「あえて教えない」――全国レベルの高校女子サッカー指導者から学ぶコーチング術

年末年始に行われた第34回全日本高等学校女子サッカー選手権大会に先立ち、同大会に出場を控えていた2校、鹿島学園高等学校(茨城県代表)とAICJ高等学校(広島県代表)の監督にインタビューする機会を得た。本サイトに掲載されたコラムを執筆するためである。

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競技環境やチームカラーは異なるものの、両監督の指導手法(あるいは哲学)にある共通点があるように筆者には感じられた。自由に練習する時間を選手に与え、自主性を促すという姿勢である。

鹿島学園の晝間(ひるま)健太監督は、普段から朝練習を一切指示せず、「遠くから見物するだけ」と語った。

AICJの小川潤一監督は、大会直前の数週間を完全に選手たちによる自主練習へと切り替えたという。

高い目標を掲げて競うチームにおいて、あえて指導者が介入を控える判断は、一般的な感覚からすれば大胆であり、ともすれば行き過ぎた放任主義とすら受け取られかねない。

筆者は両監督の姿勢に強い感銘と共感を受けた。スポーツの種類は異なるし、競技力も全国レベルとはほど遠いものの、自分自身も高校でスポーツ指導に携わっているからである。あれこれ口を出して教えるよりも、教えずに見守る方が、はるかに難しいことを日々実感している。 いわゆる「熱血指導」とは異なる、選手の自主性を育てるコーチング術について考察したい。

スポーツ指導者とは何者なのか――影響力という視点

スポーツ指導者を語る際、技術力や戦術眼が注目されがちである。しかし、教育学やスポーツ社会学の分野では、指導者の本質的役割は「影響力」にあるとされてきた。

元NFL選手であり、引退後に牧師、そして高校フットボールの指導者となったジョー・アーマンは、著書『Inside Out Coaching』において、スポーツ指導者は親に次いで若者に大きな影響を与える存在であると述べている。

アーマンは、指導者の言葉や態度、沈黙さえもが、選手の自己認識や価値観の形成に長く影響すると指摘する。そして彼は、「コーチは若者の心を壊すことも、魂を育てることもできる」と断言する。これは誇張ではなく、上下関係が存在する教育的場面において、極めて現実的な指摘である。

管理する指導者像――スポーツ現場に広く見られる類型

アーマンは、勝利や成果を最優先し、選手を目的達成のための手段として扱う指導を「取引型(トランザクショナル)コーチング」と呼ぶ。この指導スタイルは、命令的で、練習や行動を細部まで管理し、選手の判断を極力排除する傾向を持つ。

日本のスポーツ現場、とりわけ学校部活動では、こうした指導者像が長らく主流であった。あれこれ実例を挙げるまでもなく、下のようなタイプの指導者を思い浮かべる人は多いのではないだろうか。

  • 練習メニュー、戦術、ポジションをすべて自分で決める
  • ミスは即座に叱責し、理由を選手に考えさせない
  • 「言われた通りにやる」ことを美徳とする
  • 勝てば指導は正当化され、負ければ選手の努力不足とされる

こうした指導は、短期的には統制が効き、結果が出やすい。しかしその代償として、選手の主体性、判断力、責任感が育ちにくくなる危険性を孕んでいる。

高校クロスカントリー走部で生徒たちにウォームアップを任せてみた。数人が自然にリーダーシップを取った。

なぜ「細かく教える」指導が正当化されてきたのか

日本の部活動文化を理解するには、その歴史的背景を無視できない。高度経済成長期以降、部活動は集団規律や忍耐力を養う場として機能してきた。限られた時間と人員で成果を求めるなか、指導者がすべてを管理するスタイルは合理的でもあった。

また、指導する側の「教える=責任を果たしている」という認識も根強い。何も言わない、何も指示しないことは、「指導放棄」と見なされやすい。この文化的前提が、「教え過ぎる指導者」を量産してきた側面は否定できない。

変革型コーチングと「教えない」選択

アーマンが提示する「変革型(トランスフォーメーショナル)コーチング」は、この構造と対照的である。変革型コーチは、答えを与える存在ではなく、問いを投げかける存在である。選手が自ら考え、判断し、責任を引き受けることを促す。

鹿島学園やAICJの指導に見られた「朝練を指示しない」「大会前に自主練へ切り換える」という判断は、この文脈で理解できる。これは放任ではない。日常的な関係構築と信頼の蓄積があって初めて可能となる、きわめて高度な介入の形である。

元ロッテ・マリーンズ監督の吉井理人氏に『最高のコーチは、教えない。』というそのままずばりのタイトルがついた著書がある。氏が日米にまたがる現役選手を引退してから、日本ハムで投手コーチを務めるなどを経た後に、筑波大学大学院でコーチングを学んだ哲学を、豊富な実例を含めて紹介している。

吉井氏が強調するのも、「教える」のではなく、自分の頭で考えさせるように質問し、コミュニケーションをとる「コーチング」という技術である。

教えないとは、何もしないことではない。選手が自分で考えざるを得ない状況を意図的に作り出すこと、それ自体が高度な指導行為なのである。

高校野球部で生徒たちにラインアップ作成からサインまですべてを任せた紅白戦を行った。

「自主性」と「放任」はまったく別物である

「教えない」指導が誤解されやすい理由の一つに、自主性と放任の混同がある。放任とは、責任を手放すことである。一方、自主性を育てる指導とは、最終的な責任を指導者が引き受けたうえで、選手に判断の余地を与える行為である。

変革型コーチは、介入の量を減らす代わりに、問いの質を高める。「どう思うか」「なぜそう選んだのか」といった対話を通じて、選手の内省を促す。これは、指導者自身に高い忍耐力と自己抑制を要求する。

スポーツを教育に取り戻すという視点

アーマンは、貧困や人種問題、教育格差といった社会課題にも触れ、スポーツが本来持っていた教育的機能の回復を訴える。勝利や結果は重要である。しかし、それが人間的成長と切り離されるとき、スポーツは単なる競争に堕してしまう。

日本の部活動改革や外部指導員制度の議論においても、問われるべきは「どのような人間を育てたいのか」である。その問い抜きに、指導法の是非は語れない。

問い続ける指導者であるために

『Inside Out Coaching』の終盤で、アーマンは指導者に4つの問いを投げかける。

  • なぜ自分は指導者をしているのか。
  • なぜその方法を選んでいるのか。
  • 選手にとって、自分の指導はどのような経験なのか。
  • 自分は何を成功と定義しているのか。

鹿島学園やAICJの監督が示した「あえて教えない」という選択は、これらの問いに真摯に向き合った結果であるように筆者には思われる。

教えることよりも、信じて任せること。その難しさと価値を、いま日本のスポーツ現場は改めて学び直す局面にあるのではないだろうか。

参照文献:

Ehrmann, J.  (2011). Inside Out Coaching. New York:  Simon & Schuster, Inc.

吉井理人 最高のコーチは、教えない。

筆者プロフィール:

角谷剛(かくたに ごう)

米国カリフォルニア在住。TVT高校クロスカントリー部監督、ラグナヒルズ野球部コーチ。コーチング及びスポーツ経営学修士(コンコルディア大学)

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