「セイバーメトリクス」がMLBを変えるまで

広尾晃のBaseball Diversity

「野球」というスポーツは「数字」と親和性が高いスポーツだ。いまは多くのスポーツで「データの活用」が進んでいるが、とりわけ野球は、膨大なデータが日々生み出され、活用されている。

数字と親和性が高い野球というスポーツ

なぜ、野球は数字、データと親和性が高いのか?

第一に上げることができるのは「試合数の多さ」だ。

シーズンの公式戦の試合数は、

 メジャーリーグMLB 162試合

 日本プロ野球NPB 143試合

 韓国プロ野球KBO 144試合

 台湾プロ野球CPBL 120試合

これに対し、他のプロスポーツは

 Jリーグ(サッカー) 38試合

 Bリーグ(バスケット) 60試合

 NBA(バスケット) 82試合

 NFL(アメリカンフットボール) 17試合

であり、プロ野球が圧倒的に多いことがわかる。これだけ膨大な試合が行われ、勝敗や選手の試合成績が積みあがるのだから、数字は必然的に必要になる。

第二に野球は「セットプレーの連続」であること。

セットプレーとは「停止した状態から、プレーが始まること」だ。サッカーやバスケットなどは、一度プレーが始まると、中々中断しない。選手が数分間にわたって動き続けることもある。しかし野球は投げる、打つ、捕るなどのプレーが細切れになっている。このために「記録者」が、スコアブックなどに記録を記入しやすくなる。

野球では、多くの試合が、同時並行的に各地で行われる。それをすべて観戦することは不可能なので、それらの試合は「スコア」として記録され、その後収録される。

それらの記録を比較して、チームや選手の「優劣」を比較するようになったのだ。

150年前に誕生した「データ野球記」

こういうこともあって、野球は「記録」のスポーツとして発達した。

MLBにあって「記録の父」と呼ばれているのが、アメリカのジャーナリストのヘンリー・チャドウィックだ。

ニューヨーク在住のチャドウィックは、1870年代に試合に出場した選手の記録を一目で把握できる「ボックススコア」を考案した。また、集計した打数、安打、投球回などのデータから「打率」「防御率」などの指標=Statsも考案した。

チャドウィックらの発明によって、野球は「記録のスポーツ」として一段と進化した。

野球がアメリカの「ナショナルパスタイム=国民的娯楽」になったのは「記録」によるところが大きい。

レッドソックス、ヤンキースの大打者として活躍したベーブ・ルースは、本塁打のシーズン記録を1918年の11本から、19年29本、20年54本、21年59本と次々に書き代えたことで、全米の熱狂的な注目を集めた。ルースは27年には60本塁打を打っている。

またレッドソックスの大打者、テッド・ウィリアムスは1941年に打率.406で「最後の4割打者」となったことで「打撃の神様」と呼ばれるようになった。

日本では、野球は「記録」というよりは「気迫あふれるプレー」「逆境に負けない精神力」などが賞賛される時代が長かったが、1963年に南海の野村克也がシーズン記録の52本塁打を打ち、64年、巨人の王貞治がこれを抜く55本塁打を打ったころから「記録」への関心が高まった。

一方、チーム内では、相手チームの作戦や戦力を調べて対策を練るために、偵察要員を起用するようになった。MLBでアドバンススカウト、NPBで先乗りスコアラーと言われたスタッフは、独自のスコアブックを作成して、投手、打者の傾向や、癖、動作の特徴などを微に入り際に渡り記録し、選手の攻略に役立てた。

中には「サイン盗み」など、今の基準に照らせば「ルール違反」と言っても良いデータまで取得するアドバンススコアラー、先乗りスコアラーもいた。

甲子園にあるベーブ・ルースのレリーフ

固定観念に縛られた野球記録

しかしながら、1990年代までのプロ野球を巡る数字は、日米ともに1世紀以上前に考案された「野球の記録」を尊重し、その考え方を踏襲してきた。

つまり「優秀な打者」とは「本塁打をたくさん打ち」「打点を稼ぎ」「打率が高い」打者のことであり、「優秀な投手」とは「多くの勝利を勝ち取り」「奪三振が多く」「防御率が低い投手だ」という価値観が、何十年も守られてきたのだ。

野球記録の固定観念は永年続いた

セイバーメトリクスの登場

しかし1977年、アメリカ、カンザス州在住の野球愛好家、ビル・ジェームズは従来の野球データを統計学的に集計しなおした。

そして、野球の記録を一つの「価値基準」に基づいて意味づけた。

端的に言えば、それは野球のあらゆるプレーは、チームの勝利=より多くの得点を取り、より少ない失点で抑える、ことに集約される、というシンプルな基準だった。

それまでの「野球記録」は、単に選手の「打率」「長打力」「選球眼」「制球力」「エラーをしない守備力」などを個別に取り上げて評価してきたが、ジェームズがそのすべてを「得点」「失点」「勝利」に紐づけて価値体系を再構築した。

ビル・ジェームズに始まる統計学的な「データ野球」の考え方を「セイバーメトリクス」という。

これによって、従来の「記録の価値観」は大きく変わった。

「安打による出塁」と「四球による出塁」は、同じ出塁であり、価値は同一である。とされた。これによって「打率」よりも「出塁率」が重視されるようになった。

投手では、振り逃げ以外に走者が出ることが無い「三振」が最も重要な結果であり、反対に、走者を絶対にアウトにできない「四球」が、最も悪い結果であるとされた。

その後、セイバーメトリクスの研究者の一人、ボロス・マクラッケンが「安打は、野手のいないところにボールが落ちる、偶然の産物だ」という趣旨の新説を発表、大反響となったが、ビル・ジェームズなど他の研究者も、これを追認。

これによって、安打による出塁の率である「打率」の価値が下落した。また走者の有無によって数字が変動する打者の「打点」、安打による失点を含んだ投手の「防御率」「勝利数」などの指標も「運が絡む数字」だとして、否定されるようになった。

野球のデータが大きく変化した

オークランド・アスレチックスの挑戦

セイバーメトリクスはあまりにも大胆な新説を含んでいたので、当初、MLB球団は全く相手にしなかったが、1998年、有力なオーナーが死去して、資金不足に悩んでいた、オークランド・アスレチックスのビリー・ビーンGMが、この考え方に着目し、セイバーメトリクスの研究者のポール・デポデスタを補佐役として採用した。

ビーンGMは、従来のような「打率」「勝利数」「防御率」が優秀な、有名選手ではなく、成績的には大したことが無いが「出塁率」が高かったり、与四球数が少ないなどの特長を持つ選手を、安い年俸で雇用して、チームを編成。

これによって、アスレチックスは2000年からの4年間で3回アメリカン・リーグ西地区で地区優勝。年俸総額はこの期間、すべて30球団で20位以下であり、金をかけずにチームを強化するという「奇跡のマネジメント」を実現した。

こうしたビリー・ビーンの活躍は、ノンフィクション作家マイケル・ルイスによって「マネーボール」というドキュメントにまとめられ、ベストセラーになった。

またのちに、ブラッド・ピットを主役として映画化され、これもヒットした。

この「マネーボール」によって、セイバーメトリクスは一気に有名になり、各球団は先を争ってセイバーメトリクスの専門家を雇い入れた。

ここから、アメリカのデータ野球は大進化を遂げることになったのだ。

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