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白血病を乗り越えた元独立リーガー・髙島輝一朗さん 野球と講演で子どもたちに伝えたいこと

二度の白血病発症を克服した元独立リーガー・髙島輝一朗さん。野球を引退後、企業に勤めながら子どもたちに「命の講演」を続ける彼が、BCリーグジュニアの指導という新たな挑戦をした。

白血病を乗り越え野球に夢中になった

「ユニフォームを着てグラウンドに立っていると、やっぱり僕は野球が好きなんだなとあらためて思います」

NPBジュニアトーナメント当日。横浜スタジアムにて(本人提供)

沖縄出身らしい大らかで明るい人柄。俊足好打の外野手として活躍した髙島輝一朗さんだが、小児急性リンパ性白血病を発症したのは、わずか5歳のときだった。

足の痛みを訴え、長い入院生活と抗がん剤治療が続いた。運よく抗がん剤が効き、母の補助を受けて学校に行けるようになる。薬の副作用で足の一部の骨が壊死し、小学1年生まで右足に装具をつけていた。

5歳で白血病を発症し、入院と治療の日々(本人提供)

「8歳の運動会の練習で装具を取って走ってみたら、クラスの誰よりも速かったんです」

野球は大好きだった。祖父の家でよくプロ野球を見ていたことを覚えている。自由に走れるようになり、髙島さんは小学3年生で飛び込んだ野球の世界に夢中になった。

夢はずっとプロ野球選手

中学では野球部と陸上部で活躍。いくつかの野球強豪校からの誘いもあり、沖縄尚学高校に入学を決める。だが、中学3年生の夏に二度目の白血病発症が襲った。

再び抗がん剤治療が始まり、無事退院でき憧れの高校に入学しても野球ができるどころではなかった。

二度の白血病発症で治療とリハビリが続いたが、努力を続けて野球選手に(本人提供)

抗がん剤治療が終わったのは高校2年生の3月。通院治療も続き、公式戦での出場はなかった。唯一、練習試合に出場し、二塁打を放った。それが髙島さんの高校野球だった。

「体に不安がなくなったのは、大学に入ってからですね」

沖縄大学に進学した髙島さんは、健康スポーツ福祉という分野を専攻した。野球を続けるとともに、スポーツ心理学や教育も学んだ。白血病を乗り越えた経験を語る講演と、病棟での病児サポートのボランティアを始めたのはその頃だ。

「自分は成功体験を語れるものは持ち合わせていない。一方で、立ち止まる時間が長い経験を多くしてきました。たとえ立ち止まっていても、しっかり自分と向き合い立ち向かうことができれば、人間として成長し、結果だけでなく、その過程にも人としての価値があると伝えています。」

BCジュニアチームの練習風景。左から3人目が髙島さん(井上尚子撮影)

独立リーグで真剣に夢を目指した日々

「夢はずっとプロ野球選手」という彼は、大学卒業後独立リーグでNPBドラフト指名を目指す決心をした。

NPB選手を毎年輩出することで定評のあるIL徳島に入団。野球に打ち込むとともに命の講演活動を続けた。

「徳島は一人ひとりの熱量が高いんです。ハングリーさがすごい」

2年間在籍したものの、NPB指名は成らず。だがその俊足に目を付けたBC埼玉へと挑戦の場を移した。この一年に賭けるべく、講演活動は休止。持ち前の俊足をさらに磨いた。

BC埼玉では師匠と仰ぐ名外野手・清田育弘(現監督)と出会った。

「自分と逃げずに向き合ってやれ、というのをずっと言ってもらって。野球選手である前に人としての価値観が変わったと思います。清田さんと出会ったのは本当に大きかった」

指導を受け、俊足と長打力を発揮したが、けがにも苦しみ、思うような活躍ができない時期もあった。それでもシーズン開幕前から「この一年でNPB入りがかなわなければユニフォームを脱ぐ」と覚悟を決めて臨んでいた。
持てるすべてを注ぎ切ったからこそ、ユニフォームを脱ぐ時に後悔はなかった。やり切ったという思いの方が強かった。

野球を引退し働く中で、指導者への打診が

野球を辞めて就職したのは、BCリーグにキャリアパートナーとして提携している企業だ。エアコンの修理業者と顧客を結ぶ仲介の仕事をしている。

「今は内勤ばかりです。やっと仕事に慣れたかな」

パソコンの使い方、電話の受け方、取引先とのやりとり。すべてが初めてのことばかりだ。野球だけをやってきたアスリートには、一般企業で働くということ自体なかなかハードルが高い。

「でも、仕事で信頼を勝ち取れなければいけません」

野球に関することや講演活動に理解があることも、就職の決め手だった。仕事を続けながら沖縄を中心に、年に複数回の講演活動を続けている。

そんな髙島さんに、転機が訪れたのは昨秋のことだ。

BCリーグから指導者として打診があった。年末に行われるNPBジュニアトーナメントで、BCリーグもジュニア選手を選抜し、出場する。監督には元ヤクルトでBC山梨球団社長(当時)の加藤幹典氏、ヘッドコーチには元ヤクルトでBC栃木のコーチも務めた内山太嗣氏、野手コーチとして元BC福島で同じ企業に務める伊藤蓮氏(現在は退職)。髙島さんは「コーチ補佐」という役割だ。

NPBジュニアトーナメントは、NPB12球団それぞれの名で地域の小学生のチームが編成され戦う。2024年には記念大会として、12球団に加えてオイシックス新潟、くふうハヤテ静岡(現ハヤテ静岡)、四国IL、BCリーグが選抜チームで参加した。

プロ球団の名前を背負って戦えるとあって、少年野球の選手たちには憧れの大会だ。ジュニア出身のNPB選手も増えてきて年々認知度が上がり、多くの小学生がセレクションに挑む。

独立球団とオイシックス・ハヤテが参加することで、NPB球団のない地域の小学生もトーナメントを目指せる。2024年には幅広い都道府県からの参加があり、少年少女への野球振興に役立つと、2025年も参加が認められた。

BCリーグは関東を中心に9県に及ぶ(BC千葉の正式参入は2026年から)。練習場所は一か所ではない。栃木県や埼玉県、東京都など様々な場所で練習を行い、各地で練習試合を行った。

3ヶ月間の指導の中で、加藤監督も内山コーチも強調していたのは「自分たちで考えさせること」。答えを与えるのではなく、考えるきっかけを作る。

「これから先のステージで、この3ヶ月間が活かせるように。絶対変わってやるという覚悟を持って」と髙島さんもそこを意識して指導した。

BCリーグジュニアの選手たちの中には、NPBジュニアのトライアウトを受けて通らなかった選手たちもいる。それでも同じ小学生。気おくれする必要はないし、勝っても負けてもそれが今後の財産になる。

3ヶ月の練習を終える頃、保護者から指導者へサプライズのプレゼントがあった。

トーナメントでは選手たちののぼりが作られ飾られるが、指導者ののぼりも作ってくれていた。さらには卓上に飾れるミニのぼりまで。手にした指導者たちにも子どもたちにも笑顔が弾けた。

贈られたミニのぼりを前に指導者、トレーナー、マネージャーで記念写真(本人提供)

ジュニアトーナメントでの勝利

トーナメントは12/26からの4日間、神宮球場と横浜スタジアムを使って予選リーグと決勝トーナメントが行われた。

髙島さんは「コーチ補佐」という役割上、ベンチ入りはできない。ベンチ裏から戦況を見守った。

初戦の中日ジュニア戦は緊張でガチガチになっていた選手たち。序盤は投手戦ながら、エラーをきっかけに点を取られ、7-0で負けてしまった。2戦目西武ジュニア戦は1点を先取したものの逆転負け。そして最終戦となる3日目ヤクルトジュニア戦。

「初戦、2戦目と続けてエラーをし、その悔しさから試合後のミーティングでも涙を流し続ける選手がいました」

3試合目に入るまでに「怖い」ともらした彼に、「これを乗り越えたら選手として大きく成長できるよ」と声をかけた。

気合いを入れ直した試合は、逆転、また逆転の接戦の末にBCリーグジュニアが勝利を手にした。

「結果的に彼は3試合目にタイムリーヒットを打って、自分の悔しさを晴らした。自分に対してプレッシャーをかけて、それを打ち破った経験が素晴らしい。この子はこれからどんどん強くなっていくだろうと思いました」

決勝トーナメント進出は成らなかったが、最終戦を勝利で飾ったBCリーグジュニア。選手たちにとっては忘れられない経験の締めくくりだった。

「子どもたちの野球人生に関われたことがすごく幸せでした」

トーナメントで強くなっていったBCリーグジュニアの選手たち(BCリーグ提供)

子どもたちに伝えたいこと

BCリーグジュニアでの指導を通して、「野球が好き」「子どもや教育に関わりたい」という思いを再確認した髙島さん。

「一人でも多くの小学生や中学生が、夢や希望を持って何かに集中できるように。講演活動でも野球でも、何かしらきっかけを届けられるようにしたいと思います」

「いつも子どもたちに伝えることの一つは、当たり前に見えることは、当たり前じゃないんだよっていうこと。それから、何か一つ夢中になれるものがあれば、人生は本当に豊かになれるということですね」

自分にとってはそれが野球だった。野球は今も人生を豊かにしてくれている。

「もう一つ。大変なことも多いけど、『大変』という字は『大きく変わる』と書くように、それを乗り越えると大きく成長できるよ、ということ。講演ではその三つを中心に伝えています」

髙島さんは今も命の講演を続けている。講演を聞いた子どもたちからは、心のこもった手紙がたくさん届く。たくさんの人との出会いから、進む力をもらっていると髙島さんは感じている。

(取材・文/井上尚子)

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