田中将大に憧れた仙台育英出身左腕 父に見せる「冷静に、大胆に」投げる姿
2022年に甲子園初優勝、翌23年に準優勝を果たした仙台育英。当時、躍進の原動力となった投手陣の中心にいた髙橋煌稀(現・早大)、湯田統真(現・明大)、田中優飛(現・立大)、仁田陽翔(現・立正大)は大学3年生になった今も順調に成長を続けている。
一方、同学年の彼らに隠れて高校時代は出場機会に恵まれなかった左腕・内田陸斗は、地元・宮城の東北工業大に進学してから才能を開花させた。下級生の段階からリーグ戦に登板して経験を積むと、今秋はここまで4試合に先発して3完投1完封、計29回を投げて防御率1.24と絶好調だ。
強豪・仙台大相手に完投勝利「自分の投球が通用した」
9月28日、東北工業大が仙台大を2対1で下した。仙台大戦の勝利は2年ぶり。その立役者となった内田は強力打線に9安打を浴びながらも、133球1失点完投勝利をやってのけた。
前節の東北大戦は9回完封、その前の東北福祉大戦は敗れるも9回3失点完投。良いイメージを持ったまま、「相手は格上なので、逃げ腰の投球をしたら付け入る隙を与えてしまう。思い切ってゾーンで勝負する強気の攻めをするしかないと思っていました」と全力で腕を振った。
最後の打者を打ち取り、喜びを爆発させた内田。試合後、「仙台大はリーグ戦で何度も優勝していて、全国大会にも出ているチーム。そういうチーム相手に自分の投球が通用したのだと感じて嬉しい気持ちになりました」と歓喜の瞬間を振り返った。

直球は140キロに満たないものの威力があり、打者の手元で動くツーシームも相手を苦しめた。試合中にプレートの位置やリリースの位置を変えたり、インステップとアウトステップを使い分けたりする投球術もハマった。内田は「強豪相手に馬鹿正直に投げても抑えられない。球速がない分、タイミングをずらすなどの工夫をしています。それも一つの武器です」と胸を張る。
7回、二死二、三塁のピンチでは仙台育英の同期である好打者・齋藤陽を三飛に打ち取った。「高校時代の紅白戦で対戦した時は結構打たれました。手強いバッターなのですが、立場は違えど同じチームでプレーした頃を懐かしみながら、勝負を楽しみながら投げました」。仙台育英で2年春から4番を務めた元チームメイトにも、進化を見せつけた。
スーパースターに感化…マウンドで雄叫びを上げる理由
内田と言えば、マウンド上で雄叫びを上げながら投げる姿が印象的。この日も、特に勝利が目前に迫った9回はピンチを背負いながら1球ごとに豪快に叫び、全身を使って感情を表現した。対照的に、取材時は謙虚さと好青年ぶりが際立つ。一つ一つの質問に丁寧に答え、最後には「お時間をいただきありがとうございました」と頭を下げる。
「もともと元気でワイワイする性格ではあるのですが、普段から騒いでいるというわけではなく、試合になるとどうしても気持ちが入ってしまいます。自分が例に出すのも申し訳ないのですが…田中将大選手(現・巨人)が好きで。子どもの頃、ピンチの場面で雄叫びを上げながらギアを上げる姿を現地で見て、こういう風に気持ちで抑えるピッチャーになりたいと思ったんです」

目を引く投球スタイルの“起源”を尋ねると、そんな答えが返ってきた。宮城県松島町出身の内田にとって、楽天のエースだった田中は「スーパースター」。ひとたびマウンドに上がれば、憧れの右腕と同じく気持ちを前面に押し出す。
一方、「熱くなるだけになってしまう」のが高校時代から昨年にかけての課題だった。今年はピンチを迎えたり、味方がエラーをしたりした時に一度マウンドを外し、深呼吸して、後ろで守ってくれるチームメイトに声をかけるようになった。すると、「狭くなっていた視野が広がって、落ち着いて投げられるようになった」という。今は「冷静に、大胆に」を肝に銘じて投げ、それが結果につながっている。
「こうやって強豪相手に抑える姿を見せることが親孝行」
現在は試合中に冷静さを失いかけそうになった時、元巨人の荻原満コーチや内野陣が声をかけて気持ちを鎮めてくれるが、同時に思い出す言葉がある。
「お前は熱くなりすぎるところがある。もっと冷静に行けよ」。父・眞規さんの言葉だ。小学生の頃から登板前などにそう助言をもらっていた。内田は自宅で遅くまで練習やキャッチボールに付き合ってくれた父を「親バカ」と表現しつつ、「本当にありがたいです」と感謝する。この日は月曜日とあって眞規さんは球場に来られなかったが、母と姉の前で好投した。

「高校ではなかなかベンチに入れなくて、家族には悔しい姿ばかり見せてしまった。大学で一花咲かせようという思いでここに来たので、こうやって強豪相手に抑える姿を見せることが親孝行になっているのかなと思っています」
眞規さんも元投手で、怪我により高校卒業とともに野球を辞めた。そんな父に野球をする姿を見せ続けるのが最大のモチベーションだ。「大学卒業後は社会人野球に進んで都市対抗で活躍できるピッチャーになりたい。まだまだそのレベルには達していないのですが、あと1年でもっと成長して、少しでも長く野球で飯が食えたら幸せだなと思います」。内田の野球人生は、まだまだこれからだ。
(取材・文・写真 川浪康太郎)

