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「夢が原動力」の独立プロ野球 2球団の「日本海リーグ」が地元被災地への思いを刻む

日本に7つあるプロ野球独立リーグのうち、最も小さいのが「日本海リーグ」だ。石川ミリオンスターズ(以下石川)と富山GRNサンダーバーズ(以下富山)の2球団で形成され、IPBL(日本独立リーグ野球機構)にも加盟している。もともとはルートインBCリーグの草分け。2007年創設の2球団に、18年目のシーズンが訪れた。

在籍選手は地元出身が多く、子供の頃から独立リーグが身近にあった世代だ。NPB指名を夢見て集まった彼らが、野球で地域を盛り上げていく。今年はさらに、能登半島地震で被災した地元への思いを胸に、汗を流す毎日だ。

2球団による地域密着「ミニマムリーグ」

石川・富山両球団は、BCリーグ最初の4球団として2007年に発足「NPB球団のない土地にプロ野球を」と、地域密着型の球団を目指してきた。コロナ禍を経て2022年に福井・滋賀とともに「日本海オセアンリーグ」を結成。2023年からは形を変えて2球団の「日本海リーグ」となったが、球団自体は変わらない。18年の歴史は常に地域とともにあった。

石川に元阪神・岡崎太一監督が就任

石川ミリオンスターズを率いるのは岡﨑太一監督。阪神タイガースからの出向で、2024年に着任した。スカウトからコーチを経ずに監督となり、選手と共にチャレンジの毎日だ。

ノックを行う岡﨑太一監督。独立リーグの監督は仕事が多岐にわたる

岡﨑監督は着任後、選手一人ひとりにレポートを書いてもらい、それをもとに面談した。

「そうしたら便箋3枚とか4枚とかぎっしり書いてきた選手たちがいたんですよ。彼らの熱意をすごく感じましたね。向こうが本音でぶつかってきてくれるから、僕も本音でぶつかろうと、そのとき思いました」

石川は、特に地元出身の選手が多い。その一人、川﨑俊哲内野手は、輪島高校の出身。高卒で石川に入団して5年目。球団の顔といえる選手だ。

「小学校の時に野球教室で石川ミリオンスターズの選手が来ていたのを覚えています」

今は自分もその一員となり、野球教室のほか、職業講話など地域での活動も行っている。

スポーツバラエティでも人気の富山・吉岡雄二監督

富山GRNサンダーバーズの吉岡雄二監督(元巨人・近鉄・楽天)は2014年~2017年に富山で監督を務めた後、日ハムの二軍コーチを経て、2021年に再び監督就任した。富山では計8年目のシーズンとなる。常に選手に目を配り、野手にも投手にも的確な言葉を投げかける。

富山での監督歴が計8年目になる吉岡雄二監督

「選手は一人ひとり違うので、かける言葉も一人ひとり違います」

野球技術はもちろん「根底になる考え方そのものを教えてくれる」と選手から信頼の厚い監督だ。

富山市出身の川渕有真投手は、やはり子供の頃からサンダーバーズが身近にあり、球場へ足を運んで試合を見ていたという。京都大学へ進学した後、NPBを目指すために富山に帰ってきた川渕。思い切った決断に周囲からは懸念の声もあったが、「地元の友人たちはすごく応援してくれました」という。

「大学2年ぐらいから野球を続ける先を意識していましたが、地元に独立リーグがあることで、4年ごろから本格的に目指してきました。特に富山はレベルが高いと思います」

「給料が出るのはシーズン中のみ」など、独立リーグには物質的・経済的な不便はあるが、野球でお金をもらえる「プロ」。野球に集中でき、NPBに近づける環境を選ぶ選手は多い。

そして元NPBの指導者が多いという利点もある。富山には吉岡監督を始め、島崎毅投手コーチ(元日ハム・中日・広島)、細谷圭野手総合コーチ(元ロッテ)という人材がいる。石川でも岡﨑監督、片田敬太郎総合コーチ(元DeNA)というNPB経験者が指導する。吸収できるものは大きい。

選手による少年たちへの野球教室は頻繁に行われている

NPBへの夢と独立リーグ日本一への道

日本海リーグでは、2球団でのリーグ戦を40試合開催するほか、NPB球団との交流戦も積極的に行い、スカウトの目に触れる場を設けている。

2023年は富山から大谷輝龍がロッテ2巡目と独立リーグ最上位指名となったほか、松原快(阪神育成1位)、高野光海(ロッテ育成3位)も続いた。松原は県内出身者では球団初の指名選手となった。

石川からは2023年の指名がなかったが、2021年の髙田竜星(巨人育成2位)、2022年の野村和輝(西武育成1位)など指名の実績がある。

試合中継は球団公式YouTubeで見ることができる

2球団だけのリーグながら、優勝すれば秋に開催される独立リーググランドチャンピオンシップへも出場できる。選手の意識は高く、リーグとしての可能性は大きい。将来的には参加球団が増えれば、という願いもあり、「まだ成長途中のリーグなんです」と吉岡監督は言う。

「選手たちには、本気で野球と向き合って欲しい。皆さんにそういう姿を見せたい」

被災地への思いと地域での活動

これまでも困難を乗り越えてきた日本海リーグだが、2024年1月1日には能登半島地震が起こり、その影響を否応なしに受けることとなった。

石川県では特に能登半島で死者数も被害総数も多かったが、それ以外の地域でも多くの人が被災し、道路や家屋などの被害は富山県でも広範囲で見られた。

能登半島地震に係る災害義援金への募金活動を行う富山の選手たち

地震が起きたとき、石川・川﨑俊哲は輪島の実家にいて、避難も経験した。輪島市は特に被害の大きかった地域だ。球団は当日無事を確認しようとしたが「連絡は全くつきませんでした。道もガタガタで」。断水や停電なども続き、ライフラインが寸断されていた。

川﨑は金沢に移り、その後の生活を続けている。

「普通の生活をしていていいのかなとは思ったのですが、2週間くらいで気持ちも楽になってきました」

トレーニングを続け、チームにも合同自主トレから参加できたが、シーズンにあたっての気持ちは「今までとは全く別物でした」と振り返る。

「被災地のために、という思いを一番に持って取り組んでいます」

地域で訪問活動をする川﨑俊哲選手

人々は、なお応援してくれる。選手が夢を追う姿が、地域を明るくする。野球に打ち込むことで、応援に対する感謝を伝えたい。

「被災した身ですが、くよくよしてもしょうがない。そうしていても被災地の方は嬉しくないと思っているので、常に全力プレーで明るく勇気づけられるようにします。それを見ていてください」

川﨑は力強く決意を語った。

日本海リーグとしての被災地支援活動

日本海リーグでは積極的に募金活動やチャリティイベントを企画している。特別アンバサダーの糸井嘉男さんや、多くのNPB選手の協力でチャリティオークションを行い、6月22日にはボールパーク高岡、23日には能登半島北端の珠洲市営球場で、韓国独立リーグの京畿道選抜対日本海リーグ選抜によるチャリティゲームを行った。

多くの人に支えられ、珠洲市営球場でのチャリティゲームが行われた

珠洲市は例年公式戦を行ってきた場所。「珠洲の試合の前に行きたかったんです」と言う石川・岡﨑監督は、個人的なボランティアとして事前に珠洲を訪れた。被災したキャンプ場の復興支援で、植樹作業などを行った。その際に交流した人が、珠洲の試合にも訪れて「すごくよかったよ」と言ってくれたそうだ。

「試合をしてよかったし、珠洲に行って活動をして本当によかったと思いました」

能登の復興はまだまだ途上だ。球場への道はバスが通れるようになっていたが、被害を受けたままの箇所も多い。球場は問題なく使えるが、すぐ隣は瓦礫の集積場所になっており、近くに仮設住宅もある。

この日は大雨だったが、何とか試合を5回まで行った。仮設住宅の人が見に来てくれ、拍手をしてくれた。「来てくれてありがとう」という声も届いた。

チャリティゲームでは日本海リーグ選抜用の特別ユニフォームを着用した

地域の応援を力に、夢を追う

独立リーグは、多数の地元スポンサーや個人に支えられて成り立っている。地域とともに歩んできてこその今だ。応援されることで選手たちはより力を出すことができ、その姿が地域を応援する力となる。

独立リーグの特性として、選手の入れ替わりは激しい。だが、NPBに行けなかった選手が、地域に残って野球を続けたり、就職したりするケースもある。地元スポンサーが「是非うちへ」と言ってくれることも多いという。地元密着の独立プロ球団は、地域と人を繋げる役割も担っている。

この先も、北陸のプロ野球に注目していきたい。

(取材・文/井上尚子 写真提供・取材協力/日本海リーグ、石川ミリオンスターズ、富山GRNサンダーバーズ)

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