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報徳学園でイップスになり投手を断念 野手転向で開花した東北福祉大・佐藤悠太がバットに込める思い

報徳学園から東北福祉大へ。どちらもアマチュア球界の名門だが、佐藤悠太(3年)は決してエリート街道を歩んできたわけではない。高校2年の秋に投手を断念し、外野手に転向。3年夏はベンチ入りするも背番号は「20」だった。地元を離れて進学した東北福祉大で右の強打者として才能が開花。6月10日に初戦を迎える全日本大学野球選手権で「野手・佐藤悠太」をお披露目する。

トレーニングの成果出し3年春にキャリアハイ記録

佐藤は東北福祉大で1年秋にリーグ戦デビューを果たし、2年春には初本塁打を放った。3年目を迎える今春は全試合で3番を打ち、打率.378(45打数17安打)、2本塁打、10打点とキャリアハイの成績を残してベストナインを獲得。接戦を制した東北学院大1回戦で2本塁打と決勝打、優勝のかかる仙台大1回戦で先制打を飛ばすなど、要所で勝負強さを発揮した。

東北学院大1回戦で本塁打を放ち、ベンチで手荒い祝福を受ける(背番号5)

下級生の頃はリーグ戦で経験を積みながらも手応えをつかめず、「3、4年生で結果を出す」ことを念頭に置いて練習に励んだ。特に力を入れたのが体作りで、ウェートトレーニングや食トレにより入学当初は76kgだった体重を85kgまで増やした。

計画通り、3年春にブレイク。佐藤は「3年目に合わせて取り組んできたトレーニングの成果が出た。チームが優勝した1年秋は最終節の仙台大戦だけベンチを外れたので、大学で初めて優勝の輪に入れて嬉しかったです」と充実のシーズンを振り返る。

「これはもう、終わったな」強豪高校で味わった絶望

佐藤は神戸市出身。小学3年生の頃に野球を始めて以降、メインポジションは投手だった。中学時代はヤングリーグ兵庫西支部の選抜チームに選出され国際大会に出場。投手として高い評価を受け、プロ野球選手を多数輩出している強豪・報徳学園高に進んだ。

高校入学時は140キロ近い速球を武器に持っており、早い段階でAチームに帯同した。しかし公式戦のマウンドは踏めず、2年時に大きな挫折を経験する。

高校2年時までは投手としてプレーした

痛みを感じていた右肘をかばいながら投げていた2年秋、ブルペンでの投球時に今度は肩を痛めた。「これはもう、終わったな」。この日のブルペンを機にイップス気味になり、打撃投手を務めた際、ストライクがほとんど入らない状況に陥った。

自慢の球速も120キロ前後まで低迷。佐藤は当時を「やる気がまったくなくなって、腐ってしまった。自分が成長するために練習するというよりは、『早く終わらないかな』と思いながら練習している感覚でした」と回顧する。

転機になった野手転向、毎日1時間の素振りで急成長

そんなある日、指導者に野手転向を勧められる。「そういう選択肢もあるんだな。面白そう」。翌日から早速、野手の練習に加わった。

当初はバットを重く感じ、打撃練習の際は空振りばかりで打球を前に飛ばすのも一苦労だった。危機感を覚え、自主練習で打撃を強化。午後10時頃に練習から帰宅し、そこから約1時間ひたすら素振りをする毎日を送った。

高校3年時には野手としての才能の片鱗を見せた

野手転向から1か月ほど経つとBチームで主軸を任されるまでに適応し、3年時は春夏ともにベンチ入りを果たした。春はノック中に足を骨折して途中離脱し、かろうじて間に合った夏は背番号20。それでも、最終的にはスタメンで起用されるまでに成長を遂げた。そして何より、一度は嫌いになりかけた野球を再び楽しめるようになった。

元々、高校卒業後の進路については「野球をやめて受験するしかない」と考えていたものの、報徳学園・大角健二監督の「もう少し続ければ野球で上の方に行ける」との言葉に奮起し、競技継続を決意。自身で調べた上で「一番プロに近い」と感じた東北福祉大への進学を志願しそれをかなえた。

支えてくれた両親に「活躍喜んでもらえたら嬉しい」

大学では順調に歩みを進めている。飛距離のある強烈な打球を飛ばせるのも持ち味だが、本人は「長距離砲とは思っていない」。打席では「シンプルに強いスイングをして、強いライナーを左中間に打つ」ことを心がけており、本塁打は意識していないという。

昨秋は打撃がもう一段階進化するきっかけもつかんだ。下級生の頃は片目でボールを見ていたが、山路哲生監督から「両目でしっかりボールを見ろ」と助言を受け、正面を向いて打つカブス・鈴木誠也の構えを真似ると確実性や変化球への対応力が上がった。最大の魅力である打撃はもちろん、「プロに行くためにはまだ全部、全然足りないので、総合力を高めたい」と話すように、4年間で走攻守すべてを磨くつもりだ。

全日本大学野球選手権でも活躍を誓う

小学生の頃、唯一の兄弟である弟を亡くした。佐藤は両親に対し、「つらい思いをしたと思うけど、不自由なく野球ができるよう自分のために時間を割いてくれた。練習についてきてくれたり、お弁当を作ってくれたりと、支えてもらいました」と謝意を示す。両親はリーグ戦期間中、ほぼ毎週、神戸から仙台まで駆けつけて試合を見守ってくれている。「全国の舞台で活躍している姿を見せて、少しでも喜んでもらえたら嬉しいです」。感謝を込めてバットを振る。

(取材・文・写真 川浪康太郎)

読売新聞記者を経て2022年春からフリーに転身。東北のアマチュア野球を中心に取材している。福岡出身仙台在住。

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