わずか20数年で驚くほど進化した、MLBのデータ野球

広尾晃のBaseball Diversity

作家マイケル・ルイスのノンフィクション「マネーボール」で紹介されたように、オークランド・アスレチックスは、市井の研究者、ビル・ジェームスが創始した「セイバーメトリクス」を選手補強に取り入れ、2001年以降、安い年俸で、好成績を上げる「奇跡の球団」に変貌した。


長くは続かなかったアスレチックスの天下

ブラット・ピット主演の映画「マネーボール」では、主人公のアスレチックスGMビリー・ビーンが、チームを変貌させ、大成功を収めたところで終わっている。

このまま、アスレチックスの「成功物語」が続いていくのかと思われたのだが、それは長くは続かなかった。

2006年、アメリカン・リーグ西地区での優勝を最後に、アスレチックスは再び低迷した。

なぜ、アスレチックスの優位が続かなかったのか?それは、アスレチックスの成功を知ったMLBの他球団が「我も我も」とセイバーメトリクスの専門家を雇用し、データ野球でチームの改革を進めたからだ。

経済的に弱小だったアスレチックスはセイバーメトリクスの価値基準で「安い年俸で隠れた優秀な選手」を獲得したが、金満球団は、統計学や情報工学、金融工学などの専門家を雇用して、セイバーメトリクスをより高度なものへと進化させた。

具体的に言えば、これまでのセイバーメトリクスは、MLBが公式に発表している安打、本塁打、投球回、奪三振などの記録を、統計学的に加工して指標を作っていた。セイバーメトリクスの研究家は、試合にスタッフを派遣するなどして、さらに細かなデータも録っていたが、資金的な問題もあってそれは限定的だった。

しかし金満球団は、もともとアドバンススカウト(NPBでいう先乗りスコアラー)が膨大なデータを持っていたうえに、専属スタッフを雇用して、投打、守備のさらに精細なデータを記録し始めた。

そしてそれをもとに、選手の評価や、育成、強化の指針を打ち出し始めた。これによって、セイバーメトリクスは飛躍的に進化した。

PITCHf/x、スタットキャストの登場

MLB機構も、セイバーメトリクスに注目し、これまでの公式記録だけでなく、公式サイトで、試合の投打のデータを公表することとした。2006年には、PITCHf/xという投手の球速や回転数などのデータを測定するシステムを導入、全試合のデータを測定し、それを「Game Day」というコーナーでオンタイムで紹介した。

もともと、アメリカには「ファンタジー・ベースボール」という、シミュレーションゲームが人気だったが、そのゲームユーザーはPITCHf/xによる「Game Day」に飛びついた。

こういう形で、アスレチックスによって起こされた「データ革命」は、MLB全体に普及し、MLBの野球そのものを大きく変えていった。

セイバーメトリクスの指標は、さらに高度化した。従来、投打に比べて守備のデータは測定が難しかったが、守備データもUZRやプラスマイナスシステムなど様々な指標で、数値化されるようになった。

従来は、投手と野手の記録は別々に評価されていたが、投球、打撃、守備の膨大な指標を組み合わせて、全選手の試合での貢献度を表すWAR(Wins Above Replacement)という指標も考案された。WARはまさに究極の指標と言ってよい。

WARは、2007年頃から使われ始めたが、WARの登場によって、これまでの打率、打点、防御率、守備率などの指標は一気に陳腐化した。

今や、MVPやサイ・ヤング賞、さらにはシルバースラッガー(打撃のベストナイン)、ゴールドグラブ(守備のベストナイン)などの指標は、WARが最大の判断基準になっている。

PITCHf/xは、投手のデータしか録ることができなかったが、2015年、弾道測定器「トラックマン」と画像解析システムを組み合わせた「スタットキャスト」が導入されると、投手だけでなく打者の打球速度や角度などもオンタイムで表示されるようになった。

トラックマン

「フライボール革命」

守備の指標がオンタイムで示されるようになって以降、野手は、打者ごとに打球が飛びやすいゾーンの傾向を割り出して、予めそのゾーンに移動して守るようになった。これを「極端な守備シフト」という。

これによって、リーグ打率は急落したが、今度は、それに対抗するため、打者は打球を打ち上げて本塁打を狙うようになった。

これを「フライボール革命」という。「スタットキャスト」などデータでは、打球速度が時速158キロ以上、打球角度が26度~30度(バレルゾーン)で上がった打球が最もヒットやホームランになりやすいことが明らかになった。そして打球速度が上がれば、バレルゾーンは大きくなるので、打者は打球速度を上げることに専念し始めた。「ブラスト」など、そのための機器も開発された。

また投手は、球速だけでなく回転数や回転角度、変化量などのデータも出るようになったので「どんな球種が、打者に打たれにくいか」を割り出して、自らの投球を「デザイン」するようになった。

バットに装着されたブラスト

「セイバーメトリクス」から「バイオメカニクス」へ

従来、データ野球は統計学の流れをくむ「セイバーメトリクス」が主流だったが「スタットキャスト」のデータが急速に普及するとともに、「バイオメカニクス(生体工学)」が、重視されるようになった。

選手が試合で高いパフォーマンスを発揮するためには、打者は打球速度を上げることを第一に考えるようになり、その上でバットにボールを当てる「コンタクト率」を高めることが必要になった。打者は「ブラスト」などの計器をバットに装着して打撃練習を行い、打球速度を上げるとともに、理想の確度に打つための打撃フォームを編み出すようになった。

また投手は、打者に打たれにくい球種を「トラックマン」や同様の弾道測定器である「ラプソード」などを使って、フォームを自分で開発するようになった。

ラプソード

そうした技術を専門的に扱う「ドライブライン」のような専門のジムも誕生し、MLBのデータ化は異次元のレベルに達した。

2020年、MLBは「スタットキャスト」のトラッキングシステムを「トラックマン」から「ホークアイ」に換装した。「ホークアイ」は、従来の弾道測定器ではなく、複数のカメラでとらえたデータを瞬時にCG(コンピュータグラフィック)化することができる。また従来はボールの動きしかとらえられなかったが、「ホークアイ」は、人の関節レベルの動きも捉えられるため、守備データもオンタイムで計測できるようになった。

「ホークアイ」が導入されて以降、MLB公式サイトの「Game Day」ではグラウンド上にいる野手の動きも、投打の動きと同時に表示するようになった。

ラプソードで表示される画像データ

データ野球を制する者が野球を制す

大谷翔平が、MLBで空前の大成功を収めているのは、もともとの資質に加えて「ドライブライン」に通って、投打のデータを計測し、どんなフォームでどんな球を投げるべきか、またどんなスイングでどんな角度にボールを打ち上げるべきか、の指標を得て、その数値を目標にして、トレーニングをしたことが大きい。

今季から再びDeNAで投げることになったトレバー・バウアーも「ドライブライン」で自らの投球をデータ化して、投球をデザインしている。

「マネーボール」が世に出てわずか20年で、MLBは「データ野球」が完全に主流になった。

これに対してNPBでは「ホークアイ」や「トラックマン」「ラプソード」は、全球団が装備しているが、まだ「スタットキャスト」のようなものはない。

データを使って自らのフォームを構築している投手、打者がいる一方で、未だに昔のやり方でトレーニングをするように指導する指導者もいる。

「情報化」によって、日米のプロ野球は、大きく差が開いたと言える。

そして「データ野球」の世界を知った有望な日本人選手は、次々とMLBに移籍しようと考えるようになったのだ。

トラックマンと同じ位置に装着されたホークアイのカメラ

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