【第3回】日体大、37年ぶりの日本一! ~強いチームを作るために変わらないことと変えたこと~
制服姿でベンチに入る前川グランドマネージャー
日体大が神宮大会に出場したのは13年ぶり。その13年前に、ベスト4という成績を残した当時のグラマネは“伝説のグラマネ”と呼ばれ、今でも語り継がれているそうです。現在は野球メーカー勤務の“伝説のグラマネ”小川久範さんは、今もメーカーの仕事で後輩たちの練習や試合に足を運んでいるとのこと。日本一の瞬間も神宮球場で見届けました。
現役メンバーの取材記事は世間に溢れている…ということで今回は視点を変えて、OBから見た今のチームの強さの秘密、小川さん自身が13年前どのように強いチームを作ったのか、そしてグラマネをはじめ裏方の仕事がチームにもたらすものについて聞いてみました。
強いチームを作るために変わらないものと変えたもの
――なぜ“伝説のグラマネ”と言われているのだと思いますか
「なぜでしょうね(笑)。あまりすごいことをしたという記憶はないです。スケジュールを組んで選手や監督に迷惑がかからないように円滑に回し、ある程度規律を守って緊張感が保たれる空気を作っていればあとは主将がやってくれる、と思っていたので。でも、すごく感謝されたり、当時の筒井監督からも信頼していただいているのは感じた。うーん、朝早くから夜遅くまでただ真面目に一生懸命やっていただけかな、と思います」
――そもそも、グランドマネージャーとはどんな仕事をするのでしょうか
「メインは“監督、コーチと選手とのパイプ役”です。選手の話も聞きながら、監督、首脳陣と話して練習メニューを組んでいきます。基本的には監督、コーチと同じ意見を持ちながら、学生なので選手と同じ立場にいられるということで、選手の意見もうまく監督、コーチに伝えられます。例えば監督が見ていて“お、俺の思うような集団になってきたな”と思われるようにするためには、グラマネが監督の考えていることを“俺らこういうチームになっていこうよ”と中継して伝えて、今度は監督に“どうですか監督、こういう集団になってきましたよ! あとは監督お願いします。僕らを導いてください”と言えるチームを作るんです」
ー―それは、かなり大変な立場ですね。苦労も多かったのでは?
「そうですね、僕らのときはちょうどチームの転換期だったんですよ。ずっと勝てなくて、でも勝ちたいし勝たなきゃいけない。勝つ集団を作るために来たのが筒井監督でした」
――筒井大助(現在は筒井崇護と改名)さんといえば、選手としては住友金属で活躍し、銀メダルを獲得したソウルオリンピックでキャプテンも務め、その後住友金属の監督となり、日本選手権優勝もしているというすごい経歴をお持ちの方ですよね。2003年から日体大野球部監督に就任されたんでしたね
「そうです。僕が3年生のときに筒井監督が来たんです。当時の4年生は急な変化で結果が出ませんでしたが、僕らには1年の猶予があったのでその間に、ずっと勝つ集団を作ってきた筒井大助という人を信じてついていこう、そう思うことができました。そして、僕らは筒井監督のやり方についていきました。でも、練習も厳しいし今までとやり方も全然違うので、違う考えの人もいたんです」
――そんな選手たちに同じ方向を向いてもらうために、どんなことをしたのですか
「ミーティングを何度も重ねました。僕や当時のキャプテン大西亮などは、筒井監督についていこうと言っていましたが、正直1~3年生や4年生の一部は、何熱くなっているの…という雰囲気でした。まずは4年生がしっかり取り組む姿を下級生に見てもらいました。それを見た下級生の中で、僕らの本気度がわかった人はついてきてくれるようになったんです。せっかく日体大に入ったんだから勝ちたい、と本気で思っている志の高い後輩は僕らを慕ってくれましたし、ちゃんとついてきてくれました。3年生に対して、負けたら俺ら終わっちゃうからちゃんとやってくれ! と今思えば自分勝手なことを言ったりもしていましたけどね(笑)。でもとにかく、リスクが伴ってもストレスを感じてでもチームを変えなければ、という思いでやっていました」
――今年と重なるのは、主力に下級生が多いところですよね
「そうですね。当時は3年生の下野輝章(現・東福岡高校監督)や1年生の小笠原ユキオなどが主戦のピッチャーでしたし、1年生の黒木豪(現・日体大野球部コーチ)が主軸を打っていました。今の4年生の雰囲気も当時の4年生のと重なるところがあり、そういう面でも今年はいけるチームだと思いました。とはいえ、当時と今とではチームの作り方は全然違うと思います。僕が現役のときはヘッドコーチだった古城(隆利)さんが今は監督になっており、古城さんがずっと作ってきたものが実を結んだのだと思います。僕が言うのもおこがましいですが、当時は厳しい筒井監督と選手の間で古城さんがいいクッションになってくださっていたのもあり、当時の経験も今の古城さんの厳しいだけではない監督像につながったのかな、なんて思ったりもします」
改革を重ね、日本一のチームを作り上げた古城監督
――同じグラマネをしている前川さんについてはどう見ていましたか
「僕は外部の人間なのでグラマネの本質的な仕事がどうだったのかは見ていないのでわかりませんが、この1年で細かく気配りができるようになったなとは感じます。現役の選手たちがみんな、こいつが一番苦労してきたからこいつを胴上げできて良かった、と言っていたのを聞いて、それだけ一生懸命やってきたのだなと感じました」
日本一に涙する前川紀洋グランドマネージャー
――濱村和人主将についてはどう感じていましたか
「存在感があるというより、安心感を与えられる存在だったのではないかと思います。グラウンドだけではなく、激励会や祝勝会でのしゃべりが、大学生のキャプテンにしてはこいつすげぇ上手いな、と思っていました。不器用なんだけどすごく響いてくるな、いいこと言うな、こういうこと言って欲しいと思うことを言ってくれるな、という印象でそういったところからもみんなに安心感を与えたと思います。前川くんと濱村くんが僕に話を聞きに来たときに、心配要素があるときはその都度その都度消していった方がみんながまとまっていき同じ方向を向くことができる、と言ったことがあるのですが、そういうことをきちんとしていたんだろうな、とも思います」
主将としてチームを引っ張ってきた濱村和人主将とチームを陰で支えてきた梅木晴規渉外マネージャー
――濱村主将は、年齢が上の私たちに対しても普段からちゃんと目を見てしっかりと話をしますし、間の取り方や話の分量などもちょうど良くて、本当にしっかりしているなと感じますよね。小川さんのときは、主将とグラマネはどう役割分担をしていたのでしょうか
「チーム作りをしていく中で、グラウンドでのこと技術的なことは主将、寮生活や部内の規律、効率よい練習ができるように段取りを組むのは僕、というように分担していました。今はそうではないでしょうが、当時は主将、グラマネ、寮長で、選手に妥協をさせないように厳しくしていました。時間がもったいないですから」
――なるほど。グラマネの仕事も当時と今で少し違うんですよね
「そうですね。当時は他のチームとオープン戦を組んだりするのもグラマネの仕事でしたが、今は渉外マネージャーという役職の梅木(晴規)くんがやっていると言っていましたね。逆に、今は前川くんがサードコーチャーをすることもありますが、当時僕がやることはありませんでした。試合中は常に監督の横でスコアを書いていました。コーチ陣と僕で練習メニューを考え、監督に確認してからホワイトボードに書いたりするのも僕の仕事です。それから、バッティング練習の組を作ったりするのも僕の仕事でしたが、これが面白いけど大変なんですよね。4年の主軸と期待する1年を同じ組にして刺激を与えたり、レギュラー争いをしているライバル同士を組ませたり、そうやって作った4,5組がローテーションで練習をこなしていくので、バッティングしている組もあればその組に対してバッティングピッチャーをする組もある。ということは、各組にみんなが打ちやすい球を投げてくれるバッピをこなす選手も、入れなければならない」
――それは本当に大変そうですね。そうしてチーム作りをしていった結果、神宮大会ベスト4という成績を残しました
「と言っても、1勝すればベスト4だったんですけどね(笑)。でも、当時強かった八戸大(現・八戸学院大)に1-0で勝ったのはすごいことです。楽天の青山浩二投手が先発で、後に巨人に入団した三木均投手がリリーフ登板しましたからね。野手では元・横浜DeNAの内藤雄太内野手がいました」
――当時の野球部メンバーも今回の神宮大会を観に来ていましたね。どんな思いで後輩たちの戦いを観ていたのでしょうか
「嬉しかったと思います。やっぱり僕ら以来の神宮大会だったし、みんな気にかけているんだなと思いました。元々僕らの時代から日体大は弱いとは思っていませんでしたが、首都リーグにはプロ予備軍のような東海大という絶対的存在がいて、追いつけ追い越せでやっていました。そこを超えて神宮大会に出たら、優勝した東亜大には準決勝で負けましたが、八戸大には勝てた。僕らにとっては首都で優勝するというのはそれだけのことです。今年は僕らよりも圧倒的な力があったので、準決勝で強豪の東洋大を完封しても、そうだよねと思えました。絶対的な力を持って優勝してくれて、みんな誇り高いと思います」
――絶対的な力を持っているのはなぜだと思いますか
「選手でいえば、やっぱり松本くん・東妻くんの存在は大きいですよね。ふたりの関係性もいいですしね。松本くんは真面目ですごく練習するしエリート街道をずっと来ている、東妻くんはヤンチャっぽくて智辯和歌山で甲子園も出ていますけど最初はなかなか結果が出なくて、あれ? 松本は結果出しているのに…というところから今の位置まで来て、なんだかドラマチックなふたりですよね。野手にもドラマはありますけど、やっぱりふたりの存在は大きいと感じます」
――リサーチ班が良い仕事をしてくれるのも、日本一になるのには不可欠ですよね
「有明(大志郎)くんのリサーチはすごく細かいので、チームからも信頼を得ていたのではないでしょうか。ミーティングのしゃべり方が良かったし、選手からも信頼している雰囲気を僕は感じました。結果も出ましたしね。あと、試合に勝ったあとの有明くんは、充実感のあるいい顔をしているんですよね。いい仕事ができた、という充実感なのでしょうね」
――他にはどんなことが強いチームを作り上げるのでしょうか
「リーダーを信用する、というのも大切なことですよね。たとえば投手コーチは辻孟彦くん(元・中日ドラゴンズ)ですが、投手陣は辻コーチ対して信頼感があるからみんなついていっているのでしょうし」
――みんな同じ方向を向いて頑張っていこうと思っていても、人間なので仲の悪い人が出てきたり従わない人がいたりということもあると思いますが、どう対処したらいいのでしょう
「そういう人も一緒に頑張らざるを得ない環境を作っていくことが大切ですよね。たとえば、どうせスタメンで出られないから、と腐っちゃう人がいたとしても、やっぱり無理やりでも引っ張っていかないといけないです。あと言葉に重みがある人っていますよね。一般で入ってレギュラーになった坂本耕哉くんなんかはそのタイプみたいですけど、そういう人がいると強いチームになりやすいと思います」
――坂本選手は結果も残しているから説得力も増しますね
「そうですよね。あと僕らのときと重なるのが、2軍のスタッフがしっかりしているということです。今の平子(卓実)くんと僕らのときの片野飛鳥(現・上尾高校コーチ)が“すごく熱い2軍チーフ学生コーチ”という点で重なるのです。2軍のスタッフがしっかりしていないと、2軍の選手のモチベーションが保たれません。1軍は今こういう選手を欲しているからおまえチャンスあるよ! おまえがやってある程度結果出したら俺、絶対推すから! そういう熱くて選手から信頼されている2軍スタッフがいれば、1軍と2軍の入れ替わりが活性化します。入れ替わりが活性化しないと、1軍の選手も危機感を感じないので強くなっていきません」
この舞台でグラウンドに立てるのはひとにぎりでも、チームを強くするのはみんなの力
「平子くんは片野と同じように“なんとか底上げをしたい”という強い気持ちを感じるチーフでした。関東大会がはじまる直前、日体大に行ったときに印象的な出来事がありました。これから重要な大会がはじまるので、正直1軍2軍の入れ替えはもうないだろうというときなのに、有沢コーチにアピールできる最後のチャンスだから! ちゃんと各自やってくれよ! と呼びかけ、選手のモチベーションを切らさないよう2軍チーフとして最後の仕事を全うしている姿を見ました。こういうチームが強いんだな、と思いました」
――最後に、来年のグラマネは堀拓郎さんですが、どのような印象か聞かせてください
「熱い人間で、いいと思います。うーん、前川くんよりも信用できますね、なーんて(笑)。ハングリーさがすごくあって個人的にはそこが好きなんですけど、それがいい方向にいけば来年も面白くなると思います。それから、主将が松本くんで副主将に船山くん、中村誠くんがいますよね。これはまたいいチームができるのではないかな、と思います」
僕たちはベスト4だったけど、今年のメンバーは日本一になったので、これからは前川が“伝説のグラマネ”ですね、ははは(笑)と後輩たちからの“日本一”のプレゼントを受け取り、笑顔いっぱいの小川さんでした。
日体大野球部が取り組んでいる様々なことや今回OBに聞いたお話で、勝てるチームを作るためには、表に出る者・裏で支える者、誰一人欠けることなく自分の役割を全うさせることが大切なんだなと感じました。この一年、筆者自身も日体大がどんどん強くなっていく様子を目の当たりにして、1野球ファンとしてチームの変化を追うことの面白さを知りました。
優勝とは、自分たちだけではなくそこに関わるたくさんの人を一瞬で幸せにできる魔法。ここからさらに、古城監督が目指す常勝軍団となっていくのか、来年の日体大がとても楽しみです。
【第1回】日体大、37年ぶりの日本一! ~優勝への序章~
【第2回】日体大、37年ぶりの日本一! ~なるべくしてなった日本一~