アルビレックス新潟:舞行龍ジェームズ 18年の月日が紡いだ愛と絆
アウェイの地で震えた、運命の「オレンジ」
2007年の春、ニュージーランド出身の高校3年生が向かった先は、まだ見ぬ熱狂の渦中だった。舞行龍(マイケル)ジェームズ(以下、舞行龍)は、当時のアルビレックス新潟(以下、アルビレックス)の強化部長・神田勝夫に連れられ、味の素スタジアムのスタンドに座っていた。
「あの景色が、今でも自分の中の原点になっています」
彼の目を釘付けにしたのは、対峙する相手ではなく、アウェイ側のゴール裏を隙間なく埋め尽くした「オレンジの海」だった。ニュージーランドという、ラグビーが国技の国で育った彼にとって、これほどまでに一つのサッカークラブを熱狂的に支える文化は未知の領域だった 。その後、本拠地である東北電力ビッグスワンスタジアム(現:デンカビッグスワンスタジアム)に足を踏み入れたとき、18歳の少年は再び言葉を失う。毎試合4万人近いサポーターが地鳴りのようなチャントを轟かせ、スタジアムを震わせる。「この人たちのために戦いたい」。その直感は、18年経った今も、彼の胸の奥で熱く脈打っている 。
しかし、プロの世界は甘くはなかった。加入後に待っていたのは輝かしいデビューではなく、過酷な「武者修行」の日々だった。JAPANサッカーカレッジ、ツエーゲン金沢、V・ファーレン長崎。カテゴリーを跨ぐ期限付き移籍を繰り返す中で、彼は「本当に新潟に必要とされているのか」という問いと向き合い続けた 。だが、流転を繰り返しながらも心の拠り所は常に新潟にあり、二度目の復帰を経て、いまや彼は誰よりもオレンジ色の重みを知る「新潟の象徴」となったのである 。

同期・長谷部彩翔という「家族」―ピッチ外で知った人生の豊かさ
舞行龍が「新潟での出会いこそが、僕の日本での生活をこれほど豊かにしてくれた」と語るとき、真っ先に思い浮かべるのは2008年の同期加入であり、親友の長谷部彩翔だ。
二人の絆が決定的なものとなったのは、2010年に共に期限付き移籍したツエーゲン金沢での日々だった。二人はメゾネットタイプの部屋でルームシェアをしていた。言葉も文化も違う異国の地で、部屋に戻れば家族のように接してくれる長谷部の存在は、若き舞行龍にとって唯一無二の救いだった。
「彩翔には、本当に感謝しているんです」。 忘れられない思い出がある。ニュージーランドから舞行龍の両親が来日したときのことだ。右も左もわからない両親を、長谷部は自分の家族のように温かく迎え入れた。そして、自らハンドルを握って、不慣れな土地である金沢の街を案内して回ったのだ 。その献身的な姿に、舞行龍は言葉を超えた深い情愛を感じた。
現在、長谷部は自動車販売の世界で、驚異的な速さで店長へと昇進し、ビジネスマンとして目覚ましい成果を上げている。(長谷部さんの現在の活躍についてはこちら)舞行龍は、そのセカンドキャリアでの成功を「心の底から尊敬している」と熱を込めて語る 。
「ピッチを離れて、全く別の、数字がすべての厳しい世界でこれほどの結果を出している。それは、彼が現役時代から培ってきた努力が本物だったという証拠。彩翔が新しいフィールドで輝いている姿は、僕にとって今の現役生活を続ける上での大きな誇りなんです」
一方で、今なお現役としてピッチに立ち続ける鈴木大輔や川又堅碁、大野和成といった同期たちへの想いも特別だ 。「直接会ってゆっくり話す機会は減ってしまったけれど、テレビやニュースで彼らが戦っている姿を見ると、『ああ、あいつもまだもがいているな』と背筋が伸びる。36歳という、プロとしては決して若くない年齢で、互いにボロボロになりながらも現役として戦い続けている。その姿は、言葉を交わす以上の刺激になります」
ビジネスの世界で活躍する友と、ピッチで限界に挑む友。それぞれの場所で「2008年組」の矜持を体現する同期たちの存在が、舞行龍という一人の男を、より高みへと押し上げている。

愛を育む街―郵便局員の選んだワインと「ちゃんこ大翔龍」の灯
新潟で過ごす10年以上の歳月は、一人のアスリートをこの街の「生活者」へと変えた。新潟の街には、単なる「サポーター」という言葉では括りきれない、深い人間関係が網の目のように張り巡らされている。
象徴的なのが、近所の郵便局員との出会いだ。ワインという共通の趣味を通じて意気投合したその局員さんは、プロポーズを控えた舞行龍の「妻の誕生年のワインをプレゼントしたい」という無茶な相談に、真摯に協力してくれた。 「あのワインのおかげでプロポーズは大成功して、今では三人の宝物のような子どもたちにも恵まれました。あの時の出会いがなければ、今の幸せな家族の形はなかったかもしれない」。
また、選手や関係者、その家族までが集う憩いの場が、新潟市内のちゃんこ店「ちゃんこ大翔龍」だ。ここは単なる飲食店ではない。時には選手の奥様たちが集まって懇親会を開き、悩みや喜びを分かち合う、文字通りのコミュニティの核となっている。
「J2降格の悲しみも、J1昇格の歓喜も、いつもこの店で分かち合ってきました。ここに来れば誰かがいて、家族のように迎えてくれる。僕にとってもチームにとっても、なくてはならない大切な場所です」
新潟を離れたOBたちも、近くに立ち寄った際には訪れる、アルビレックスの第二のホームと言えるような場所であり、アルビレックスがいかに新潟の街に根付いているか、を示す証拠にほかならない。

これからも新潟で―この街で指導者として歩む未来
舞行龍が新潟への愛を語るとき、その視線は現役生活の先、さらには次世代の未来へと向けられている。最近、彼の中で急速に高まっているのが、地域の子どもたちへのサッカー指導に対する関心だ。
「スクールでも何でもいいから、小学生に関わりたい。教えるのが好きなんですよ」
この言葉には、これからも長く新潟という土地に留まり、この街のサッカー文化を育んでいきたいという強い意志が込められている。息子が小学生になったことも、その想いを後押しした。 「将来アルビでプレーしたいって思ってくれる子どもを増やしたい。……まあ、僕の息子は『PSG(パリ・サンジェルマン)でプレーしたい』って言ってますけどね(笑)」
照れくさそうに笑った後、彼は真剣な眼差しでこう締めくくった。 「おじいちゃんやおばあちゃんが孫と一緒にビッグスワンに来て、スタジアムで笑い合っている。そんな文化が長く続く街を作っていきたい」。 一人の親として、そして一人の「新潟人」として。舞行龍ジェームズという男は、この地に深く根を張り、将来を担う新潟の子どもたちのために、今日もオレンジの誇りを胸にピッチへ向かう。

(取材/文・真鍋智、取材協力/写真・アルビレックス新潟)

