【独立リーグとはなんだ?】 その8 NPBの選手が独立リーグに来る理由
もう少し野球がやりたい
NPBでは毎年、多くの選手が戦力外通告を受ける。
そうなった選手の選択肢は3つ。1つは引退、野球をあきらめる。指導者になったり、球団スタッフになったり、他の仕事に就いたり。2つめは移籍、トライアウトなどを経て他球団に移籍する。3つめは他のリーグへの移籍。国内だけでなく、海外のリーグも含めて、選手はプレー機会を求めて移動する。独立リーグも3つ目の選択肢になる。
日本の独立リーグは、草創期からそういうNPB出身選手を受け入れてきた。
NPB出身選手を受け入れることは、独立リーグにとっても大きなメリットがある。
興行的に言えば、知名度があるNPB出身選手が試合に出場することは、注目度が高まる。観客動員が増えることが期待できる。
また、NPB出身選手の高い技術や意識は、独立リーグの選手に良い刺激となる。
前にも述べたが、NPBからやってきた独立リーグの指導者は、独立リーグの選手はプロ意識が低いという。指導者は、「こういう練習をやりなさいと言っても、やり続けることができない。すこし結果が出ないとすぐに練習をやめてしまう」という悩みを漏らす。
独立リーグでプレーする選手の多くは、成功体験を持っていない。だから、努力の先に何があるかが見えていない。
しかし、NPBで活躍した経験のある選手は成功体験を持っている。努力し続けることの大切さを知っている。その大切さを説くことができる。
NPBで活躍したという「実績」は、独立リーグの選手にはまぶしく見える。憧れの選手に言われることには重みがある。NPB出身選手の言うことには素直に耳を傾けることも多い。
2012年、香川オリーブガイナーズでプレーする元阪神タイガースの桜井広大
NPB選手にとって独立リーグとは?
では、NPBの選手にとって、独立リーグはどんな意味があるのだろう。
ひとつは「再起を期す」ということ。
戦力外になっても「自分はまだやれる」という意識がある選手にとって、独立リーグは試合を通じてアピールできる格好の場だ。
実力的にはNPBには及ばないものの、二軍クラスとはいい勝負をするレベルだ。素人野球の水準ではない。
独立リーグには、NPBのスカウトが頻繁に足を運ぶ。ここで活躍すれば、その情報はNPBに伝わるのだ。
ただし現実にはNPBを戦力外になってから、独立リーグに身を転じて、再びNPBに復帰した選手は極めて少ない。
山田秋親は、福岡ダイエーホークスでセットアッパーとして活躍。肩の故障で2008年オフに戦力外になって四国アイランドリーグ(当時)の、福岡レッドワーブラーズでプレー。トライアウトを経てロッテと契約、2012年までプレーした。
正田樹は日本ハム時代に新人王を獲得した左腕投手。阪神に移籍するも2008年に戦力外となり、MLBに挑戦。しかしロースター入りはかなわず台湾プロ野球でプレー、その後、2011年に新潟アルビレックスBCで投げるが好成績が評価され、ヤクルトスワローズと契約した。正田は2014年にふたたび戦力外となり、今は愛媛マンダリンパイレーツでプレーしている。
日本ハムで7年間投手としてプレーした金森敬之は、2012年に戦力外となり、四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツで投げる。そしてオフにNPBの12球団トライアウトを受け、チームの入団テストを経てロッテに復帰した。
昨年オフのトライアウトでも、元NPBの選手で、今は独立リーグに所属している選手が、独立リーグのユニフォームで参加していた。
2016年オフ、トライアウトが開かれた阪神甲子園球場
阪神タイガースでセットアッパーとして活躍した西村憲は、2014年に戦力外となり、BCリーグの石川ミリオンスターズでプレーするとともに、3年連続でトライアウトにも参加した。
残念ながらNPBとの契約はならなかったが、西村は今季からは新設のユナイテッドベースボールクラブで投げることになった。
トライアウトの登板を終えて、帽子を取ってグランドを慣らす西村憲
NPBへの復帰の道は厳しいが、それでも再起を期して独立リーグでプレーする選手は後を絶たない。
関係者の中には「諦めきれないのだろう」という人もいる。
華やかなトップリーグであるNPBを戦力外になった自分が信じられない。まだやれるはずだという気持ちがある。独立リーグで活躍してチャンスを得たい。
実際には、実力も落ちている。レベルの低い独立リーグでは経験でなんとか数字を残すことができても、プロのスカウトが見れば、通用するかどうかは一目でわかる。
選手自身も、独立リーグでプレーしているうちに、自分の実力、おかれた環境が理解できるようになる。そして「引退」の二文字を考えるようになる。つまり「諦める」ための時間になるのだ。
独立リーグから拓ける未来もある
しかし、独立リーグには、そういう消極的な意義だけでなく、将来の道を拓く積極的な意義もある。
まず、独立リーグは、NPBよりもはるかに「社会と近い」。
NPBであれば、球団の寮や都心のマンション住まい。遠征も多く、球場と自宅、自室を往復するだけ。夜は外食に出かける程度だが、独立リーグでは地元の人が多く住む集合住宅に住む。近所付き合いもできる。試合数も少ないので、地域の人と接する時間ができる。
また独立リーグは「地域貢献」が義務づけられている。子供たちとの野球教室や、お年寄りの慰問、地域の祭りへの参加、中には高知ファイティングドッグスのように「試合がない日は農作業」というチームまである。
これまでとは全く異なるこうした環境で、NPB選手たちは「社会」を学んでいく。多くの選手は、小中学校から野球漬けだった。野球以外のことはほとんど知らずにきた選手も多い。
独立リーグに来て、初めて「普通の人々はどんな生活をしているか」「金儲けってどうするのか」を知る選手もいるのだ。
視野が広がっていく体験をする選手も多い。
そして独立リーグで「指導者になること」を自覚する選手も多い。NPBよりもレベルの低い独立リーグでは、技術的に未熟な選手がプレーしている。
NPBにいるときには「指導される」側だった選手たちだが、独立リーグに来ると選手たちの欠点がはっきりわかる。自分たちがたどってきた道だからだ。
「こうすればいいよ」「こんな練習をしたらどう?」NPBからやってきた選手は、独立リーグの選手にとって雲の上の存在だ。アドバイスにも素直に耳を傾ける。
教えることによって、はじめて技術や練習の意味に気づくことも多い。
独立リーグに来て「教えることの大切さ」を痛感し、指導者を目指す選手がたくさんいるのだ。
愛媛マンダリンパイレーツで投げる河原純一
先日このサイトでも紹介していたが、元巨人、中日、西武の河原純一は、その典型だ。
40歳で愛媛マンダリンパイレーツに入団した河原純一は、円熟した投球を披露したのちに、四国で野球の普及活動やマネジメントを経験し、今季から愛媛マンダリンパイレーツの監督に就任した。
彼は四国アイランドリーグplusで、NPBにはない何ものかを学んだのだろう。
最終的にはNPBの指導者を目指しているのだろうが、独立リーグでの経験は将来投資になるだろう。
NPBを引退した選手たちの多くは、球団に残って指導者になることを希望する。しかしそのポストは限られている。希望がかなわず退団するケースも多かったが、今は独立リーグで経験を積むという選択肢ができた。四国アイランドリーグPlusとBCリーグを合わせて12球団。ここで指導者の経験を積むことができるようになった。
さらには、独立リーグで指導者ではなく、球団の運営やマネジメントの道を学ぶNPB出身選手もいる。球団はどのようにして経営されているのか。そのビジネスモデルに興味をもって勉強する。
昨年戦力外になって、引退を表明した巨人の加藤健は、新潟アルビレックス・ベースボール・クラブの球団社長補佐に就任した。
加藤はここでスポーツマネジメントを学び、第2の人生を歩みだそうとしている。
独立リーグは、NPB選手のセカンドキャリアにも大きな役割を果たそうとしているのだ。