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生粋の目立ちたがり屋・中筋大介、“日本での最後の勇姿”を見逃すな!~仙台大、2度目の神宮へ(中編)

 仙台大の試合では、常にこの男の声が球場に鳴り響く。自他共に認めるムードメーカーで元気印、中筋大介捕手(4年=旭川大高)の声だ。勝負強い打撃も持ち味だが、最大の特徴はやはり声。「自分の場所は、どこにいても分かるようにしていたい」との言葉通り、球場に足を運べば、中筋の居場所はすぐに分かる。

 3年生以下の活躍が際立つ中、4年生も攻守の要で主将の小笠原悠介内野手(4年=北海道栄)、投手陣の柱である長久保滉成投手(4年=弘前学院聖愛)、佐藤亜蓮投手(4年=由利工)らがプレーで引っ張り、中心を担ってきた。副主将を務める中筋は3年次までは出場機会に恵まれず、4年間でリーグ戦出場5試合、スタメン出場0試合。主力選手とは呼びがたいが、チームにとって欠かすことのできない重要な存在であることは間違いない。

 約250人の部員がいる仙台大で、なぜ唯一無二の存在になれたのか。中編では、中筋の歩む野球人生を追った。

一番目立つため、声を出すのは「当たり前」

 中筋が野球を始めたのは小学2年の頃。ポジション決めの際、ピッチャーやショートに希望者が集中する中、「キャッチャーやりたい人?」との問いにただ一人、“ノリ”で威勢良く手を挙げた。それ以降、捕手一筋。「今でも後悔しています。目立ちたがり屋なので、本当はピッチャーとかショートをやりたかった」と笑う。

ベンチから声を出し、仲間を鼓舞する中筋(中央、仙台大硬式野球部提供)

 目立ちたがり屋な性格は幼少期から。グラウンドでも学校でも、「どこにいっても僕が一番元気だった」。高校の学祭では全校生徒の前で先生に告白し、玉砕した。「そういうことをやりたくなっちゃうんですよね」と頭をかく。  

 目立ちたがり屋だからこそ、練習中や試合中に声を出すのは「当たり前」のことだ。「試合に出ている選手がやりやすいように、下を向かないように」することを心がけてはいるが、一番は自分が目立つため。部員の多い仙台大でも埋もれることなく、とにかく声を出し続けた。

武器は声だけじゃない、指揮官も認める練習の虫

 中筋について仙台大の森本吉謙監督に聞くと、「あまり選手のことは褒めないんだけど」と前置きした上で、「うちを象徴するような泥臭い選手」「学生野球の真髄」と賛辞を並べた。それは、中筋が単なるムードメーカー、元気印ではないからこそ、溢れ出た言葉だ。  

 中筋は旭川大高時代の3年夏に正捕手として甲子園を経験しており、大きな自信を胸に仙台大に進学した。しかし、入学当初は周りのレベルの高さに圧倒され、「自分が縦縞(のユニホーム)を着る姿を想像できなかった」という。それでも「声」で存在感を示し、2年春には初めて一軍キャンプに参加。リーグ戦でもベンチに入るようになった。

真剣な表情で練習に取り組む中筋

 当初はやはり「声」に魅力を感じ抜擢した森本監督だったが、中筋の野球に対する姿勢は指揮官の期待を上回った。全体練習で真剣な姿を見せるのはもちろん、自主練を怠った日は一日もなく、特に打撃は大学に入ってメキメキと上達した。「(ムードメーカータイプの選手は)『声』という一芸を伸ばしがちだけど、中筋は声出し要員にとどまらず、今でもレギュラーを本気で狙っている」。打撃力や捕手としての能力を上げようと、必死に野球と向き合う姿を見てきた森本監督は、最終学年を迎えた今年は代打の切り札として中筋を起用するようになる。

「今が一番、野球が楽しい」実った努力と生きた経験

 念願のリーグ戦初出場は今年の4月10日。春の宮城教育大2回戦、8回1死満塁の好機で代打として打席に立った。振り抜いた打球は右翼手の前に落ち、サヨナラコールドを決める適時打に。春はこの1打席にとどまったが、秋は4度の代打機会を与えられ、得点につながる四球や初の長打となる二塁打でチームを盛り上げた。

今秋の東北工業大1回戦で二塁打を放つ中筋(仙台大硬式野球部提供)

 仙台大で小野寺和也コーチと出会い、アウトカウントによってリードの仕方が変わることなど、「細かい野球」を学んだ。打撃のメカニズムやアウトの取り方を理論的に考えるようになったことで、「打てて嬉しい、アウトを取れて嬉しい」が「思い通りに打てて嬉しい、思い通りにアウトを取れて嬉しい」に変わった。「今が一番、野球が楽しい」。野球の本質を知ったからこそ、そう胸を張って言える。  

 また、代打は中筋の良さが輝く仕事でもある。甲子園に出場した高校3年の夏、試合で放った安打はわずか2本だった。うち1本は北北海道大会準決勝、旭川実業戦でのサヨナラ打。そしてもう1本は、甲子園史上初のタイブレークが適用された佐久長聖戦で、土壇場の9回に北畑玲央投手(現・東北福祉大3年)から放った同点打だ。好機で打つイメージは今でも脳裏にこびりついており、「いいところで回ってきたら打てる気がする。ランナーがいる場面で出してほしい」との思いで出番を待っている。

日本一、そして世界へ―思い描く特大スケールの未来

 明治神宮大会に向けては、「口癖のように言ってきた日本一を獲りたい」と意気込む。また初戦の国学院大戦では、高校時代にバッテリーを組み、親友でもある楠茂将太投手との対戦を熱望している。両校は昨年も初戦で当たったが、楠茂がマウンドに上がり好投した一方、中筋はベンチ入りできず、悔しさを味わった。「ナメられているので、へし折ってやります。絶対に打ちます」と気合いは十分だ。森本監督も「神宮でもチームを救ってくれるんじゃないか」と期待を寄せており、中筋の名がどこでコールされるか、注目だ。

笑顔でガッツポーズを作る中筋

 「お金を貯めて、オーストラリアで野球をします」。取材の最後に卒業後の進路を尋ねると、意外な答えが返ってきた。理由を聞くと、屈託のない笑顔で「日本は飽きました」。そして、その先に思い描く将来の夢は「海賊王になりたい」。理由と将来の夢に関する発言の真偽は定かではないが、すでに語学学校も決めており、海外進出は本気の挑戦だ。卒業後も指導者経験を積むなどしながら練習を続け、いずれは選手として世界に飛び立とうと模索している。

 神宮の地が、選手として臨む日本での最後の舞台になるかもしれない。「やってきたことをやって、いつも通り、神宮にいる誰よりも声を出す」。“最後の勇姿”を目撃する多くの野球ファンの目に、耳に、野球人・中筋大介の姿が残り続けることとなるだろう。

(取材・文・写真 川浪康太郎/一部写真提供 仙台大硬式野球部)

読売新聞記者を経て2022年春からフリーに転身。東北のアマチュア野球を中心に取材している。福岡出身仙台在住。

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