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「自分が過ごしてきたホームタウンに恩返しを」プロサッカー選手・黒川淳史の新たな挑戦

「サッカー選手である前に1人の人間。社会に良い影響を与えるサッカー選手になりたい」

 サッカーJリーグの大宮アルディージャや水戸ホーリーホックなどで活躍し、現在はブルガリア1部のスパルタク・ヴァルナでプレーする黒川淳史(あつし)選手は自分のありたい選手像を語る。これはユース時代の恩師に授かった言葉だ。

 その言葉通り、黒川選手は出身地の比企郡嵐山町(ひきぐん・らんざんまち)のPR大使を務めるなど、サッカー以外の活動も積極的に行ってきた。

ホームタウンへの恩返し

 黒川選手は埼玉県の中部に位置する比企郡嵐山町で生まれ育つ。「嵐山町は通学路に畑が広がる自然豊かな場所ですが、良い意味で地域のつながりが強い」と出身地について話す。中学校卒業まで嵐山町で過ごし、寮に入った高校時代も休みができれば、嵐山町に頻繁に帰っていたというほど、思い出深い故郷だ。

 2歳年上の兄の影響で4歳からサッカーを始めると、小学生時代は熊谷市の江南南サッカー少年団でプレー。幼少期は嵐山町の公園でひたすらボールを蹴って練習に励んだ。そして、中学から大宮アルディージャジュニアユースに入団し、高校卒業時の2016年に大宮でプロになった。

 2017年にJリーグ初得点を挙げると、翌2018年には大宮から水戸に期限付き移籍。2020年に大宮に復帰し、背番号10を背負い活躍する。その後、2022年にジュビロ磐田に移籍し、2023年にはFC町田ゼルビアに移るなど、日本ではここまで大宮、水戸、磐田、町田の4チームでプレーを経験している。

「各地に自分の思い入れが詰まっていて、どこに行っても親切にしてもらった」と各地での思い出を振り返る。

 黒川選手にとって初の移籍地となった茨城県・水戸は2024年にも期限付き移籍で在籍しており、合わせて約3年間を過ごした。出身地である埼玉県の次に多くの時間を過ごした場所であり、特に印象に残る。

水戸ホーリーホックには約3年間在籍した:©MITO HOLLYHOCK

 水戸ホーリーホックのクラブハウス(城里町七会町民センター・アツマーレ)は廃校となった小学校をリノベーションし、トレーニング施設だけでなく、公民館やバーベキュー施設の機能を集約した複合施設となっている。一部のトレーニングジムは水戸の選手だけでなく、町民の一般利用も可能。そのため、町民の方と同じ空間でトレーニングを行う日も多くあり、他のクラブに比べ、町民との距離が圧倒的に近かった。中には自宅に招待してもらったり、農作物を譲ってくれたりする町民の方もいたという。

 クラブハウスのある城里町は水戸市からやや離れ、豊かな自然に恵まれた景観やコミュニティーの強さが出身地である嵐山町とも重なった。嵐山町で生まれ育った黒川選手にとって人生で初めての移籍となったが、すぐに街に溶け込むことができた。

 その後にプレーした町田や磐田でも短期間ではあったが、飲食店などで地元の方々によくしてもらった思い出が多いという。そうした経緯から「自分が過ごしてきたホームタウンにいい恩返しがしたい」という思いが芽生えていった。

 そんな中、黒川選手は2023年4月に出身地である嵐山町のPR大使に就任した。同郷の先輩である小池純輝選手が嵐山町のPR大使第1号となったことを機に黒川選手にも声がかかり、二つ返事で就任が決まった。

2023年4月から嵐山町のPR大使を務める

 PR大使の活動は、オフシーズンに嵐山町の小学校を訪問し、講演会を行ったり、地域イベントのPRをしたりと多岐にわたる。嵐山町でイベントがあった際には水戸や町田のサポーターの方が参加してくれることもあったという。

 「自分がきっかけで嵐山町を知ってくれるのはとても嬉しい」と語るように嵐山町への恩返しのワンシーンとなった。

目標だったヨーロッパへの挑戦

 2025年は黒川選手にとって新たな挑戦の年である。

 1つは、海外移籍だ。2025年2月にブルガリア1部のスパルタク・ヴァルナへ加入が決まった。黒川選手にとって初の海外クラブ所属となり、ヨーロッパでのプレーは小さい頃からの目標でもあった。

 大宮ユース時代の中学2年時にオランダ、ベルギーへのヨーロッパ遠征を経験。そこで目にしたヨーロッパサッカーへの高揚感、ワクワク感が鮮明に残った。「言葉がわからなくても、自分のプレーで喜んでもらえるのは、とても魅力に感じた」と以来、ヨーロッパでのプレーをずっと目標にしてきたという。2021年にはポーランドのクラブチームへの移籍話が持ち上がったものの、諸般の事情により叶わなかった。それでも、目標をぶらさずにプレーし続けた結果、27歳を迎えた今年にヨーロッパ移籍を実現させた。

 昨今、多くの日本人選手がヨーロッパのリーグで活躍しているが、現在ブルガリアの1部リーグでプレーする日本人選手は黒川選手ただひとり。歴代で見ても、ブルガリアに移籍した日本人選手は少ない。選手同士の会話では英語が通じるが、日常生活では日本にとっては馴染みの薄いキリル文字を母体とするブルガリア語が主になる。

スパルタク・ヴァルナでの練習

「ブルガリアのリーグに日本人選手はいないが、そういった環境の方が人生において大きな財産になると思う。また、ブルガリアに移籍できたから満足ではなく、ブルガリアで結果を残したい。ブルガリアでは日本人選手が少ないため、自分の存在が良い意味で目立つ。日本人選手にとってもブルガリア移籍はまだ一般的な選択肢ではないため、自分がよい道を作りたい」とブルガリアへの移籍理由や意気込みを話す。

 ブルガリアのリーグは7月末にシーズンが開幕するため、黒川選手はシーズン後半からの加入となっており、より結果が求められる時期。ヨーロッパへの移籍を叶えた今は、ブルガリアでチームに貢献することにフォーカスしている。

社会に良い影響を与えるサッカー選手に

 2つ目の挑戦はスポチュニティ・アンバサダー就任だ。

 ユース時代の恩師の「社会に良い影響を与える選手になりなさい」という言葉を胸にサッカーのプレーで人々に喜びや感動を与えるだけでなく、サッカーのプレー以外にも貢献できる部分があると考えてきた黒川選手。

 すでに嵐山町のPR大使に就任するなど、サッカーのプレー以外にも社会に良い影響を与えてきたが、これまでのキャリアを振り返ると、出身地の嵐山町だけでなく、大宮、水戸、磐田、町田とそれぞれの土地に黒川選手の足跡がある。

PR大使として嵐山町のサツマイモ掘り体験を実施

「嵐山町のイベントに参加してくれた水戸のサポーターのように、自分をきっかけにこれまで過ごしてきた他の街にも興味を持ってくれる人がいるのではないか」と話す。

 スポチュニティ・アンバサダーを通じてさまざまなことに挑戦する予定だ。黒川選手の今後の活動に注目が集まる。

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