導入からほぼ半世紀、「指名打者制」を取り入れるリーグ、取り入れないリーグ
広尾晃のBaseball Diversity
指名打者(designated hitter=DH)は、野球において、守備に就くことなく投手に代わって打席に立って打撃を行う打者のことだ。
指名打者制(DH)のルール
DH制のある試合では、DHはメンバー表の「打順」に、他の野手と同様、名前を連ねるが、守備位置はない。打順が回ってくれば打撃を行うが、チームが守備の時はベンチで待機することになる。
DHは「投手に代わって打撃を行う」選手であり、投手以外の守備位置の選手の代わりをすることはない。
DH制の試合では、投手はバッティングオーダーには名前が載らない。DHの選手が試合の途中から守備位置に就くことは可能だが、その際にはDH制を解除して投手を打順に加えなければならない。一度DHの選手が守備に就くと、その試合でDH制を復活することはできない。
DHの打者に代打を送ることができるが、その代打は自動的にDHになる。DHの打順は試合の途中に動かすことはできない。
「興行振興」のために導入される
DH制は、1972年、MLBのアメリカン・リーグで最初に導入された。これは打撃戦を多くして人気を呼び込もうとする「興行振興」が目的だったとされる。しかしナショナル・リーグでは導入しなかった。
NPBでは1975年にパシフィック・リーグが導入した。当時、セントラル・リーグとパシフィック・リーグは観客動員で大きな格差があり、パ・リーグはア・リーグがDH制を導入したのに倣って導入した。しかし日本の場合もセントラル・リーグはDH制を導入しなかった。
野球と言う競技では「レベルが上がるとポジションの専門性が高まる」傾向にある。
アメリカでも日本でも、プロ野球の始まりの頃は「投打両方で活躍する選手」がたくさんいた。投手で主力打者と言う選手は珍しくなかったが、投手と他の野手では「専門性」が大きく異なる。そんな中で「打撃は良くないが、投手としては優秀な選手」が主流になって来る。
打撃が弱い選手はできるだけ打席が回ってこない方が良いので、9番に据えられるようになる。「9番」は投手の打順になったのだ。
しかし試合展開によっては、好機で投手に打席が回ってくることも当然あり得る。状況によっては投手に代打を送ることもあるが、それができない状況では打てる可能性が低くても投手を打席に立たせざるを得ない。
これは試合の興趣を下げるという考えから「打撃が弱い投手」の代わりに「指名打者」という発想が生まれたのだ。
指名打者制に反対する理由
しかし一方で「指名打者」には反対意見も多い。1975年にNPBのパ・リーグが指名打者を導入した際にはセ・リーグは9か条の「指名打者制に反対する理由」を掲げた。
1.1世紀半になろうとする野球の伝統を、あまりにも根本的にくつがえしすぎる。
2.投手に代打を出す時期と人選は野球戦術の中心であり、その面白みをなくしてしまう。
3.投手も攻撃に参加するという考え方をなくしてしまう。
4.DH制のルールがややこしくファンに混乱をおこさせる。
5.ベーブ・ルースやスタン・ミュージアルは投手から野手にかわって成功したのだが、そのような例がなくなる
6.仕返しの恐れがないので、投手が平気でビーンボールを投げる。
7.いい投手は完投するので得点力は大して上がらない。
8.投手成績、打撃成績の比較が無意味になる。
9.バントが少なくなり野球の醍醐味がなくなる。
しかし、DH制は半世紀以上の時間を経て、世界中の多くの野球で取り入れられえている。
その理由として
・もう一人選手をレギュラーで起用することができる
・好投している投手に代打を送って降板させなくて済む
・打線が投手で途切れることがなくなり、攻撃的な野球が増えた
・最も運動量が多い投手に休息の時間を与えることができる
・守備は苦手だが打撃が得意な選手の活躍の機会が増えた
などがあげられる。 また1997年からMLBではア・ナ両リーグのチームが対戦する「インターリーグ」が始まった。NPBでも2005年からセ・パ両リーグによる「交流戦」が始まったが、いずれも「指名打者」のあるア・リーグ、パ・リーグが勝ち越している。
世界の野球界はDH制に
今や、世界の野球の趨勢は「指名打者あり」に大きく傾いている。
韓国プロ野球(KBO)と台湾プロ野球(CPBL)では指名打者制を導入している。
また、日本の大学野球も東京六大学と関西学生野球連盟、そして神宮大会を除いて指名打者制を導入した。高校野球はDH制を敷いていないが少年野球にはDH制を導入している団体がある。
また世界のアマチュア野球、少年野球でもDH制の導入が相次いでいる。
そしてついに、2023年からはMLBのナショナル・リーグも指名打者制を導入した。MLBはこれを「ユニバーサルDH」と言っている。これは導入から半世紀を過ぎて、野球ファンに指名打者制が十分に浸透したことが大きいとされる。
この「ユニバーサルDH制」の恩恵をこうむったのが大谷翔平だ。投手と打者の二刀流の大谷は、投げない日には指名打者で出場する。2022年まではDH制のないナ・リーグに移籍することは考えられなかったが「ユニバーサルDH」の導入によって、ナ・リーグのロサンゼルス・ドジャースに移籍したのだ。
セントラル・リーグが48年前に掲げた「指名打者制を導入しない理由」の大半は説得力がなくなっている。
この間に多くの野球ファンは「指名打者制」を十分に理解するようになった。
また指名打者制になってから「ビーンボールが増えた」という事実はない。NPBは1982年に「危険球退場」の制度を設け、頭部付近に死球を与えた投手は一発退場することとなり、ビーンボールへの抑止力となっている。
この間に、投手における「先発、救援」の分業も進み、セ・パ両リーグで完投する投手は激減している。
バント数も2023年で言えばセの608個に対してパが605個と差がついていない。
ただ「代打」は、2023年でいえばDH制のないセ・リーグが1624打数に対しパ・リーグは837打数とセのほうが多い。投手に代打を送る必要がない分、DH制があるリーグのほうが代打の起用数が少なくなるのだ。
投手の打撃が進化するはずだが
「指名打者制」を導入しないのならば、投手の「打撃成績」が向上してよいはずだが、1975年のセ・リーグの投手の打率がトータルで.139、9本塁打、92打点だったのが、2023年は打率.116、2本塁打、62打点とスケールダウンしている。そして三振率は33.8%から46.2%と増加している。
打席に立っているにもかかわらず、投手は以前より「打撃に参加する意欲」を失っていると考えられる。「投手が打席に立ち、不得意な打撃で奮闘することで『意外性のあるドラマ』が生まれる。これも野球の魅力だ」というファンも多いが、多くの投手はそう思っていないようだ。
さらに言えば、大谷翔平の「二刀流」は「指名打者制」を導入しているパ・リーグでこそ成立したと言える。セ・リーグでは大谷は投手ではなく打者で出場するときは、内外野のポジションを守らざるを得ず、その負担と怪我のリスクを考えれば「二刀流」は不可能だっただろう。「打つだけ」に専念できる「指名打者制」が、大谷の「二刀流」を成立させたと言えよう。
巨人の原辰徳前監督は「セ・リーグにもDH制を」、という提案をしているが、他球団の支持を得ることができず、見送られている。
今やDH制を導入していないのは日本だけ
現時点で言えば、世界の主要な野球団体で、DH制を導入していないのは日本のセントラル・リーグと東京六大学、関西学生野球連盟、日本高野連の高校野球くらいになっている。
アマチュアでの国際大会も、ほとんどがDH制を敷いている。日頃DH制のない試合になれている日本の高校野球選手などは、違和感を抱きながら試合に出ることになる。
現場の指導者によればDH制の最大のメリットは「投手の負担が軽くなる」ことにあるという。
今の投手はプロ、アマ問わず投球練習、守備練習だけでなく、コンディションを維持するために打者とは異なる様々なトレーニングをする。打者が打席に立つリーグでは、そうした練習の合間に打撃やバントの練習をすることになる。
プロ野球の春季キャンプでは、ランチタイムなどに投手が打撃練習をすることがよくあるが、コーチは「本音を言えば、休ませるか、コンディショニングの時間をもっと取りたい」とのことだ。
指名打者については、今後も検討の余地があるといってよいだろう。