ベガルタ仙台 30周年から始まる未来に向けて~梁勇基氏・富田晋伍氏に聞く~

ベガルタ仙台は、今年設立30周年を迎える。この記念すべき年に「みんなで描くベガルタの未来 EVER GOLD SPRIT」というキャッチフレーズを掲げ、今までのクラブの歴史を振り返りながら、将来の発展のための礎を積み上げている。

今回の記事では、現在はベガルタ仙台のクラブコーディネーターである梁勇基氏と、同クラブのクラブコミュニケーターである富田晋伍氏という二人のベガルタ仙台OBに、現役時代の思い出話やべガルタ仙台のアカデミー(下部組織)の様子、そしてベガルタ仙台の未来について話を聞いた。

現役時代のほとんどをベガルタ仙台でプレーし、現在はクラブコーディネーターでもある梁勇基氏

2008年の悔しさと2009年のJ1昇格

最初に、お二人がベガルタ仙台でプレーしていたころの、印象に残っている試合を挙げていただけますか。

梁勇基氏(以下、敬称略)「私は自分のプロデビュー戦となった2004年のサガン鳥栖戦と、2008年のジュビロ磐田との入れ替え戦が印象に残っています。また、ベガルタ仙台での試合というわけではないのですが、東日本大震災後に大阪で開催されたチャリティマッチも印象深いゲームのひとつで、最後にカズさん(三浦知良・元UDオリヴェイレンセ所属)がゴールを決めてカズダンスを踊ったことも、記憶に残っています。」

富田晋伍氏(以下、敬称略)「私も2008年のジュビロとの入れ替え戦、特にアウェイになった第2戦目は印象深いゲームですね。また2011年の東日本大震災の後にしばらくJリーグのリーグ戦が中断になった時期があり、その後のリーグ再開第1戦となった川崎フロンターレ戦もよく憶えています。」

その時の川崎フロンターレ戦では、会場の雰囲気も含めてかなり印象的だったなという記憶があります。

富田 「そうですね。あのような大きな災害があった直後だったにもかかわらず、たくさんのファンがスタジアムに駆けつけて下さいました。あの日の光景は一生忘れることはないと思います。」

では、お二人にとって思い出に残るようなシーンや印象に残っているゴールシーンというのは、どのようなものになりますか。

梁「2009年の終盤にホームで直接対決となったセレッソ大阪戦(2009年11月22日)で、ナオキさん(千葉直樹選手)からのパスを、朴柱成がヘディングで決めたゴールですね。そのシーズンはセレッソ大阪とベガルタ仙台が、最後までずっと競りあっていたんです。その直接対決となったホームの試合では、ずっと0-0でゲームが進行していたのですが、試合終了間際のラスト5分も無いくらいの時間帯に、右からのクロスを左サイドバックにいた朴柱成がヘディングでゴールを決めたシーンが、一番最初に思い浮びました。」

富田「私の場合は自分が初アシストしたゴールですね。確か梁さんのシュートをアシストしたもので、2007年のホームの試合で愛媛FC戦(2007年6月23日)だったと思います。

 田ノ上さん(田ノ上信也選手)から横パスを貰ったのをダイレクトで入れて、梁さんが左サイトから巻いてゴールを決めたシーンです。自分の初アシストでしたし、思い通りに自分が狙った球筋にボールを出せて、それを梁さんが決めてくれました。そのころはちょうど自分も試合に出始めたころで、自分が結果を出せたと思えた試合だったことあり、よく憶えています。」

そのセレッソ大阪戦はもちろんですが、2009年自体が非常に印象深い年ではありましたね。

梁 「2009年は思い出深いシーズンですね。ジュビロ磐田との入れ替え戦でJ1昇格を逃して悔しい経験をした2008年から、J1昇格を決めた2009年の2シーズンは、個人としても非常に濃い時期だったと思いますし、チームが最も成長したシーズンだったと思います。クラブとしてもターニングポイントになった年なのではないでしょうか。すごく充実していましたね。」

現役時代べガルタ仙台プレー時の梁氏の背番号は「10」。

では、お二人がご自分で決めたゴールで、記憶に残っているものはありますか。

梁 「そうですね、2009年に福島開催(2009年5月29日に福島県営あづま陸上競技場での開催)となった横浜FC戦で決めたループシュートや、2015年にホームで浦和レッズと戦ったとき(2015年5月10日)に切り返して切り返して決めたゴール、確かその試合は最終的に4-4で終わったと思いますが、その時の4点目ですね。そして2009年だったと思うのですが、アウェイでのサガン鳥栖戦(2009年7月19日)のフリーキックによるゴールなどが、私が好きな自分のゴールでしょうか。」

富田 「ちなみにその浦和戦のゴールでは、私がアシストしてます(笑)。」

梁 「確か奥埜から晋伍に入って、晋伍からの横パスを受けてのゴールだったかな。」

富田 「そうですね。私の場合は、2007年シーズンのアウェイの水戸戦(2007年6月27日)での初ゴールですね。実はその初ゴールを決めた日が、ちょうど祖父の命日だったと試合修了後に父が話してくれたんです。そのため、私にとって印象深い初ゴールになっています。」

現役時代の18年間をべガルタ一筋でプレーした富田晋伍氏

日々変わる練習場とトレーニング後の時間の大切さ

今回の30周年事業の柱のひとつとして、現在ベガルタ仙台が使用している練習グラウンドの整備があります。かつてお二人が現役でプレーしていたころには、練習場所が確保できず、さまざまなグラウンドを転々としながらトレーニングを続けていた時期もありました。その頃のことを話していただけますか

梁 「当時はそれが当たり前というか、色々な場所に行かないと練習ができなかったんです。そのため、その日によって異なるグラウンドでトレーニングをすることが必要でした。車で30分から40分かけて練習場に行って、トレーニングをした後にシャワーも浴びず、また車で30分から40分かけてクラブハウスに帰ってくるという状況は、選手にとって望ましい状況ではなかったのは事実です。

 今でこそ、選手たちは練習が終わったらすぐに、クラブハウスでシャワーを浴びて食事も取れますし、体のケアをすることもできます。スポーツ選手である以上、トレーニングの時間はとても重要ですが、トレーニング後のリカバリー(体のケアや回復)というのも、とても大切な時間なんです。ですから練習後もより充実した環境があるのは選手にとって非常にありがたいですし、体のケアや回復のために充実した時間をとることができれば、試合中のパフォーマンスにも必ず良い影響を与えます。そうした意味では、以前の練習場が整っていない環境というのは、選手にとって大変な環境だったといえるでしょうね。」 

富田 「このクラブに入ってからしばらくの間、いろいろな地域のグラウンドをお借りして、練習をしていました。当時、毎日変わる練習場所には、選手が個人の車で行くこともありましたし、一度クラブハウスにみんなが集合した後にチームバスで練習場へ移動したこともありました。

 その日によって練習場所がクラブハウスから近いこともありますし、逆に遠いこともあります。そうすると、クラブハウスへの集合時間も毎日変わってしまいます。そのため日々の行動がどうしても時間に縛られてしまい、そのことがストレスとなったこともありました。

   また当時は、毎日、選手自身が翌日の練習場所と練習時間を確認する必要がありました。私自身はその頃には特に意識していなかったのですが、今のように環境が整った状況を経験すると、あの頃の選手たちは日々変わる練習場所を毎日確認すること自体にもストレスを感じていたことにも気がつきました。

 そうした経験から、毎日決まった場所でトレーニングができるのは、一見当たり前のようですが、選手にとってはとても大事なことであると考えています。

 今回の30周年事業でグラウンドやクラブハウスの環境が良くなれば、選手たちのプレーやパフォーマンスも向上しますし、チームの結果につながってきます。そうした環境で練習ができる未来の選手たちが、うらやましいと思いますね。」

現在、ベガルタ仙台の選手は泉サッカー場や紫山サッカー場で練習をしています。その一方で、べガルタ仙台のアカデミーの選手は、泉パークタウンで練習をしています。実は30周年事業で現在の練習場を改修したら、近い将来にはトップチームの選手からアカデミーの選手まで、同じ練習場でトレーニングできるようにしようという構想が持ち上がっています。そのような計画の意義について、トップチームでのプレーを経験したお二人のご意見をお聞かせください。

梁 「もう少し先の話になるかもしれませんが、新しいグラウンドが完成して、もしアカデミーの選手からトップチームの選手までが同じ練習場でトレーニングできるようになれば、まず子どもたちに良い影響があると思います。日々トップチームの選手のプレーを文字通り間近に見ることができれば、子供たちは『自分は近い将来にベガルタ仙台の選手になるんだ』という明確な目標ができるでしょう。またアカデミーの選手たちも、ベガルタ仙台のアカデミーで頑張って、そのままベガルタ仙台のトップチームで活躍する、という意識にも繋がると思います。また、私自身がそうした環境を実際に見てみたいという楽しみもあります。」

富田「私がユースの選手だった東京ヴェルディでは、ユースの選手とトップチームの選手が、同じクラブハウスを使っていたんです。練習するグラウンドはそれぞれ別々でしたが、それでも憧れのトップチームの選手を身近に感じられました。また何よりも、トップチームの選手の練習を目の前で見ることができるのは、とても良い勉強になります。また、ユースの選手がトップチームの練習に加わることも頻繁にあり、ユースの選手にとって非常によい刺激になっていたと思います。

 そうした経験があるので、実はベガルタ仙台に入った時にユースの選手とトップチームの選手が別々に練習していることを知って、少し寂しさを感じていたこともありました。

 グラウンドが改修され、ユースやアカデミーの選手がトップチームと同じ場所で練習できれば、子どもたちにも良い刺激になりますし、クラブにとっても良いことだと思います。」

現役時代の富田氏

未来を育てるために

お二人はアカデミーのジュニア、ジュニアユースなどの若い選手の練習を見る機会も増えているようですね。お二人から見て、例えばベガルタ仙台のアカデミーの選手の印象というのは、どのようなものでしょうか。

富田「私が実際に何度かアカデミーの練習に参加して気が付いたのは、真面目で大人しい子が多いということでした。監督やコーチから言われたことに対して、真面目に取り組む子どもが多いのは本当に素晴らしいことだと思います。

 とはいえ、プロの世界では自分を出すことも必要になってきます。また、よりレベルの高い環境でプレーをするためには、監督やコーチから言われたことだけを真面目に取り組むという姿勢では、厳しいことが多いです。その意味では、ちょっと物足りないな、と感じてしまうこともありました。

 でも、練習が終わってから、積極的に私に質問をしてくれる子もいたりして、少しは自分がアカデミーのトレーニングに参加した意味もあるのかなと思いました。」

梁 「私も練習に参加したり見に行く機会が増えたのですが、ジュニアの選手もジュニアユースの選手も、一生懸命に本当に熱量を持って練習をしてます。また、自分がジュニアやジュニアユースの年代だった時と比較しても、今の選手の方がもっと高い意識をもっています。これからベガルタ仙台の若い選手たちが、東北はもちろん全国でも勝つことができればよいなと楽しみにしています。」

今回の30周年事業に向けて、クラブはべガルタ仙台のサポーターやファンの方々に、さまざまな形でご協力をお願いすることになりました。クラブの歴史をよく知るお二人から、ベガルタ仙台のファンやサポーター、そして仙台・東北にゆかりのある方々へ一言メッセージをいただけますか。

梁「私は2004年にベガルタ仙台でデビューして、J2で苦しい時期を長く過ごした後に、J1への昇格を経験しました。嬉しいことや苦しいこともありましたが、その過程には常にサポーターやファンの方々の熱い応援がありました。

 だから私は、一緒に戦ってきたサポーターやファンの方々も含めた形が、べガルタ仙台というチームでありクラブだと考えています。

 これからベガルタ仙台がより発展して、大きく強いクラブになっていく過程も、サポーターやファンのみなさまと一緒に歩んでいけたら、将来はきっと良いクラブになっていくだろうと思います。そんな将来のために、今回みなさまにご協力をお願いさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。」

富田「私は現役選手を引退して2年ほど経ちましたが、実は引退した今の方がサポーターやファンのみなさまの熱量を感じることが頻繁にあります。もちろんそうした思いは、トップチームの選手やアカデミーの選手たちに必ず伝わります。また、プレーをしている選手たちにその熱量が加われば、必ず良いクラブになると思っています。

 このクラブをもっともっと大きく強くしていくためには、チームだけあるいはクラブだけで目標を達成することはできないと思います。ベガルタ仙台のより良い未来のために、ぜひサポーターやファンのみなさまのお力添えをいただければ、一人のベガルタ仙台のOBとしてとても嬉しいです。ご協力どうぞよろしくお願いいたします。」

「一緒に戦ってきたサポーターやファンの方々も含めた形が、べガルタ仙台というチームでありクラブ」という梁氏の言葉は、サポーターやファンの支えがどれほど重要なものであるかということを、的確に表現しているのではないだろうか。

30年にわたる歴史の中で、クラブが特に大きな変化を経験した時期にプレーヤーとして活躍していた梁氏と富田氏の二人にとって、サポーターやファンの声援は何物にも代えがたい、ベガルタ仙台の選手としての存在証明であったに違いない。

次の30年に向かって、べガルタ仙台はサポーターやファンとともに、東北の地で新たな歴史を刻み続ける。

(文・對馬由佳理)(写真提供・ベガルタ仙台)

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