉には重い説得力が宿る。ユースから昇格し、一時はプロになること自体がゴールになってしまったという苦い後悔。その経験があるからこそ、今の彼は「努力を続けること」の難しさと尊さを誰よりも理解している。努力は必ずしも報われるとは限らない。しかし、努力を放棄した者に、成功の女神が微笑むことは決してない。この不変の真理こそが、今の彼を突き動かすエンジンであり、店舗というチームに植え付けようとしている文化の核となっている。

雪の日もトレーニングに励む長谷部

同期・舞行龍ジェームズという名の「証明」

その「努力の真理」を、現在進行形で体現し続けている男がいる。同期の舞行龍(マイケル)ジェームズだ。 2008年に同期としてアルビレックスに加入し、2010年、ともに期限付き移籍したツエーゲン金沢では、二人は同じメゾネットタイプの部屋でルームシェアをしていた。ニュージーランド出身の舞行龍の両親が来日した際には、長谷部が運転手となって金沢の街を案内したこともある、家族同然の仲だ。

「舞行龍が今もピッチに立っているのは、あの日から今日まで、誰よりもコツコツと努力を積み重ねてきた結果なんです」

当時から欠かさなかった筋トレ、そして周囲とコミュニケーションを取ろうとする姿勢。異国から来た19歳の青年が、言葉の壁を越え、自分を磨き続けてきた。長谷部は、隣でその歩みを見てきたからこそ、いまや新潟の象徴となった戦友の姿を「努力の正しさの証明」として、最大級の尊敬をもって見つめている。引退を経験したからこそわかる、三十代後半になってもトップレベルで走り続ける過酷さと、それを支える精神力の凄絶さ。舞行龍がピッチで体を張り続ける限り、長谷部の心の中にある「2008年組」の誇りもまた、色褪せることはない。

トレーニング中の舞行龍(左)と長谷部(右)

 30周年の譜 —— 未来へと続く熱狂の記憶

長谷部の記憶の底には、今も鮮明に焼き付いている光景がある。 2003年、J2優勝と初のJ1昇格を決めた、あのビッグスワンでの熱狂だ。 「あの試合の賑わい、街が震えるような感覚は今でも忘れられません」

2002年のW杯開催を経て、新潟の街にサッカーという新しい文化の種が蒔かれ、急速に芽吹いていったあの時代。少年だった長谷部はその熱を肌で感じ、やがてその熱源の中心へと飛び込んでいった。30年という月日は、少年の憧れをプロの誇りに変え、そして今、一人のビジネスパーソンとしての矜持へと繋がっている。

「J1に復帰し、新潟がさらに盛り上がることを期待しています。あの時のような、あるいはそれ以上の熱狂を、今の子供たちにも経験してほしい。サッカーが街を元気にすることを、僕は誰よりも信じていますから」

自分を育ててくれたクラブ、自分を支えてくれたサポーター、そして今も戦い続ける同期。新潟を離れてもエールを送る店長・長谷部彩翔は、オレンジの誇りを胸に、今日も自分自身のピッチで、誰かの人生のために最高の仕事を追求している。

初のJ1昇格の喜びを、満員のサポーターと分かち合うアルビレックスイレブン

(取材/文・真鍋智、取材協力/写真・アルビレックス新潟)

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