元日本ハムの千葉科学大学硬式野球部・嶋田のぶとし監督「野球部から大学、銚子市を変えていこうぜ」
千葉科学大学硬式野球部が本格的に活動を開始した。元日本ハム・嶋田のぶとし監督の下、10人という少人数でのスタートだが野球への情熱は負けない。「野球部と大学の存在を広く知ってもらいたいです」と語る。

~大学野球には周囲を動かす力がある
「選手には『野球部の活動を通して、大学と銚子市を変えていこうぜ』と常に話しています」と力強く語り始めてくれた。
「私は年齢的(66歳)にも、千葉科学大学での野球が最後の野球だと思っています。一緒にプレーはできませんが、出会えた選手達と同じユニフォームを着て野球ができることは最高です。あとは結果を出し、大学の内外へ周知できれば全てが変わってくると信じています。野球にはそれだけのパワーがあると思います」
「かつて野球で盛り上がっていた銚子市が、今は元気がないとも聞くので、『地元の大学野球が面白い』となれば地域にも活気が出るはずです。千葉科学大学野球部の活動が地域の活性化に繋がれば幸いです」
千葉科学大学は2004年開学、日本初となる危機管理学部、そして薬学部、看護学部の3学部で構成されている。野球部グラウンドは太平洋に面するマリーナキャンパス内にあり、週1回は銚子市営球場を使用して練習に励んでいる。
「金曜は13時から17時まで銚子市営球場を使用します。それ以外はキャンパス内の野球部グラウンドで17時から2時間程度の練習。附属高校も使用するため、両チームで時間を分けて使用します。授業との兼ね合いで大学は夕方からです」
現在の部員構成は3年1人、2年2人、1年7人の合計10人。地元・千葉県出身は3人で、他は全国各地から集まってきている。
「今春から千葉県大学野球連盟への参入を予定していましたが、至らなかった。しかし、現在は10人揃ったので今秋のリーグ戦から参入します。1人欠けてもぎりぎりの状態ですが、来年入ってくる新入生のためにも何とか形を作っておきたいです」
「選手集めに動き始めたのは昨年の夏からでしたので、かなり限られた時間ではありましたが『試合ができる人数』の確保ができたのは本当に嬉しく思います」
「全力で選手集めを行いました。繋がりのある全国各地の高校へ出向き『意欲ある選手を預けてください』とお願いしてきました」
今季は10人での活動となるが、来季2027年に向けての動きを引き続き行なっている。「指導・教育を考えれば、まずは部員30名くらいが最適だと思います」と青写真を語ってくれた。

~野球を辞めた後の長い人生も考えて欲しい
「知人を介して千葉科学大学の関係者を紹介された。そこから先はトントン拍子で監督就任が決まりました(笑)」
嶋田監督は堅実なプレーが持ち味の外野手として知られた。神奈川・日大藤沢高校から1978年ドラフト外で日本ハム入団。1994年までのプロ通算16年間で678試合出場、198安打を記録した。現役引退後は日本ハムで外野守備・走塁コーチ等を務め、2006年からは11年間にわたり、高千穂大学野球部(東京新大学野球連盟)監督を務めた。
「高千穂大学監督を退任後は、飲食店を経営していた時期もありました。コロナ禍でお店を閉めた後は、日本テレビ主催“ドリームコーチング”に参加して野球指導をしていました。大学からお声がけいただいたのは『この先、何をやろうかな?』と考えているところでした」
大学関係者と会ったのが2025年5月。その後、5月末に学校法人大城学園の大城理事長と面会し、その場で監督就任が決定した。
「“ドリームコーチング”の仕事が結構入っていたのですが、理事長とお会いした日だけが空いていました。『運命的な縁があったのだろう』と感じます。当日はジョークを交え、いろいろなお話をしました。『明るくて話ができるのが気に入った』ということでした(笑)」
監督就任が決まってからは怒涛の日々が続いた。大学カリキュラムも通常とは一線を画している。千葉、東京、埼玉、茨城、沖縄の高校野球部監督、部長を訪問し、大学の説明をして入学・入部希望者を募った。
「学校の説明をするため各地へ出向きました。野球部員は練習時間確保との兼ね合いで、警察官、消防士、救急救命士を目指す学部に入る。特別な学部ですので、しっかり説明するようにしています」
「どんな形でも良いので、選手達が野球に長く携わってくれると嬉しく思います。プロ、社会人等、上のカテゴリーに進んでいければ更に嬉しいですが、野球を辞めた後の人生が圧倒的に長いので、自分の人生をしっかり考えてもらいたいです」

~監督、部長、トレーニングコーチという“3本の矢”
「まずは選手達の卒業を心配しています」と横で苦笑いを浮かべていたのは、野球副部長兼コーチ・飯田涼太氏。危機管理学部保健医療学科で教壇に立ち、自身も救急救命士の資格を持つ。「グラウンド外の日程調整や経費の管理等、全てを完璧にやってくれる」(嶋田監督)と、全幅の信頼を寄せる存在だ。
「僕は2018年から正規採用の形で、千葉科学大で働いています。『野球部が本格的に活動するらしいけど、監督はまだいないらしい』という話は多少、聞いていました」
神奈川県横須賀市出身だが、父親の仕事の都合で茨城県へ引っ越したこともあり同大学へ入学。シニアリーグに加入していたほどの野球少年で、大学時代は野球サークル主将を務めていた。東京スカイツリーや福島第一原発で救急救命士としての勤務を経て、母校へ教員として戻ってきた。
「嶋田監督から『コーチをやらない?』と声をかけていただきました。裏方として徹底的に支えようと思っています。ノックを打ったりグラウンド整備をしたり、後は経理関係といったマネージャー業務ですね」
「僕は救命士で生死に関わることは専門ですが、逆に肉離れとかは苦手分野です。そういう部分は嶋田監督の方が詳しく、教えてもらったりしています。すみ分けをしっかりやることで、選手のプラスになることを心掛けています」
また飯田氏に加え、トレーニングコーチとして支えてくれる勝崎耕世氏の存在も大きいという。
「落合博満監督時代の中日黄金期を支えた方で、プロアマ問わず名の通った方。日本体育大学では教授もしていたので本当に心強いです。毎日、選手一人ひとりに異なるトレーニングメニューを作成してくれています。毎週まとまって私の手元にもくるのですが、選手には大きな財産になっています」(嶋田監督)

~1日でも早くNPB選手が生まれてくれれば
「仲間を裏切ったりイジメたりすることだけは、絶対にNGです。そこは目を光らせておきますが、現部員はナイスガイばかりで全く心配していません」
リニューアルした野球部としての歴史は始まったばかり。今後は部員数を増やし規模を大きくするのはもちろん、結果も求められるようになる。「やるべきこと」は山積みだが、目指す方向は明確だ。
「大学経営には学生数がとても重要です。学生数を増やすためには大学の知名度を上げることが大事で、1つの手段としてスポーツは大変に効果的だと思っています。野球部が大学の知名度を上げる役割も果たせればと思います」
「部員に対しては、練習や試合でエラーや三振をしても怒りません。なぜなら“未熟”なのがわかっていますし、私もたくさんやりましたから(笑)」
部員集めは苦労するが、とにかく『意欲のある選手』が来てくれることを期待している。そして野球部の“絆”を重視し、「上辺や形式でなく、心から信頼しあって切磋琢磨できる関係性」を目指す。
「NPBを狙えるレベルの選手が出てくれば、大学の知名度は当然上がり、入学・入部希望に直結してくると思います。チームの組織作り、強化と共に、1日でも早くそういう選手が生まれてくれればと思っていますが…」
「まぁ、簡単なことではないですけどね(笑)」と、プロ野球界を知り尽くした男は即座に付け加えた。しかし、「在学中の10人の中にも素晴らしい素材がいますし、可能性は常にあります」と表情は明るい。

「進路を含めた選手の成長と野球部の進化。それらが積み重なっていけば、大学と地域(銚子市)にもプラスになるはず。関わる人々の全てが笑顔で幸せになれるような野球部になっていきたいです」
“野球どころ・銚子”と知られた時期もあった。1974年夏の甲子園では銚子商が全国制覇。篠塚和典(巨人)をはじめ数多くの名選手も輩出してきた。しかし近年は同校も甲子園から遠ざかり、銚子という地名も聞かなくなっている。
「1歩ずつ前進していきます。“野球どころ・銚子”が復活するきっかけになれれば」と嶋田監督は力強く締めくくってくれた。
大学と銚子市はすでに変わり始めている。新興とも言える千葉科学大だが、“志”と“思い”の大きさは眼前に広がる太平洋にも負けていない。茨の道は続くだろうが、房総の地で必死に足掻く彼らの奮闘に注目したい。
(取材/文/写真・山岡則夫、取材協力/写真・千葉科学大学硬式野球部)
