「東都2部」で揉まれ芽生えたプロ志望 トヨタ自動車東日本・中村隆一に白球を追わせる亡き恩師の言葉

恩師やチームメイト、ライバルに恵まれたからこそ今がある。トヨタ自動車東日本が社会人野球日本選手権最終予選東北大会で準優勝。決勝でTDKに敗れ、日本選手権初出場こそ逃したものの、JR東日本東北、日本製紙石巻を破って決勝進出を果たす快進撃を披露した。立役者の一人が2年目左腕の中村隆一(24=国士舘大)。日本製紙石巻との準決勝で9回3安打無失点と好投し、完封勝利をやってのけた。大学までに積み上げた経験を自信に変え、堂々とマウンドに立っている。
圧巻の完封勝利で日本選手権東北予選決勝進出に貢献
10月4日の準決勝。日本製紙石巻打線を単発3安打に抑えた。前半は直球で押してゴロアウトを量産。中盤までに瀬戸泰地(26=桐蔭横浜大)の3点本塁打などで4点の援護をもらうと、後半は得意球のチェンジアップを多投して相手打者を手玉に取った。
前日の1回戦でJR東日本東北打線を封じた中里優介(30=花巻東高)、齋藤智哉(25=石巻専修大)は同じ左腕の先輩として参考になる部分が多いという。「前半は直球で押す」組み立ても中里から教わった。

完投、完封は社会人の公式戦では自身初。中村は「今日は5回終了時点で疲労感がなかったので、最後まで投げきれると思っていました」と余裕の笑みを浮かべた。
昨年の日本選手権東北予選も準決勝で日本製紙石巻と当たり、この時も中村は先発を託された。5回2失点と試合を作るも、チームは0対7で敗戦。悔しさを味わっただけに、今年は「(昨年は)先制されてそこからズルズル行ってしまったので、先制点を与えないことを意識していた。自分にとってはリベンジ戦でした」と振り返る通り、燃えていた。
大谷龍太監督も「これまでで一番良いピッチングをしてくれた。もともとコントロールが良かったが(社会人になって)さらに精度が上がって、まっすぐをコースにしっかり投げられるので変化球も生きている」と絶賛。2年目の進化を示すには十分すぎるほどの投球だった。
「お前は伸びるから絶対に上で野球を続けた方がいい」
中村は日本人の父とフィリピン人の母を持つハーフ。佐賀県で生まれ、親の転勤による引っ越しを繰り返したのち、静岡県の御殿場西高に進学した。
高校では狙っていたエースの座を奪えず、卒業後は野球を離れるつもりでいた。しかし、当時の故・森下知幸監督にその意向を伝えると、「お前は伸びるから絶対に上で野球を続けた方がいい」と説得された。森下氏は監督として甲子園通算13勝を挙げ、2007年春のセンバツでは常葉菊川高(現・常葉大菊川高)を優勝に導いた指導者。「森下先生に言われたらやるしかない」と翻意した。

高校では球速が130キロ程にとどまり、「自分の才能を考えると厳しいかな、限界かな」とネガティブ思考に陥った。恩師に背中を押されたことで、「野球人生がここで終わっても悔いが残らないよう、自分のできることをやりきろう」との考えに変化。大学で野球を続けるモチベーションが生まれた。
中村は「森下先生のおかげで野球観が変わった。森下先生が監督でなければ絶対に野球を続けていない」と断言する。
4年春に細野晴希、西舘昂汰を抑えリーグ最多6勝マーク
国士舘大に進み、東都大学野球2部リーグで4年間を過ごした。2部リーグとはいえ、東都は全国トップレベルの強豪校がひしめき合う。そんな中、球速と制球力を大幅に向上させ、エースと呼ばれる投手へと成長を遂げた。
4年春にはこの年のドラフトでいずれも1位指名を受ける細野晴希(当時・東洋大、現・日本ハム)、西舘昂汰(当時・専修大、現・ヤクルト)を抑えリーグトップの6勝をマーク。球速も高校時代を大きく上回る147キロまで伸び、これを機に、初めてプロ野球を意識するようになった。
「何度も投げ合って、投げ勝つこともあった相手がドラフト1位でプロに行ったのは自信につながった。それまでは周りに『プロあるぞ』と言われても自信を持てなかったけど、自分の可能性を信じられるようになりました」

「社会人で活躍できなければプロでも活躍できない。まずは社会人を代表するピッチャーになろう」と、声のかかったトヨタ自動車東日本へ。今度は自ら野球を継続する道を切り開いた。
細野、西舘はもちろん、東都2部でしのぎを削った西村進之介(当時・専修大、現・ヤマハ)、水谷祥平(当時・東洋大、現・JR東海)、橋本吏功(当時・東洋大、現・JR東日本東北)らの活躍も常に気にかけているという。「あのレベルの選手たちと戦えていたのだから、自分も頑張らなきゃ」。社会人になってからは大学での刺激的な日々を思い出しながら練習に励んでいる。
二大大会出場を目標に、目指すは「勝てるピッチャー」
「勝つために野球をやっている。まずは勝たないといけない。チームが勝てるようになればおのずと注目されて、球速もついてくるはず。今はとにかく勝てるピッチャーになりたいです」
目標はプロ入りだが、現時点ではチームの目標である二大大会出場を最重要事項に掲げる。元来の武器である制球力や変化球とともに、足の上げ方を変えたり、クイックを織り交ぜたりしてタイミングをずらす投球術にも磨きをかけており、球速を上げることにはこだわらない。すべては、まず勝つためだ。

森下氏は昨年1月に急死した。恩師に野球選手としての終着点を見せることはできなかった。それでも、マウンド上で「お前は伸びる」を体現し続ければ、必ずや感謝の思いは伝わるはずだ。
(取材・文・写真 川浪康太郎)