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青森大「17年ぶり春優勝」は奇跡か否か “クレイジー集団”が体現した「1-0で勝てるチーム」

言うは易く行うは難し。運も絡む野球という競技において、口にした目標を達成するのは簡単なことではない。5月11日に5季ぶり38度目のリーグ優勝を決めた青森大学硬式野球部は、それをやってのけた。キャンプ地の沖縄で三浦忠吉監督が「『1-0で勝てるチーム』を作っていこう」と号令をかけたのが約2か月前。リーグ戦ではチーム打率.206、防御率0.90と数字だけ見ても守り勝つ野球を展開し、実際に2度、1-0で勝利した。指揮官は「奇跡」と言うが、選手たちが本気で目標と向き合ったがゆえの有言実行だった。

チーム打率低迷でも悲観せず「1点取ればいい」

最終週を迎えるまではチーム打率がリーグ最下位。それでも、八戸学院大学に敗れた開幕試合以外は勝ち続けていた。主将の長井俊輔内野手(4年=横浜創学館)いわく、「試合後のバスで打率が低い話はしていましたが、どんよりした空気にはならなかった。『1-0で勝つのが目標だから1点取ればいいでしょ』と笑い飛ばしていました」。数字は気にせず、ひたすら「1点」を取る方法を考えた。

チームで唯一3割超の打率をマークした川満真外野手(3年=糸満)は、最終週の初戦で先制打と中押し打の2安打、2戦目で決勝弾含む3安打と派手に暴れたが、犠打や積極的な走塁でも「1点」を呼び込んだ。「盗塁や相手の隙を狙う走塁は全員が心がけていた。打率が低くても1点を取るべきところで取れていたと思います」。リーグトップの7盗塁をマークした川満を筆頭に10試合で計24盗塁。うち8割程は選手の意思でスタートを切ったという。

走攻守で優勝に貢献した川満

松井陽真外野手(3年=専大玉名)は2試合連続本塁打を放つなどリーグトップタイの7打点を挙げ、土方謙信内野手(2年=東海大静岡翔洋)は打率1割台ながら大一番の富士大学戦でサヨナラ打と決勝本塁打を飛ばした。「誰が」ではなく全員で「1点」を取りにいく姿勢を最終週まで貫いた。

バッテリーと指揮官で築き上げた盤石の投手陣

投手陣は「0点」に抑えることにこだわった。怪我から復活した右腕・坪田幸三投手(4年=東奥義塾)は先発ローテーションを守り抜き、防御率0.55で最優秀防御率賞、最優秀選手賞、ベストナインの三冠を獲得。苦しい場面では藤澤主樹投手(4年=黒沢尻工)や小金井凌生投手(3年=日体大荏原)が起用に応え、抑えの木村駿介投手(3年=東奥義塾)も奮闘した。

そんな実力派揃いの投手陣をまとめたのが正捕手の鈴木颯大捕手(4年=白樺学園)。昨年マスクをかぶった上で「何かを変えないといけない」と思い立ち、投手との接し方を変えた。「勝つために青森に来て野球をしているので、言って嫌われるならそれでいいと思っています」。例えば、開幕試合で先発し1回3失点で降板した小金井には「お前のせいで負けたんだから次はしっかりやり返さないとダメだ」と厳しい言葉をかけた。ブルペンでも妥協することなく、1球ごとに口酸っぱく助言を与えた。

マウンド上で話す鈴木(右)と小金井

小金井は「言われている時は『くそ、なんだよ』という感じでしたけど…」と苦笑いを浮かべつつ、「あの言葉があったから『やってやる』という気持ちになって、(2週目以降)抑えられたのかもしれません」と感謝する。優勝を決めた試合では4回から救援登板し、4回無失点と好投。鈴木の言葉に救われた投手は少なくないはずだ。

また鈴木は三浦監督とも積極的にコミュニケーションを取った。今春は投手起用について鈴木側から意見し、双方納得した上で決定する新たな試みを実施。二人三脚で盤石の継投を完成させた。今年の投手陣ついて、坪田は「負ける気がしない。負けている時も勝っている雰囲気がある」、小金井は「ノリノリな雰囲気の中でもそれぞれが意識を高く持って高め合えている」と話す。すべてがうまく噛み合った結果の防御率0点台だった。

「冬のハンデ」克服、“実戦増”がもたらした効果

「長かったです…」。優勝決定後の取材で、三浦監督はそう言葉を詰まらせ涙を流した。「5季ぶり」と聞くとそこまで長くは感じないかもしれない。だが春の優勝は2008年以来、17年ぶりで、それを目指し続けてきた三浦監督にとっては長いトンネルを抜け、肩の荷が下りた瞬間だった。

「就任から8年、全国大会に直接つながる春はずっと勝てずにいて、OBたちは毎年悔しい思いで卒業していった。どこかで止めないといけないと思っていたけど苦しくて、去年は春4位、秋5位と大きく沈んで責任を感じました。どうにかして歴史を動かしたくて『変わらないといけない』と変えたことがこうやってかたちになった。選手が頑張ってくれた。それに尽きますね」

戦況を見守る三浦監督

変えたことの一つが「冬の実戦」の拡大だ。「東北で最も初雪が早く、雪解けの遅いチームがどうすれば春の開幕に合わせられるか」を考え、一昨年からは実戦から離れる期間を短くした。秋季リーグ戦終了後の11月は仙台大学と毎週のようにオープン戦を組み、12月は片道約10時間半かけて関東に赴き慶應義塾大学、駿河台大学と対戦。年が明けると2月から沖縄・渡嘉敷島に入り実戦に備えた。

「冬の実戦」に対しては賛否両論あり、効果の有無を証明するのは難しい。ただ、実戦を増やして2年目で「冬のハンデ」を覆す結果を出したのは事実。この実戦の期間に試したり、きっかけをつかんだりしたことが春につながったという声も選手たちから多く聞かれた。

応援も注目…全国の舞台で「狂った青森大」披露へ

三浦監督が仕掛けた「変化」とその成果を挙げれば枚挙にいとまがない。近年は沖縄出身の選手を積極的にスカウティングしているが、そのきっかけとも言える川満が優勝を大きくたぐり寄せる活躍を見せた。「グッと来ました。惚れ込んで、足しげく通って説得して、先輩もいない青森に来てもらった。そんな川満がチームを救ってくれた」。指揮官が惚れ込んだ男は、打席ごとに「野球ノート」を書いて己を磨く努力の男。大一番での一発は奇跡でも偶然でもない。

また三浦監督は選手たちに「クレイジーさ」を求めた。以前は選手の個性を押さえつけようとした時期もあったが、「うちには富士大や八戸学院大のように力のある選手は来ない。蓋をして真面目な集団にしたところで戦えない」と考えを改め、リミッターを解除させた。伸び伸びとプレーする選手たちはグラウンドで輝き、スタンドの「狂った」応援も優勝を後押しした。

最終戦では代打で登場した長井の安打にベンチとスタンドが沸いた

「本音で喋る」ことを目的として今年から始めた「グループワーク」の効果で、先輩、後輩関係なく意見し合える空気感も醸成された。「上級生も下級生も良い意味で振り切れていたし、その雰囲気が監督ともマッチしていたので全員で同じ方向を向くことができました」とは長井。6月9日に初戦を迎える全日本大学野球選手権に向けては「強い大学相手でも変わらない雰囲気で。『これが狂った青森大か』と思わせるくらい、東京で暴れます」と意気込んだ。

三浦監督の就任から9年目、変化を恐れずもがき苦しみ、挑戦を続けた結果、止まっていた時間がようやく動き出した。成し遂げた快挙が奇跡ではないことを、全国の舞台で証明してみせる。

(取材・文・写真 川浪康太郎)

読売新聞記者を経て2022年春からフリーに転身。東北のアマチュア野球を中心に取材している。福岡出身仙台在住。

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