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九州プロレス理事長・筑前りょう太氏「プロレス界の未来を思うから、全大会を入場無料で開催する」

九州プロレスは全大会が無料観戦できる世界的にも珍しい団体。「一人でも多くの人に楽しさを知ってもらうことがプロレスの存在価値を高める」という思いからだ。九州プロレス理事長・筑前りょう太氏は「プロレスを通した地域活性化の先に業界としての繁栄がある」と考える。

「わかりやすさ」を掲げる九州プロレスには、世代を問わず笑顔が溢れる。

~今は多くの人にプロレスを知ってもらう段階

「九州プロレスは年間約50大会の全てが入場無料です。地域を盛り上げたいという企業や会社、団体の方々に協賛していただいて大会を開催しています」

プロレスは興行であり、入場無料などは普通は考えられない。筑前氏は九州プロレスの運営方法から説明してくれた。

「以前は他団体さんと同様、チケットを数多く売って収益を上げる方法で運営していました。しかし、それではいつまで経っても目先のことしか考えられず先細りになっていく。思い切って発想の転換をしました」

「プロレス業界はどんどんマイナー化しています、今やるべきことは、多くの人にプロレスの存在を知ってもらうことです。今は九州を中心とした各地へ、無料でプロレスを届ける段階だと思います」

プロレスがテレビ地上波から姿を消して時間も経っている。一部ファンのためだけの、マニアックなカルチャーになりつつあるからこその手法とも言える。

九州プロレス理事長・筑前りょう太氏は、コンディションを整えてリングに立つこともある。

~レベルの高さに裏付けされた“わかりやすいプロレス”を提供する

「1954年、街頭テレビの前に老若男女が集まってプロレスを楽しんだ光景が理想です」と挙げる。

「プロレスが始まると、街頭テレビの前に自然に多くの人が集まった。今と違い娯楽が極端に少なかった時代ですが、人々にとって欠かせないものだった。力道山先生が勝つと、誰もが笑顔で家路に着く。ああいった光景を呼び戻したいです」

「元気を届けるだけで見返りは求めないのがカッコいい」を掲げる。入場無料での開催に舵を切り、苦労を重ねながらも多くの街を訪れる。

「入場無料でもプロとして恥ずかしい試合は絶対にしない。しっかりとしたプロレス、世界へ誇れるものを九州から発信したい。足を運んでくれた地域の方々が、『来て良かった』と心底喜び、誇りに思って欲しいです」

「初めてきた人にもわかりやすいこと」を重視する。プロレスは男子、女子、硬派、お笑いなど幅が広いが、どんなスタイルの試合が行われても楽しめることを目指す。

「力道山先生が空手チョップで外国人レスラーに立ち向かったのは、わかりやすかった。また勧善懲悪のストーリーがあって観ている人が感情移入できる。初めて来た人にも、そういうわかりやすいプロレスを提供したいです」

わかりやすいプロレスを行うためには、選手個々にスキルの高さを求める。“プロ”として胸を張れる水準のプロレスを維持し続けている自負がある。

「元WWEスーパースターズ・TAJIRIの入団も大きかった」と続ける。

「九州プロレスへ来る、と聞いた時は『まさか?』と思いました。技術や表現力など、さまざまな部分が素晴らしい。九州が世界と繋がった感じがしました」

「(TAJIRIに)プロレスを習いたい」と足を運んでくる選手もいる。また国内外団体との交流や選手派遣もできるようになった。

場内を笑いに巻き込む『ばってん×ぶらぶら 』は、九州プロレスの人気レスラーだ。

~リング内外の経験を重ね、NPO法人として九州プロレスを立ち上げる

九州プロレスが現在の運営形態に落ち着いたのには、プロレスラー・筑前氏の多くの経験も影響を与えている。

「僕は1973年生まれ、1981年の初代タイガーマスクの登場でプロレスに魅了されました。当時はテレビ地上波で放送され、世間にも広く認知されていた。あの時のプロレスブームが原体験です」

大学卒業後にプロレスラーを目指してメキシコへ渡り腕を磨いた。当地ではサッカー同様、文化として根付いているプロレスを体感した。

「『メヒコ!』と熱狂的な声援を飛ばすお客さんが印象的。プロレス会場に来る人は裕福でなさそうな人が多く、汚れたような服装の人も少なくなかった。彼らにとってプロレスは、“生き甲斐”のように感じました」

帰国を決意した2000年に全日本プロレスの日本武道館大会へ出場。凱旋試合で勢いを付けようと思ったが、“しょっぱい(=ひどい)”試合をしてしまう。

「華々しく凱旋帰国を飾り、その後に繋げようとしたが失敗した。落ち込んだ気持ちで福岡へ一旦、戻ると地元の人々は優しく迎えてくれました。『九州、福岡でプロレスを盛り上げたい』という気持ちが強くなりました」

「まずは国内のプロレスを勉強することにしました。世界的にも日本のプロレスはレベルが高い。多くの団体があって試合数も多い関東地方で、リング内外のことを吸収しようと思いました」

2002年に千葉県のKAIENTAI DOJO(当時)へ入団。リングネームを『筑前りょう太』としたのも、「九州への思いから」だった。2007年に同団体を退団するまでには、覆面レスラー『魔界2号』として新日本プロレスのマットにも上がった。

「当初は3年程度で九州へ帰るつもりでしたが、思った以上に時間が経った。おかげでKAIENTAI DOJOの長所と短所を自分なりに把握できました。団体設立時に大きなプラスになったと思います」

選手としての活動を続けながらも団体設立の準備も進めた。2007年10月にNPO法人九州プロレスとして認証され、翌08年に旗揚げを迎えた。

保育園や幼稚園、小学校へも積極的に足を運んで交流を深めるのがライフワークだ。

~“プロ”レスラーとしてマットに上がれるよう、“お金”の部分も重要

「九州プロレスのビジョンは明確、老若男女のさまざまな人にプロレスを観て欲しいということ。そのためには株式会社等の形態ではなく、NPO法人が伝わりやすいと思いました」

プロレス団体でのNPO法人は史上初として話題となった。しかし非営利のNPO法人とはいえ、現時点で25名の社員を抱える会社組織であるのは変わらない。

「プロレスが“真の職業”じゃないといけない。だから九州プロレス所属の13選手は、バイト等と兼業している者はいません。まずはそこを徹底しないと、子供たちにとって憧れの職業にならないと思います」

九州の人々にプロレスを無料で届けながら会社も維持しなければならない。経営者としては非常にタフな毎日のはずだ。

「私を含めた社員が名刺を持って外へ出て、『よろしくお願いします』と頭を下げています。大変な部分もありますが、『地域を盛り上げたい』という企業や会社、団体は想像以上に多い。そういう方々の熱い思いを頂いて大会ができています」

各地で行われる大会に対しての協賛を集め、年間約50大会を開催する。「熱い思いで支えてくれる方々に出会えると、本当に嬉しくなります」と目を輝かせる。

全大会で入場無料での開催を行なうのはプロレスの知名度を高めるためだ。その上で会社はもちろん、個々のレスラーもしっかり「お金が回る」環境作りが必要だ。

「プロレスの歴史を見ると、お金に関してルーズな部分が多かった。大手スポンサーがついても崩壊する団体が数多くあったのも、お金に対する知識の欠如が原因の1つです。そういった部分も重視しています」

苦しい状態が続く日本プロレス界底上げのため、新日本プロレス等が中心となって立ち上げた『一般社団法人・日本プロレスリング連盟』への加入に手を挙げたのもそのためだ。

「お金・数字に関して、プロレス業界全体で考え底上げしていく必要があります。専門家の方々とも話し合って、各団体がそれぞれの方法で収益改善すべきだと思います」

「九州のキリスト様」九州プロレス理事長・筑前りょう太氏は、穏やかな口ぶりながら未来への強固なビジョンを語ってくれた。

~2054年のプロレス界が潤うために九州プロレスは歩み続ける

「九州プロレスとしてやっていくことは、ブレないし変わりません。九州のできるだけ多くの方々にプロレスを知り、楽しんでもらいたい。その先にはプロレス業界全体の復興があるはずです」

短期、中期、長期でのビジョンを構築している。全大会を入場無料で開催することは目先だけ考えれば「信じられない」ことだ。しかし、その先の可能性を見据えて信じているからこそ、現状の運営形態を維持する。

「街頭テレビで盛り上がった1954年から100年経った、2054年を考えています。そこを大きなゴールとして、どのようなプロレス界を作り上げて次世代に渡せるか。我々の責任であり、そのために九州プロレスはやっていきます」

2054年への思いは、柔らかな口調ながら断固たる意思が伝わってきた。着実に歩んでいけば、理想が1つずつ叶いそうな気がしてくる。「九州のキリスト様」(TAJIRI)と呼ばれる理由もわかる気がした。

九州プロレスは今はまだ地方の小規模団体かもしれない。しかし、実直かつ地道に進む姿は明るい未来を感じさせてくれる。

「九州ば元気にするバイ!」がコンセプト。無料で楽しめる、世界へ誇れるプロレスに足を運びたくなった。

(取材/文/写真・山岡則夫、取材協力/写真・九州プロレス)

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