仙台育英で「下から数えた方が早かった」投手が大学でエースに 東北工業大・後藤佑輔の野球人生を変えたコロナ禍のマウンド
一昨年夏に甲子園で東北勢初優勝を果たした仙台育英は、昨年も甲子園決勝に進出し準優勝に輝いた。今春卒業の3年生に関しては、東京の強豪大学へ進学するとのニュースが続々と報じられているが、仙台六大学野球連盟に加盟する宮城県内の大学へ進学予定の選手も複数いる。
現在、仙台六大学で活躍する仙台育英OBも多く、その筆頭が東北工業大のエース左腕・後藤佑輔投手(3年)だ。東北工業大は春夏ともに最下位に沈んだ前年から一転、昨年は春4位、秋3位と息を吹き返した。躍進の立役者となったのが、春秋全節で第1戦の先発を託された後藤だった。140キロ前後の直球と5種類の変化球を駆使した投球で春3勝、秋2勝を挙げ、春は並み居る好投手を押さえてリーグトップの45奪三振(43回)を記録した。
そんな後藤だが、高校時代は本人いわく「下から数えた方が早い」投手で、公式戦の登板はわずか1試合。高校3年の夏の前には「野球は高校まで」との考えも頭をよぎっていたという。なぜ大学でも野球を続けると決断したのか、そしてなぜ大学で急成長を遂げたのか――。大学ラストイヤーを前に、これまでの野球人生を振り返ってもらった。
「育英じゃなかったらここまで成長できなかった」
宮城県塩竈市出身の後藤は、小学1年生の冬に野球と出会った。初めてキャッチボールをした瞬間から「ピッチャーは楽しい」と感じ、以降、投手一筋。「マウンドからホームベースまでの距離が決まっている中で、打者をどう抑えるか。その駆け引きが楽しい」。今でもマウンドでは高揚感を覚える。
中学3年生の頃、仙台育英の試合を観戦して「野手も投手もすごくて、とにかく強い。ここで野球をやったら、もう一段階上にいける」と実感した。希望通り入学したものの、入部直後に参加した1年生練習で周りとの力の差を思い知らされた。同期の投手陣には後藤が「今も追いかけている選手の一人」だという好左腕・向坂優太郎投手(現・仙台大)らがおり、層は厚かった。
「この選手たちに勝たないと試合に出られないのか…」。厳しい現実を受け入れつつも、ネガティブ思考に陥ることなく、「レベルの高い周りの選手に追いつくため」ガムシャラに練習した。公立高校に進んだ中学時代のチームメイトに「お前がうちのチームにいたらエースだよ」と言葉をかけられた際には、「さらなる高みにいくなら育英でしょ」と胸を張って答えた。
実際、仙台育英では「練習」を一から学んだ。チーム内で重要視されていたのが、「目標にたどり着くまでの道筋を立てて練習する」こと。例えば、「球速を上げるためにどんなメニューを組むべきか考えて練習する」ことだ。試行錯誤した日々は、個人で練習する時間の多い大学での野球生活に生きているという。後藤は「育英じゃなかったらここまで成長できなかった。野球を知れなかった」と断言する。
高3夏に巡ってきた「最初で最後の公式戦登板」が転機に
ただ公式戦の登板機会は一向に巡ってこず、あっという間に高校最後の夏を迎えようとしていた。世間は新型コロナ禍の真っ只中。甲子園は中止となり、宮城では独自大会が開催されることになった。
仙台育英は独自大会に3年生40人で臨んだ。試合ごとに登録メンバーを大きく入れ替え、全員が選手や記録員として試合に携わった。後藤は3回戦の聖和学園戦に2番手で登板し、4、5回を打者3人で抑えるなど3回1失点と好投。この試合は9対1で快勝し、仙台育英は勢いそのままに大会を制した。
後藤にとっては最初で最後の公式戦登板。「育英の看板を背負って投げるのはやっぱり楽しかった。チャンスを与えてくれた須江(航)先生に感謝しています」と話すように、憧れのユニホームを身にまとって挑む真剣勝負は格別だった。
そして、進路を迷っていた後藤が大学で硬式野球を継続すると決めたのは、この時の登板がきっかけだった。「ここで辞めるのはもったいない。大学でもピッチャーを続けて、試合に出たい」。高校野球引退後から進学先を探し、中学時代の先輩らが在籍している東北工業大を選んだ。
すべてを進化させつかんだ「絶対的エース」の座
大学では1年春からリーグ戦に登板した。入学前から重点的に取り組んでいた筋力トレーニングを続けると、球速が大きく向上。1年春の段階で高校の頃より10キロ速い最速143キロを計測した。高校ではカーブとスライダーの2種類だけだった変化球も種類を増やし、新たにカットボール、ツーシーム、チェンジアップを習得したことで投球の幅が広がった。
2年次は課題だった制球力の改善に着手。まずは投球フォームを見直し、オーバースロー、サイドスロー、スリークォーターとあらゆるフォームを試した末、最も投球が安定したスリークォーターを採用した。さらに、松坂大輔さんのYouTubeを参考に打撃投手として投げて制球力を磨く練習方法を取り入れるなど工夫を重ねると、成果はより顕著に現れた。
「いろんな要素が合わさった」という3年春、開幕投手を務めた初戦の仙台大戦で5回まで無失点に抑える好投を披露。その後も毎試合のように先発の役目を果たして3完投2完封をやってのけ、絶対的エースの称号を手にした。「変化球の精度」と「まっすぐの強さ」を同時に追い求めた秋は直球に頼った結果打ち込まれる場面もあり、春を上回る成績は残せなかったが、首脳陣の信頼は揺るがなかった。
大学ラストイヤーで「最高の結果」残し、その先へ
高校3年の夏、あのマウンドに上がっていなければ、大学で野球を続ける後藤も、エースとして活躍する後藤もいなかったかもしれない。本人も「大学で野球を続けて本当によかった。続けていなかったら今のチームメイトにも会えなかったし、楽しい大学生活を送ることもできなかった」と話す。
一方、まだやるべきことは残っている。後藤は「大学ラストイヤーは課題をすべてぶち破って、最高の結果を残したい」と意気込んだ上で、「今年こそは東北福祉大、仙台大から1勝を取る。その1勝に自分が大きく貢献する」といまだ成し遂げられていない「打倒・2強」を誓った。
また「ここまできたら社会人になってからも野球を続けたい」とも力を込める。「大学より上のレベルになると、自分の何倍もうまい人ばかりだと思う。でも、壁があれば背中を追えるし、そういう選手がいれば燃えますよね」。後藤の野球人生は、ここからが本番だ。
(取材・文・写真 川浪康太郎)