紆余曲折を経て、発展しつつある「女子野球」
広尾晃のBaseball Dibersity
女子野球の歴史は古く、明治末年(1910年代)には、尋常小学校や高等小学校で女子野球部が作られたとされる。日本全体の野球ブームに伴って、徐々に女子野球の競技人口も増えていった。女子野球の場合、硬式球を使う正規の野球は少なく、テニスボールを使った野球や、柔らかいゴムボールを使った「インドアベースボール」など様々なスタイルの野球が行われていた。
女子野球を禁止した戦前の日本
大正期(1912年以降)に入ると全国の高等女学校で野球部が創設され、1919年には名古屋市で「高等女学校野球大会」が開かれたが、文部省は1924年11月、女子野球を禁止した。
この時点で活動していた宮城県第二高等女学校、宮城県第一高等女学校、茨城県立水戸高等女学校などの学校はこの時期に活動を停止した。
ただし1938年にはアメリカカリフォルニア州女子軟式野球チームが来日し、各地の女子野球チームと親善試合を行っている。正規の野球は禁止されたが、日本各地では様々なスタイルで女子野球が行われていたようだ。

女子プロ野球ができたが…
戦後になって、女子野球は復興する。1947年8月には横浜市で女子野球大会が行われる。
翌年には、この時活躍した横浜女子商業の選手などを中心に日本初の女子プロ野球チームが結成された。さらに1950年には東京や関西で多くの女子プロ野球チームができた。女子プロ野球チームは一時は25を数えた。
しかし当時の女子野球は、競技を見せて入場料収入を得るというよりは、男性の野球チームと試合を行った後に、宴会で女子野球選手が接待をする、という「水商売」的なチームが多く、あまり健全とは言えなかった。女子プロ野球は、観客動員の少なさもあって興行的に成り立たなくなり、1952年には社会人野球(クラブチーム)に転換する。
私は「野球」がしたい
戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、女性の社会参加を促進する施策の一環として女子ソフトボールを奨励。全国の学校に女子ソフトボール部が設立され、多くの部員を集めるようになる。
戦前から続く「女子野球」の流れは「女子ソフトボール」に収れんされたかのように思えた。
「私は王貞治選手が大好きで、小さいころから男の子に交じって野球をしていたんです。中学に入ったら野球部に入って野球をしようと思ったのですが、女子は野球部に入ることができなくて、そこでソフトボール部に入りました。そして県大会にも出る選手になりました」
最近まで女子野球の選手として活躍していた40代の女性はこう語る。ソフトボールをしている選手の中には「ソフトボールをしたくて競技を始めた選手」と「本当は野球がしたかったが、女子を受け入れるチームがなかったのでソフトボールを選択した選手」がいた。
「私は、ボールを上から投げたかったし、塁に出たら自由に走りたかった。プロ野球選手のような野球がしたかった」、彼女はそう話した。
日本ではその機会がなかったので、彼女はアメリカやオーストラリアでプロやセミプロの女子野球リーグに参加した。
アメリカでも戦後、女子野球は一時人気となり、プロ野球リーグもできたが、1954年に消滅。女子野球は下火となった。1992年、1950年代の女子プロ野球を取り上げた映画「プリティリーグ(トム・ハンクス、マドンナなどが出演)」が人気になると、女子プロ野球設立の機運が盛り上がり、1997年に「レディースリーグ」が設立された。しかしこのリーグも2年ほどで消滅している。

世界で名を挙げた日本女子
平成に入って、高校や大学、クラブチームなど、女子野球チームが徐々に増えていった。
2001年には「女子野球世界大会」が始まる。日本は第1回大会でアメリカに次いで2位、2002年も2位、2003年、2004年とオーストラリア、アメリカを破って優勝。
国際大会での女子野球の活躍が、日本国内での女子野球人気につながったといえるだろう。
2004年にはIBAF(国際野球連盟)主催の「女子野球ワールドカップ」が始まる。主催者は2007年にWBCも主催するWBSC(世界野球ソフトボール連盟)に変わったが、日本は2008年、松山市で行われた第4回大会でカナダを破って初優勝。それ以来、日本は「女子野球ワールドカップ」で7連覇を果たしている。
女子野球世界チームの活躍は、日本国内でも大きく報じられ、女子野球ブームが始まった。

女子プロ野球の誕生
2009年には「女子プロ野球機構」が設立され、2010年から京都アストドリームと兵庫スイングスマイリーズの2チームによるリーグ戦が始まった。スポンサー、運営主体は株式会社わかさ生活。
しっかりした運営主体を持ち、リーグ戦を行ったという点では、日本初の本格的な女子プロ野球リーグだった。
また女子プロ野球機構は、高校、大学、クラブチーム、プロによる「女子野球ジャパンカップ」も始めた。 当初は2チームだった女子プロリーグは2012年に3チーム、13年に4チームとなった。チーム名も変わり、リーグの体制も変化したが、女子プロ野球は徐々に体制を整え、固定のファンも増えていった。

「高校までソフトボールをしていて、大学は女子野球部に入りました。卒業後はクラブチームで野球を続けるかな、と思っていたのですがプロリーグができて、大きな目標になりました。仲間は『野球は大学までかな』という子が多かったのですが、プロができて、みんな励みになっています」
2010年に大学女子野球の選手は、このように語っていた。

女子野球の場合、プロとアマの障壁はほとんどない。女子プロ野球は、日本の女子野球のトップリーグとして多くの女子選手に目標を与えた。またあこがれの存在ができたことで、女子野球の底辺拡大にもつながった。
しかし興行的には厳しい状況が続き、2020年は新型コロナ禍もあってリーグ戦が遅延。2021年に女子プロ野球は活動休止を宣言した。
新たな展開
この時期からNPBが女子野球の普及に乗り出し、2020年には埼玉西武ライオンズ・レディース、21年には阪神タイガースWoman、22年には読売ジャイアンツ女子チームが設立される。女子プロ野球の選手たちの中には、こうしたNPB系列のチームに入団した選手もいる。
また、2021年からは全国高等学校女子硬式野球選手権大会の決勝が甲子園で行われるようになった。
女子プロ野球が活動休止しても、女子野球の機運は高まっていった。
アメリカではMLBの支援のもと今年8月、「ウィメンズ・プロ・ベースボール・リーグ」(WPBL)が開幕する。
昨年11月に行われたドラフトでは、日本からも、女子プロ野球で活躍した里綾美がドラフト1巡目(全体2位)で指名されるなど、山本彩夏、佐伯絵美、米谷奈月、山本涼香、楢崎涼、別府日向乃、三浦帆菜、小櫃莉央、島野愛友利と計10選手が指名された。 またフィラデルフィア・フィリーズ傘下のマイナーコーチとなり、日本のジャパンウィンターリーグでもゲームコーディネーターを務め、さらには台湾プロ野球(CPBL)で女性初のコーチを務めたサラ・エドワーズも指名された。
2026年は女子野球の新たなスタートの年になりそうだ。

中体連(日本中学校体育連盟)の調査によれば2002年は1320人だった女子軟式野球人口は、2025年には3993人と3倍に増えている。この期間、男子軟式野球は31万4022人から13万85人と半減に近い減少だった。
紆余曲折を経たが「女子野球」は、日本野球界で唯一成長が見込める「希望の星」だといえるだろう。
