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日本生命野球部・立松由宇 〜24歳、今からでも遅くない!プロ野球選手への挑戦〜

新たなる挑戦のはじまり

強豪社会人チーム相手に奮闘する

「遅いかもしれないけれどプロを狙ってみたい」立松はつぶやく。24歳となった2023年は立松にとって大きな変化の年となった。プロを目指すに至った思いの変化をこれまでの野球人生とともに振り返る。

弟と切磋琢磨したこれまでの野球人生

笑顔を見せる立松

1999年2月5日、立松由宇は双子の兄として長野県で生まれた。競馬好きの父は映画「優駿」にあやかり、兄を由宇(ゆう)、弟を峻(しゅん)と名付けた。小さい頃から隣には常に弟がいた。市内の剣道大会では由宇が準優勝、峻が優勝するライバル関係であった。

野球を始めたのは父の影響だった。野球好きだった父は息子に野球をプレーさせるため小学校1年生の時に地元の少年野球チームに連れていった。数回、少年野球チームの練習に参加したのち、すぐに野球が楽しいと感じるようになったそうだ。最初のポジションは後に長年に渡ってプレーすることになるキャッチャーであった。

高校は茨城県立藤代高校に進学する。弟も同じ高校に進学し、3番を由宇が、4番を峻が務め、兄弟で打線の中軸を担った。由宇が積極的に打ちに行くタイプであったのに対して、峻はじっくり見て打つタイプであった。由宇は「高校の時は、峻の存在があったからこそ思い切って打つことができた」と振り返る。自らが凡退したとしても後ろに控える弟の存在は心の支えになるにちがいない。そして、その積極性を大学や社会人でも続けることができ、現在でも大きな強みとなっている。

親友のような弟の存在

立正大時代にも共にプレーをした(右が由宇、左が峻)

由宇にとって峻は「家族というより親友」と言える存在であった。「常に一緒に暮らしていたので相談相手にはもってこい」だった。峻は藤代高校を卒業した後に由宇と同じ立正大学に進学した。しかし、高校時代の肩の故障が響き、結果的にリーグ戦の出場は4年秋の代打出場に留まった。峻とは現在も毎日のように連絡をとっている。東京東信用金庫で働きながら、軟式野球を続けている峻とは野球の話をよくしている。タイミングの取り方や、バッティングの際に足を上げるかどうかなど技術面の話も多い。

立松由宇が野球を現在も続けているのは父の説得があってのことだ。大学3年生の春ごろには野球は大学で辞めようと考えていた。すると、父に東京の行きつけのバーに呼び出され弟が肩を壊して野球をできないことを悔やんで泣いている話を聞かされた。由宇は社会人野球から話が来たら野球を継続することを決断した。「弟の分も野球で結果を残して活躍する」と誓った。

野球をやっていて楽しい瞬間

打席に立つ立松

近畿の古豪・日本生命野球部でプレーする立松にとって家族は大きな支えとなっている。「家族が応援しにきてくれた時は特別な感情になる。野球を続けていて良かったなと思う」大学までともにプレーをした弟、野球を続けるように背中を押してくれた父、仕事を休んで千葉から大阪まで駆けつけて応援してくれる母。「家族にカッコ良いところを見せたい」立松は応援してくれる人たちの思いも乗せて、さらなる飛躍を目指す。

自然体で試合にのぞむこと

自らの武器である逆方向への打撃をさらに磨く

立松の座右の銘は「なんとかなる」。「自分に期待しすぎていても空回りしてしまう。試合は自分がやってきたことの発表会。今までやってきたことしか出ない。」プレッシャーのかかる試合でもあくまで自然体で臨む。

試合の前のルーティーンは作らない。以前は作っていたこともあったが、「作ると縛られて緊張につながる」という理由で現在では作っていない。

プレッシャーに対しては「最低限のプレーを想定する」ことで対応する。最低限、自分のできるバッティングを想定することで打席で余裕が生まれ、良い結果につながる。

立松にとって印象に残っている打席がある。2022年11月5日の日本選手権2回戦・東京ガス戦の第2打席である。第1打席に内野安打で出塁した立松は5回裏の第2打席も本人の理想とする逆方向への打撃ができた。しかし、結果はレフトフライ。立松は「左中間の飛距離をあげたい。もう一押しあれば柵を越えることが多かった」と振り返る。これまでは右手リードの打撃を行ってきたが、現在は逆方向に打つための左手の使い方を習得しているという。

転機となったファーストへの転向

ファーストの守備につく立松

立松にとって2023年は転機となった。高校、大学そして社会人2年目まで長年に渡って勤めていたキャッチャーからファーストへのコンバート。背番号もこれまでの22から8へと変わった。

コンバートの大きな理由は石伊雄太捕手の入社である。石伊は近大工学部野球部で5度のベストナイン、2021年秋にはMVPを獲得した強肩捕手である。3年次には大学日本代表候補に選出され、昨年秋にはドラフト候補としても注目された。

また、2023年より社会人野球に導入された「スピードアップ特別規定」もコンバートの要因となった。規定では時短を狙い、投球間の時間制限が定められ、走者がいない場合には12秒以内、走者がいる場合には20秒以内投球動作を開始しなければならないとされた。また、投手の走者に対する牽制についても厳しい制限が定められた。牽制は2回まで許され、3回目で走者をアウトにできなかった場合にはボークが課せられ、走者の進塁を許すこととなる。

指揮官は頭を悩ませた。牽制の回数が制限された以上、盗塁を阻止するためには強肩のキャッチャーが必要である。そのためには肩の強い石伊をキャッチャーとして起用する必要がある。しかし、これまで正捕手として起用してきた立松も起用し続けたい。立松が監督から相談を受けたのはそのようなころだった。

キャッチャーへのこだわりがなかった訳ではない。それでも、監督から相談を受けた立松は「ポジションを移動しても良いので、日本生命の勝利に貢献したい」と自ら切り出した。「試合に出られないのは面白くない。自分の売りはバッティングだと自覚していたのでバッティングを磨こうと切り替えることができた」結局、長年に渡ってレギュラーを務めていた廣本拓也内野手が勇退したファーストでの起用が決まった。

プロへの思いが変化した2023年

社会人3年目となった今年の様子

話は2022年秋に戻る。2022年10月20日に実施された第58回プロ野球ドラフト会議で立松の名が呼ばれることはなかった。ドラフト直前に行われたテレビ番組の仮想ドラフトの企画ではプロ野球OBによりドラフト1位指名されることもあった。

本人に去年のドラフト会議について尋ねると沈黙の後に意外な答えが返ってきた。

「(プロに対して)興味がなかった」

立松は「元々、安定を求めて日本生命を選んだ」と語るようにプロの舞台で戦うつもりは当初はなかった。

しかし、さらに意外であったのはここからだ。

「今年は気持ちが変わった。プロとの練習試合をする機会もあって自分のバッティングがどこまで通用するのだろうという興味を持ち始めた」

日本生命野球部は2023年オリックス・バファローズ2軍との練習試合を行っている。また、プロ・アマ交流戦などでプロの投手と対戦する機会も多い。

ファーストでの出場が中心となったことも気持ちの変化につながった。

「キャッチャーをやっていた時はもともと日本生命を勝たせようというイメージでやっていたのですが、(ファーストの出場が増え)バッター中心となると自分の実力がどこまで通用するだろうという興味が湧き始めた」

一般的にキャッチャーは守備力が重視されるポジションである。以前のインタビューでも立松は「守備が9割、打撃は1割」と答えている。また、打順も7番や8番といった下位打線を担うことが多かった。しかし、今年は5番ファーストとしてクリーンナップを務める。今年からは「バッティングが一番」だ。「狙えるチャンスがあるのであれば、キャッチャーではない立松であっても今年一年挑戦していきたい」

困難な壁を乗り越える

ポジション転向の際にファーストミットが必要になり、弟の峻(左)にグラブを借りに行ったときの様子

確かに、年齢を重ねるごとにプロを目指すことは難しくなる。しかし、遅いなんてことはない。日本生命OBである阿部翔太投手は社会人6年目となる2020年・27歳の年にオリックス・バファローズにドラフト6位で指名された。そして、2年目にブルペンの柱に定着し、チームのリーグ優勝・日本一に大きく貢献した。

立松と同じ近畿の企業チーム・日本新薬でプレーしていた福永裕基内野手は二度の指名漏れの後にラストチャンスと臨んだ社会人4年目の2022年に支配下69人中、69番目に中日ドラゴンズから7位指名を受けた。そして、1軍で活躍している。

筆者が立松にそう伝えると「よし、頑張ります」と小さく答えた。立松は今日も夢を追い続ける。

(写真提供:立松由宇/文責:円城寺雷太)

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