ワールドカップを超えた先にあるものとは。女子ラクビー平野恵里子選手

ヨーロッパの西の端に位置するスペイン。新型コロナウイルスに揺れるこの国に、昨年12月一人の日本人女性が降り立った。彼女の名前は平野恵里子。日本代表の経験もあるラクビー選手である。

平野選手は今季、スペイン女子ラクビーのトップチームの一つである「ウニベルシタリオ・ラクビー・セビーリヤ・コルテバ・ココドリラス(Universitario Rugby Sevilla-Corteva Cocodrilas)」に所属し、スペインのリーグでプレーしている。

フットボール(サッカー)が国技と言ってもよいこの国で、ラクビーをすることを決意した彼女の目は、今年の秋に開催されるワールドカップとその先をすでに見つめている。

ラクビーと釜石のまち

試合中の平野選手(写真右)とココドリラスのチームメート。 写真撮影:對馬由佳理

平野恵里子選手は岩手県大槌町の出身。この町は釜石市の隣町のひとつである。釜石市は、かつて日本選手権7連覇を果たしたラクビーチームの新日鐵釜石のお膝元。こうした地域では、子供の頃からラクビーをする環境がととのっていたとしても、驚くことではないだろう。

もちろん平野選手も、先にラクビーをしていた兄弟の影響もあり、6歳からラクビーに親しむことになった。学生時代は陸上部に所属していたこともあり、俊足を生かしたウイングが今でも彼女のポジションである。

釜石高校卒業後は、日本体育大学に進学してラクビーを続けた平野選手。大学卒業後はラクビーチームのYOKOHAMA TKMに所属、2017年にアイルランドで開催された女子ラクビーワールドカップで日本代表に選出された。

日本の女子ラクビーの現役選手として第一線でプレーする平野選手が、今回のスペイン挑戦を決めた背景には、日本代表メンバーとして経験した海外での出来事があった。

日本代表選手としての経験がもたらした課題

写真撮影:對馬由佳理

2017年に日本代表として初めてワールドカップの舞台に立った平野選手。また2019年には日本代表選手としてヨーロッパに遠征し、イタリアやスコットランドと対戦した。

この2度の国際舞台で平野選手が感じたことは、ラクビー強豪国の選手たちの体の大きさと強さ、そして試合に向けて自分の調子を最高潮に持っていくことの難しさだった。

ラクビーの強豪国となるヨーロッパやオセアニアの選手たちは体も大きく、力も強い。そのため日本人選手が、国内やアジアの試合と同じようにタックルに行くと、すぐに弾き返されてしまうことになる。

また、ワールドカップなど海外の主要な大会では、短い日程の間で試合が立て続けに行われる。加えてその国独自の気候や環境もあり、日本国内での試合と同じように心身を調整することは、実はかなり難しいことも多い。

しかしこの2点を乗り越えない限り、日本代表がワールドカップを始めとする国際大会で活躍できるようにならないことに、平野選手は気がついたのだった。

このため平野選手は、まず2018年にオーストラリアのワイリンガ・クラブで半年間プレーする。その後一旦日本に戻り、2020年の夏に再度オーストラリアでプレーすることを予定していた。しかしそちょうどの時期に、新型コロナウイルスが全世界で感染拡大し始めたため、平野選手は2回目のオーストラリア挑戦を断念することになった。

しかし、粘り強く他の海外チームとコンタクトを取り続けていた平野選手の元に吉報が訪れる。2020年の8月にスペイン・セビーリャのラクビーチームでプレーすることが決まったのである。

セビーリャの「ココドリラス」

スペイン初戦に勝利した後、
チーム旗の前でスタッフと記念撮影する平野選手(写真左)。写真撮影:對馬由佳理

平野選手が現在所属するセビーリャのラクビーチームの正式なチーム名は、「ウニベルシタリオ・ラクビー・セビーリヤ・コルテバ・ココドリラス(Universitario Rugby Sevilla-Corteva Cocodrilas)」。通称「ココドリラス」あるいは「ココス」と呼ばれているチームである。

「ココドリラス」はセビーリャで約30年前から活動しており、5年前からスペイン女子ラクビーの1部リーグでプレーしている。2019-2020シーズンにはリーグ優勝を達成し、同時にコパ・イベリカではポルトガル代表チームに勝利してイベリア半島No.1に輝いた強豪チームでもある。

このチームの初期メンバーであり、現在は同チームの会長でもあるマリオラ・ルス・ルフィノ(Mariola Rus Rufino)氏は、2021年初戦の試合の直前に、新加入の平野選手の印象について次のように語った。

「彼女はいつでも礼儀正しくて、どんなときでも相手を尊重することができる選手ですね。今は言葉のハンデがありますが、それでも彼女がいつも笑顔を絶やさずにいるのは、とても素晴らしいことだと思います。ココドリラスの選手やスタッフはみんな、平野選手のことが大好きなんですよ。」

チームに合流したのはわずか2ヶ月前であるにもかかわらず、「ココドリラス」の平野選手に対する信頼は厚い。その証拠に、スペインに来てからすべての試合で平野選手はスターティング・メンバーとしてグラウンドに立っている(2021年1月末現在)。

外国の地で、自分の心身を試合に向けて最高潮に持っていくという経験を積むことができる場所で、日々平野選手は暮らしているのである。

平野選手が感じるスペイン・ラクビーの印象とは

スペイン第3戦目となったエイバル(Eibar)でのゲーム中、相手チームの選手にタックルする平野選手(写真右)。写真撮影:對馬由佳理

現在のところ、スペインラクビーは国際的によく知られているわけではない。おそらく、スペイン語を話さない人がインターネット上でスペインラクビーについての情報を見つけるのは、かなり難しいことだろう。

そうした状況で、セビーリャのチームでプレーを始めた平野選手が最初に気がついたスペインラクビーの特徴は、選手たちの攻撃性とパワーの強さだった。

「タックルが、死角から来るんです。」と平野選手は語る。「私がボールを持って走っているときなんか、『殺されるんじゃないか』って思うくらい、見えない位置からタックルされることがあります。」

「ココドリラス」を始めとするスペインリーグのチームに、オーストラリアやニュージーランド出身の選手がいることは珍しくはない。しかし、リーグの選手の大半はスペイン人である。そして、もちろん個人差はあるにせよ、スペイン人は他のヨーロッパ諸国の人と比較しても、さほど体格の大きい人が多いわけではない。それでも、「試合中にタックルに行くと、選手を捕まえることはできても、その人を倒しきれないことが多いんですよね。」と語る。

スペインに来た理由の一つが、「自分より体の大きな選手と対戦する機会を多く持ちたかったから」という平野選手。体格的にはそれほど自分と変わらなくても、よりアグレッシブでタフな選手たちと日常的に競い合う中で、自分の実力を向上させようとしている。

ラクビーワールドカップとその先に向けて

試合後に写真撮影に応じる平野選手(写真左)。一緒にいるのは、日本でのプレー経験もあるティー・タウアソシ選手(写真右)。撮影:對馬由佳理

2019年に開催された男子ラクビーのワールドカップ以来、日本でもラクビーの人気は出てきたものの、女子ラクビーとなると日本でも知る人が多いわけではないだろう。

実は現在、平野選手の他にも2人の日本人選手が欧州の女子ラクビーリーグでプレーしている。それが、イングランドにあるチームのワスプス・レディス(Wasps Ladies)所属の鈴木彩香選手と、同じくイングランドのエクセター・チーフス (Exeter Chiefs)所属の加藤幸子選手である。

先日、とあるWEB上の寄り合いでこの3人の日本代表経験のある選手が一堂に会する機会があった(ちなみにちょうどお昼時だった3選手は、お酒無しでこの寄り合いに参加していた)。

「美味しいお米と、シーフードが食べたい」という本音がこぼれた、この日のWEB寄り合い。その最中、鈴木選手が「今年のワールドカップで良い結果を出すのはもちろんですが、2025年か2029年に女子のラクビーのワールドカップを日本に招致したいんですよね。日本でぜひ試合を見てほしいんですよ。」と話した。

その言葉を聞いた瞬間に、誰よりも力強くうなずいていた参加者の一人が、平野選手だった。

確かに、彼女の今回のスペインでの挑戦における短期的な目標は、今年の秋のワールドカップで日本代表として好成績を挙げることである。しかし、同時に今回のスペイン挑戦には、日本の女子ラクビーを世界に広める役割もあることを平野選手は理解している。そして、そのことが将来の日本の女子ラクビーにプラスに働くであろうことも、やはり理解しているのである。

約半年後のワールドカップの先にある、まだ見ぬ4年後や8年後の日本女子ラクビーのために、平野選手のスペイン挑戦は今日も続いている。

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