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東日本大震災から13年の時を経て“恩返し” 石巻で「奥能登地域」の球児招いた交流試合

 宮城県石巻市で8月3、4日、能登半島地震で被災した石川県奥能登地域の高校野球部員と、宮城県内の高校野球部員らによる交流試合が行われた。

 宮城県高野連が、今年1月1日の震災で甚大な被害を受けた奥能登地域の5校(輪島高、能登高、門前高、穴水高、飯田高)の3年生部員約20人を招待。選手たちは石巻市民球場で宮城県高野連選抜、仙台六大学野球連盟選抜(1年生)との試合に臨んだほか、東日本大震災の震災遺構を見学したり、被災体験を伝え合ったりして防災の意識を高めた。

 両県高野連の縁は、2011年の東日本大震災発生以降、石川県高野連が宮城県内の高校野球部にラインカーやキャッチャーマスクを提供するなどの支援を継続的に行ったことから始まった。宮城県高野連は2022年、宮城県の選抜チームと石川県の選抜チームによる交流試合を計画していたが、コロナ禍で断念。ここ2年は予定を変更して仙台六大学野球連盟の選抜チームとの交流試合を実施した。その矢先、能登半島地震が発生。13年の時を経て、ようやく「恩返し」の場が設けられた。

「今日も野球をできていることは当たり前ではない」

 石川県高野連奥能登選抜は宮城県高野連選抜に2-12で大敗し、仙台六大学野球連盟選抜にも6-10で敗れた。それでも、仙台六大学野球連盟選抜との試合では初回に秋田憲秀投手(輪島高)、木下晴仁捕手(門前高)の適時打で3点を先制するなど、相手を上回る計15安打を記録。すでにリーグ戦で経験を積んでいる大学生投手が続々と登板する中で各打者が必死に食らいつき、ベンチには終始明るいムードが漂った。

盛り上がる奥能登選抜のベンチ

 大学生相手に先発登板した最速144キロ右腕・塩士暖投手(門前高)は、威力のある直球を披露するも4回9安打9失点と打ち込まれ降板。「大学生はパワーも修正能力も高校生とは全然違う」と脱帽した一方、「今回は打たれてしまったけど、普通ではできない経験ができて、自分の足りないところを見つけられたのでよかったです」と充実感をのぞかせた。

 能登半島地震は家族と元旦を過ごす最中に起きた。「揺れる前までは今まで通りの見慣れた街だったのに、数分で変わってしまった。夢の中にいるような不思議な感覚で、現実だとは受け入れられない気持ちがずっとありました」。輪島市の自宅は全壊判定を受け、近隣の小学校での避難生活を余儀なくされた。

 1月半ばからは金沢市内にある後輩部員の実家、2月頭からは小松市内にある別の後輩部員の実家に避難。4月には輪島市に戻り全体練習も再開したが、電気、水道が完全には復旧していなかったため練習時間は1日1~2時間に限られ、グラウンド整備もままならなかった。

時折笑顔を見せながらプレーした塩士

 その状況下でもトレーニングや自主練習を怠らず、最後の夏は「一球一球、感謝の気持ち」を込めて投げた。小松市立高との石川県大会初戦でノーヒットノーラン(6回参考)を達成するなど好投を続け、初の8強入りに貢献。困難を乗り越え、高校野球をやり切った塩士は、進路は未定だが今後も野球を継続する予定だという。

 今回の交流を通じ、「東北には震災から10年以上経っても住めない地域があると聞いて、つらいなと感じました」と話すように、日常のはかなさを再認識した。だからこそ、胸に誓う。「こうやって今日も野球をできていることは当たり前ではない。震災のことを忘れてしまう人もいると思うんですけど、自分は絶対に心の中にとどめて、場所を変えて野球を続けたとしても奥能登地域の方々に活躍を届けたい。明日からまた、頑張ります」。

「自分で自分の命を守る」術伝えられる教師を目指して

 宮城県高野連選抜は2連勝。交流試合前のオープン戦で全勝した勢いそのままに、2試合とも投打が噛み合い快勝した。

「石川県負けないぞ!」と書かれたタオルを掲げる宮城県高野連選抜の選手たち

 仙台六大学野球連盟選抜との試合に「4番・捕手」でスタメン出場した千葉虎太朗捕手(石巻高)は、新沼櫂我投手(日本ウェルネス宮城高)、熊谷太雅投手(東陵高)と県内屈指の好投手をリードし0に抑えると、第4打席では安打をマーク。「最後に一本出て、チームも良い終わり方をできてよかった」と笑みを浮かべた。

 東日本大震災発生当時は4歳。記憶は「ほとんど残っていない」が、津波で地元・女川町のアパートが流され、母を亡くした事実は残った。その後、隣接する石巻市に移り住み、小学2年生の頃に野球と出会ってからは白球を追い続けてきた。

好リードで勝利に貢献した千葉

 「奥能登選抜には、火事で家がなくなったという選手もいた。自分は(震災で)つらい思いをしていましたが、石川にも同じような人がいると分かって、お互いに励まし合うことができました」。今回の交流では、野球の話も震災の話も、腹を割って話した。

 また、津波に巻き込まれて児童、教職員計84人が犠牲になった旧石巻市立大川小を奥能登選抜のメンバーとともに見学した際は、改めて身の引き締まる思いがした。大学では野球を継続しつつ教師を目指す予定だといい、「防災教育をしっかり学んで、一人一人が自分で自分の命を守れるよう、教えられる教師になりたい」と力を込めた。

寄せ書きに綴った思い…野球を通じた復興、これからも

 4日は試合間にセレモニーが開かれ、奥能登選抜の前川知貴主将(門前高)と宮城県高野連選抜の郷家璃久主将(仙台商高)が寄せ書き色紙を交換。色紙には「一緒に頑張って復興していきましょう」「被災地にしか生み出せない感動がある!!頑張ろう」などと記されていた。

色紙を交換する前川主将(右)と郷家主将

 宮城県高野連強化育成部の平塚誠委員長は「来年以降、こちらから奥能登に行って奥能登の現状を見る機会を設けるのか、また宮城に来ていただくかたちになるか、定かではないですが、これからも交流を深めていきたい」と話す。野球を通じた復興の、一つのかたちがここにある。

(取材・文・写真 川浪康太郎)

読売新聞記者を経て2022年春からフリーに転身。東北のアマチュア野球を中心に取材している。福岡出身仙台在住。

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