「同じ野球をする仲間」Liga Agresivaから被災した輪島高校に、義援金110万円
1月1日の能登半島地震は、新年早々の北陸地方に甚大な影響を与えた。野球に打ち込む高校生たちの環境も、激変した。多くの選手は、野球どころか生活や将来のことも考えることができなくなった。
そんな中で、高校野球のリーグ戦、Liga Agresivaを主宰する野球指導者、阪長友仁氏は、迅速に動いた。
急速に広がるLiga Agresivaの活動
「高校野球のリーグ戦であるLiga Agresivaは9年前に始まりました。大阪府の6校が集まってささやかに始めたのですが、今では34都道府県、168校にまで広がりました。
やはり昨年夏の甲子園で、LigaAgeresivaの仲間、森林貴彦監督率いる慶應義塾高校が全国優勝したことも大きかったと思います。慶應高校の『Enjoy Baseball』の考え方は、Ligaの考え方と通じる部分があるんですね。
Liga Agresivaは単なる高校野球のリーグ戦ではありません。以前から球数制限を実施しており、低反発バットや木製バットも使っていました。また、原則として全員出場になっています。
さらに試合前には『スポーツマンシップ講座』を受講し、スポーツをする意義についてみんなで学ぶことになっています。そして試合終了後には『アフターマッチファンクション』と題して、両チームの選手が交流して、相手のプレーを評価したり、技術の情報交換をしたりします。Liga Agresivaの参加校が増えたのは『勝つこと』『強くなること』だけではなくて、野球を通じて成長し、同じスポーツをする仲間の輪を作ることができるからだと思います」
阪長氏は全国を回ってLiga Agresivaの意義、重要性を紹介する活動を行っているが、昨年12月に富山県で講演を行った。
「富山県の高校野球の監督会の方にお招きを受けて伺って話をしたんです。そのあと、懇親会になって高岡市で食事をしたのですが、その中にお隣、石川県の金沢桜丘高校の井村茂雄監督と輪島高校の冨水諒一監督が同席しておられて『僕たちも参加したい』と言うお話をいただきました。2024年から『石川県でもLIGA 実施へ向けて動こう』という話ができつつあった。そういうことがあって1月1日になったんですね」
1月1日、石川県能登地方を襲った地震は最大マグネチュード7.6、2月14日時点で石川県内の死者は241人、そのうち輪島市は最多の103人、重軽傷者は県下で1184人、輪島市の全壊家屋は2467棟、半壊が1866棟、一部破損が4088棟。
1か月半が経過しても輪島市では79か所で2336人が避難生活を送り、断水家屋は1万戸、停電も870戸に及ぶ。
「何もしなくていいのか?」
「石川県の2人の先生には、すぐに安否確認をしたのですが、幸いにもお二人とも命の別状はなくて、ご家族も含めて大丈夫とのことでした。とりあえずはほっとしたのですが、その後、仲間が被災しているのに、自分自身は何不自由なく生活していて、何もしなくても良いのか?という疑問がこみあげてきました。
自分一人で公的機関を通じて寄付をすることもできるのですが、それだと本当に小さなものになってしまう。であれば、野球を通じた仲間であり、仲間が困難な状況にあるときには、何か少しずつでもできることを持ち寄りたいとLIGA参加校の皆さまに協力いただくことにしました。」
110万円を超す義援金が集まる
LIGA参加校への案内を通じて支援を呼びかけると、全国のLiga Agresivaの仲間から、多くの義援金が集まった。「『何かできないかと思っていたので、そういう機会を作ってもらってありがたい』みたいに言ってくださる先生もいて、北は北海道から南は沖縄まで、全国の高校の指導者、選手、保護者からなど、義援金が集まりました。
集計したら110万円を超えました。送金するだけよりも、やはり1回被災地に出向いて実際にお会いしたいと思って、救援活動の邪魔にならないように気を付けながら、私が代表して2月8日に現地に行くことになりました」
輪島高校の冨水諒一監督と金沢桜丘高校の井村茂雄監督と金沢駅で待ち合わせ、車で輪島市まで向かった。現地の惨状は聞きしに勝るものだった。
「なんといったらいいのか輪島市に入ったら至るところで家が倒壊しているし、有名な朝市は焼け野原だし、語弊はあるかもしれませんが戦争か何かがあったようでした。
輪島高校の冨水諒一監督も、自宅が住める状態ではなく避難されていました。輪島高校は自衛隊など支援組織の簡易の基地のようになっていましたし、体育館は避難所でした。一般家庭は水はまだ通っていませんでしたが、輪島高校だけは水道が開通していました。また、近隣の小学校、中学校も輪島高校で授業をしていました。一つの学校で、小中高の生徒が授業を受けていたんですね。その横では被災した方々が生活しているみたいな感じで、しかも校舎も一部傾いていて、立ち入り禁止になっているところもありました。
とてもじゃないけど野球など始めることができる状況ではなかった。いったいこの状態から元に戻るのは、いつのことになるのだろうと思いました」
震災後初めて監督の顔を見る選手も
想像以上の悲惨な状況の中、阪長氏は義援金の贈呈を行った。
「電気や水が通じていない家庭も多くて、選手の半数は金沢市などに避難しています。また、避難所から高校に通っている子もいたのですが、集まれる生徒が集まってくれて、確か5人だったと思います。中には『地震の後、初めて監督に会った』と言う選手もいました。
お金の使い道については、学校側にお任せしますが、何事をするにしてもお金が必要になります。集まってグラウンドを借りて練習するにもお金が要りますし、野球道具やユニフォームを買いなおさなければならない選手もいるでしょうし。輪島高校だけでなく、近隣の高校も同様だと思いますので、近隣校とも冨水監督は有効に使っていきたいとおっしゃっていました。とにかく、生活の立て直しが第一ではありますが、もう1回野球ができる状況になるために使ってもらえればありがたいと思いますね」
「野球をする仲間」の連帯感を発揮
前述したように、Liga Agresivaは試合の後、アフターマッチファンクションで両チームの選手がともに語り合い、交流を深め合う。ともに「野球をする仲間」であることを実感する機会となっているのだが、今回の災害では、図らずもその「連帯感」が発揮された形となった。
「おかやま山陽高校の渡邊颯人キャプテンは倉敷市の出身なんですが、2018年の西日本豪雨災害で被災しているんです。『そのときも、周囲の人に自分たちが支えてもらったから、今回は自分ができることをやりたい』と言ってくれたり、いろんな経験をした選手もいる。彼らが同じ野球をする仲間としてアクションを起こして連帯してくれたことは、何よりうれしいことでしたね。もちろん、お金を送るだけが支援ではないので、もう少し落ち着いてきたら石川県の方に遠征して交流するとか、そういう機会も作りたいですね。そういう交流もLiga Agresivaの活動の一環だと思いますね」