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7人の草野球チームから二刀流で世界の舞台へ 「ジャンク野球団」が“野球×Baseball5”で築きあげる改革の軌跡

3月、香港で開催された「第3回 Baseball5 アジアカップ2026」。侍ジャパンBaseball5代表はアジア準優勝に輝き、12月にプエルトリコで行われるワールドカップへの出場権を獲得した。

この侍ジャパンBaseball5代表として日の丸を背負った全10選手のうち、半数の5選手を輩出したのが、一般社団法人「ジャンク野球団」である。

ジャンク野球団を母体に持つジャンク5エレメンツはBaseball5の日本選手権で3回中2回優勝を果たすなど強豪としての地位を築いている。そのルーツは現在も続く「ジャンクベースボールクラブ」という軟式野球チームにある。

一つの草野球チームが約20年にわたり進化し続けてきたストーリーを、代表を務める若松健太氏(桜美林大学教授)と共に振り返る。

(取材 / 文:白石怜平)

札幌で誕生した草野球チームが上京し、強豪へと進化

函館出身の若松氏は高校まで硬式野球に打ち込み、日本体育大学への進学に伴い上京した。準硬式野球部に入部するも早々に怪我を負ってしまい、選手としての道を断念せざるを得なくなる。

それでも野球への情熱は絶えることはなく、草野球でプレーを続けた若松氏は卒業後に鍼灸師・柔道整復師の国家資格を取得したのちに、札幌で医療業界に従事していた。

北海道でジャンクベースボールクラブを創設した若松健太氏(写真は1月の選手権時)

当時札幌の仲間と結成した草野球チームが「ジャンクベースボールクラブ」で、今へとつながる原点が北の大地で育まれた。

そして若松氏は医学博士取得を志して再び上京した07年、札幌で共に白球を追いかけていたメンバーも時同じくして上京しており、再会をきっかけに東京でもう一度活動をスタートさせた。

当初は7人のみのチームだったが、最初の転機が09年に訪れる。

「私が楽天の臨時トレーナーを務めていて、久米島キャンプに帯同していました。それがきっかけで、聖澤諒選手と関係を深めるようになったんです」

彼は國學院大出身で同級生や後輩の選手を紹介してくれて、ジャンクとしては卒業後も野球ができる受け皿になることができた。そこから真剣に勝利を目指して取り組むチームに変革しました」

北海道で結成し、東京で成長を重ねていく(若松氏提供)

そして若松氏は教育の道を進む。母校である日体大での非常勤講師などを経て、16年に現在も教鞭を振るう桜美林大でも勤めることになった。この年に今も野球そしてBaseball5の両面で欠かせない選手と出会った。

「後々に硬式野球部の副部長をやることになるのですが、佐々木千隼投手(現DeNA)の同級生で共にレギュラーとしてプレーしていた島拓也がジャンクに入団してくれました」

島はBaseball5においては22年に日本が初めて出場したワールドカップから代表入り、24年の国際大会全てで主将を務めた。3月のアジアカップでも侍ジャパンBaseball5代表としてプレーするなど、日本を代表する選手。

ジャンクベースボールクラブでも監督兼選手としてチームを引っ張っており、ベースボール型競技の二刀流選手として今も活躍を続ける。

侍ジャパンの中心も担う島拓也(写真は1月の選手権時)

なお、ジャンクベースボールクラブは横浜市緑区の区民大会で7連覇中、軟式野球における関東最強リーグとも称される「Victoriaリーグ」の1部に属するなど、こちらも強豪として今も存在感を放っている。

六角彩子選手との出会いで、Baseball5への扉が開く

軟式野球で着々と戦績を上げ続けてきた中、18年に再び転機が訪れた。それはこの年に草野球チームとしては日本初の一般社団法人化したことだった。

若松氏はその背景について明かしてくれた。

「高校で甲子園出場経験があったり、大学でも中央球界で活躍した選手がどんどん入団してきた中、『野球人口が減っているので何かできないか』と考えるようになりました。

周囲からアドバイスをいただく中で、社団法人にすることで活動の幅が広がることが分かったので、次のステップへと考え法人化して『ジャンク野球団』として再スタートしました」

社団法人化し、社会貢献活動も積極的に行う

そして20年、ついにBaseball5へと本格参入することになる。かねてから競技の存在を知っていたが、共通の知人をきっかけに六角彩子選手と出会ったのをきっかけに、チームを挙げて競技へ取り組むことになる。

「20年の10月頃に2人で話す機会がありました。それで六角選手が『若松さん、Baseball5って知っていますか?』という話になりました。知っていたので六角選手にお願いして12月に大宮で講習をやってもらいました」

六角選手は競技が日本に上陸した19年から関わっており、同年日本で唯一のWBSC(世界野球ソフトボール連盟)公認インストラクターにも就任している。

ジャンク野球団がBaseball5にも挑戦しようと考えた理由は、野球というスポーツを世界的に見た時の立ち位置を鑑みてだった。

「競技人口減少に加えて、野球とソフトボールがオリンピックの正式競技から外れていることにも危機感を感じていました。Baseball5はベースボール型スポーツを馴染みの薄い国にも普及するためにできたスポーツだと知って賛同しました」

六角選手からレクチャーを受けた直後に、Baseball5のチームである「ジャンク5」を結成。野球との二刀流という形で本格的にスタートさせた。

21年には東京2020パラリンピックの「ファンパーク」にも参加した(若松氏提供)

22年からは舞台を世界にも移し、監督・代表選手として戦う

ただ、当時は普及し始めた段階だったためチームはジャンク5と六角選手が結成した「5STARs」くらいしか存在していなく、手探りの状況だった。

それでも野球の前にBaseball5の練習をメニューに組み込むなど、毎週欠かさず活動を継続した。チームのYouTubeチャンネルでもその模様を発信するなど、スキルアップと競技普及の両立を図っていった。

動画を見た全日本軟式野球連盟の審判団からアドバイスを受けるなど、地道な活動は着実に周囲に認知されていく。

そして22年、ようやく具体的な目標が定まった。それは“大会で優勝すること”。同年8月にアジアカップが初めて行われるため、日本代表決定戦に臨んだ。

優勝チーム=日本代表チームという位置付けだったこの大会で頂点を目指すも惜しくも準優勝。それでも「ここから日本代表を意識し始めました」と、チームのモチベーションが一気に高まった機会になった。

初めて行われた公式大会日本代表を意識するきっかけに(若松氏提供)

同年の11月に次の国際大会である「WBSC Baseball5ワールドカップ2022」にて、ジャンク5と5STARsのメンバーで構成されたことから早くも日本代表入りを果たす。

若松氏は代表コーチに就任し、選手も大嶋美帆・島拓也・三上駿の3名が代表入り。

24年には日本選手権が初めて開催されると、その初代チャンピオンに輝く。

同年の国際大会では若松氏が代表監督・島が主将に就任。選手も上述の3名に唐木恵惟子を加えた4人が選出され、アジアカップ優勝・ワールドカップ準優勝の成績を収めた。

「本当にシンデレラストーリーですよね。選手権や日本代表に“侍ジャパン”という名前を冠してもらったり世界を舞台に戦ったりなど、(Baseball5の)スタートから瞬く間に駆け上った感じです」

島と同じく侍ジャパンを牽引する三上駿(写真は1月の選手権時)

コート内外での進化を続け、日本Baseball界の象徴的存在へ

昨年は社団法人としてかねてから注力していた教育と競技の連携を深め、独自の取り組みを数々展開してきた。若松氏のアイデアで実現した特別支援学校による体験会はWBSCからも紹介され、世界中からの注目を集める。

また、同じアーバンスポーツである3×3 バスケットボールチームである「ADDELM ELEMENTS.EXE」と提携し、「ジャンク5エレメンツ」に改称。

金沢市の企業とも手を組み地方創生も推進するなど、コート以外の活動を通じて普及を推進してきた。

迎えた26年、チームは国内で圧倒する力を見せた。1月に行われた第3回日本選手権では2大会ぶりに王座奪還を果たしたが、内容は5試合全てストレート勝ち、失点も10セット50イニングでわずか3点に抑えるというものだった。

2大会ぶりの選手権制覇は文字通り圧倒した結果だった

そして2年ぶりに行われたアジアカップ。世界を熟知する島と三上に加えて日本選手権で男女のMVPに輝いた東翔紀・安立梨子が代表に初選出され、準優勝の原動力となった。

来年は結成から20周年を迎える。若松氏はジャンク野球団としての未来を語った。

「人間力が高いメンバーが集まれば、こんなことまでできる!ということを表現し続けたい。

0を1にすることはとても難しいしエネルギーも必要ですが、ジャンクなら何事にもチャレンジして改革を起こすことができると思います。

野球のみの視点にとどまらず、ベースボール型スポーツというフィルターを通して、教育界・企業・自治体などと連携をしながら教育、社会貢献などの活動をしていく。このことが草野球も含め野球界にとって少しでも普及につながると考えています。

若い子たちも入部してきているので後継者も育てたいですし、メンバーの人生をとにかく豊かにしたいです!」

ベースボール型競技で人生を豊かなものにしていく(若松氏提供)

札幌で誕生した草野球チームから始まり、一般社団法人化そしてBaseball5への参入など、ベースボール型スポーツで重ねてきた挑戦はこの先もとどまることはない。

(了)

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