• HOME
  • コラム
  • その他
  • ミズノ・藤田真之介さん「当時中学1年生ですごい選手がいる」 池江璃花子選手の復活を支えた絆のストーリー(前編)

ミズノ・藤田真之介さん「当時中学1年生ですごい選手がいる」 池江璃花子選手の復活を支えた絆のストーリー(前編)

現在、ミズノ株式会社(以下、ミズノ)のコンベンションスポーツ事業部でマーケティング部の課長を務めている藤田真之介さん。

藤田さんを語るにおいて欠かせないのが、水泳日本代表の池江璃花子選手との絆。当時中学生だった2015年、池江選手とミズノが契約を交わしたのをきっかけに両者の関係が始まった。

スター街道を走っていた池江選手を突如襲った大病・克服し戻ってきた五輪の舞台、そして現在までの復活劇の中にはミズノそして藤田さんらのサポートも欠かせない数々のページがある。

今回は初めてその姿を見た時から、現在に至るまでのストーリーを2回に分けてお送りする。

(取材協力 / 写真提供:ミズノ、文:白石怜平)

当時中学3年生、最年少での契約へ

池江選手と藤田さんらとの初めての出会いは池江選手が中学1年生(2013年)の時に遡る。この年に現在も所属するルネサンススポーツクラブへ移籍していた。その時から関係者へ衝撃を与えていたという。

「当時中学1年生ですごい選手がいると。辰巳国際水泳場で話題になっていました。名だたるコーチの方たちが『とんでもない逸材ですよ』と」

ルネサンススポーツクラブとの関係を深く築いていたミズノは、同時期にルネサンスの競泳チームを強化するべくタッグを組んでいた。

その時に「もし、池江選手が世界大会の代表選手(世界水泳やオリンピック選手に)なったら契約したい」という想いが双方で合致していたのだ。

最初に池江選手と出会った時の話から語っていただいた

池江選手も周囲の期待を大きく超える活躍を見せ、15年4月の第91回日本選手権では50m自由形、100m自由形、200m自由形で中学生の記録を次々に更新。

さらに、50mバタフライの予選でも26秒41で中学生での新記録を樹立すると、そのまま決勝も制し、青山綾里選手(96年:100mバタフライ)以来当時19年ぶりとなる中学生での全日本覇者となった。

また、200m自由形の結果が評価され、世界選手権のリレー代表に選出。春口沙緒里選手(01年:100mバタフライ)以来14年ぶりに中学生での日本代表入りを果たし、同年カザニ(ロシア)で行われた競泳世界選手権へ出場が決まった。

ここで、正式にミズノと契約が決定した。同社にとって競泳選手で中学生と契約したのは100年を超える会社の歴史でも初のことであった。ここから両者の絆の物語の記念すべき1ページ目が刻まれた。

「そこからもう止まらなかったですよね(笑)。一気にスターダムへと駆け登って行った。その時は僕らも心躍らせていました。ですけれどもまだ中学生。

多感な時期ですので、心身ともに成長することが第一でしっかりと我々もやれることをやっていかなければならないという想いで日々取り組んでいました」

19年、驚きを超えた病魔の宣告

藤田さんの言葉通り、池江選手はスターダムの階段を一気に駆け抜け、その実力は世界中の注目を集めるほどにまでなっていた。

16歳で初出場したリオ五輪(16年)では、日本人選手最多となる7種目で出場を果たし、100mバタフライでは5位に入賞。

17年の第93回日本選手権では女子史上初となる5冠を達成し、18年の第94回大会では出場4種目で計6個の日本記録を更新。同年の第18回アジア大会では史上初となる6冠を達成する活躍で大会最優秀選手(MVP)にも選ばれた。

この時点で、20年(新型コロナで翌年に延期)に行われる自国かつ池江選手の地元でもある東京五輪で金メダルを獲得というシナリオを誰もが確信していた。

しかし、19年2月に日本のみならず世界中に衝撃のニュースが走った。

「池江璃花子 白血病で入院」

TVのニュースでも速報で各局が報じ、翌日のスポーツ紙各誌も1面で掲載した。12日に池江選手本人からTwitterで公表後、日本水泳連盟による緊急記者会見が行われた。

藤田さんを含めミズノ社員には会見の直前に伝えられたという。当時のリアクションからも突如突き付けられた事実が想像に追いつかないことは明らかだった。

「白血病だと聞きまして、『白血病って何?すぐ治るやつだよね?』とか思ってしまったぐらい受け入れられなかったです。何を言っているのかと。でも段々分かってくるわけですよね。

我々が知ったのは記者会見の直前でした。『契約していただいているので事前にお話ししますね』ということで教えていただいたのですが…」

現在、池江選手の担当を務める小堀勇氣さんにも当時の心境を訊ねた。小堀さんはかつて競泳の日本代表として12年のロンドン五輪、16年は池江選手とともにリオデジャネイロ五輪代表として出場し、日の丸を背負った選手。昨年10月に現役を引退し、先輩社員から担当を引継ぎ、業務に当たっている。

小堀さん(写真右)も当時の心境を思い出しながら語った

当時、現役で共に練習に励んでいた中での衝撃だった。

「もちろん驚きでした。1月~2月の時期でしたけれども、確か1月の大会に出られていたと思うんですよ。いつもどの大会でも速く泳ぐイメージがあったのですがタイムが伸びなかったので『元気ないのかな、調子悪いのかな』と感じてはいました。

ただ、そこで病気しかも白血病だなんて全く想像していなかったので私も全く受け入れられなかったです。『なんで池江選手なんだよ』って…」

数秒間の静寂のあと藤田さんも「あれはびっくりしたなぁ…」と思わず再度こぼれるほど当時の出来事が鮮明に残っていた。

(つづく)

関連記事