• HOME
  • コラム
  • 野球
  • 「柏農」の名を全国に――仙台大・佐藤幻瑛に“感謝”と“期待”寄せる部員5人の農業高校野球部

「柏農」の名を全国に――仙台大・佐藤幻瑛に“感謝”と“期待”寄せる部員5人の農業高校野球部

 津軽平野の南端に位置する青森県平川市。東に八甲田山、西に岩木山がそびえ、のどかな田園風景が広がる。人口約3万人の田舎街にある農業高校から、大学野球界の新星が巣立った。

 青森県立柏木農業高校出身の仙台大1年・佐藤幻瑛投手。速球を武器に持つ右腕は3月のオープン戦から頭角を現すと、春季リーグ戦はエース級の働きで3勝を挙げ、優秀新人賞を獲得した。6月の全日本大学野球選手権では2試合に先発登板し、全国デビューとなった初戦の桐蔭横浜大戦は6回途中無失点の好投で勝利に貢献。この試合では自己最速152キロを計測し、明治神宮球場の観客やメディアをざわつかせた。

大学1年目からリーグ戦で6勝を挙げた

 秋季リーグ戦も東北大2回戦でノーヒットノーラン(7回参考)を達成するなどし、3勝をマークした。10月下旬、柏木農、通称柏農(はくのう)に足を運び、佐藤の高校時代を知る恩師や後輩に話を聞いた。

「看板」背負う教え子の雄姿に驚きと喜び

 柏木農は1926年創立で、野球部は時を同じくして創部された。野球部の越後博之部長によると、同校を卒業後、大学の硬式野球部で競技を継続した部員は、長い歴史の中で確認されていないという。

 そんな中、1年時から「エースで4番」だった佐藤は1年秋に39年ぶりの秋季県大会出場をもたらす好投をやってのけ、主将として臨んだ高校最後の夏も140キロ台の直球を連発して注目を集めた。異例とも言える進路を選択し、近年プロ野球選手を多数輩出している仙台大の門をたたいた。

背番号1を背負って投げる高校時代の佐藤(柏木農野球部提供)

 佐藤の高校2年時からチームを率いる三浦暢之監督は「デビューは早いだろうなと思っていましたが、ここまでエース格になるとは」と舌を巻く。越後部長も「自分の実力が飛び抜けていた世界から、埋もれてしまうほどレベルの高い世界に進んだ。心配な部分もあったけど、大学でうまく育ててもらっている」と安堵の表情だ。

 佐藤が活躍することで、自ずと高校の知名度は上がる。越後部長は「スポーツ紙とかには毎回“無名校”と書かれていますが…」と苦笑いを浮かべつつ、「我が校の名前が良いニュースで出るのはうれしいこと」と目を細める。「柏農」の看板を背負って投げる姿を、恩師たちは高校時代以上に頼もしく感じている。

「紙飛行機を…」元担任ら明かす意外な素顔

 他の何よりも野球が好きで、野球に対するこだわりは人一倍強かった。三浦監督は「『良いカーブ投げるな』と話しかけたら、『カーブじゃなくてパワーカーブです』なんて言い返されたこともありました」と懐かしむ。

 一方で苦手なことも多く、「手のかかる生徒」でもあった。証言するのは、3年間佐藤の担任を務めた中野悠教諭。「プリントを配布すれば目を離した隙に紙飛行機を作っていて、それで呼び出しをかけたことは何度もありました。テスト期間中に川で泳いで遊んでいて指導したことも…」。“やんちゃ”エピソードは枚挙にいとまがない。

高校時代の佐藤を知る(左から)三浦監督、中野教諭、越後部長

 ただ、高校生活を最も間近で見てきた担任だからこそ、陰の努力にも気づいていた。「米をいっぱいに詰めたタッパーを持ってきて、休み時間のたびに食べて体を大きくしていた。新型コロナの影響で学校に来られない時期に、自宅の近くで走り込みをしているのを見て『頑張ってるな』と思うこともありました」。野球への、とりわけ「野球がうまくなる」ことへの情熱は3年間、一度も絶やしたことがなかった。

魅力広まってほしい」後輩たちの願い

 後輩たちも佐藤の大学での活躍を喜んでいる。1学年後輩で今夏まで主将だった佐藤応友さん(3年)は、「成長が早すぎます。もっと上に行ってほしいし、もっと幻瑛さんの魅力が広まってほしい」と声を弾ませる。「とにかく野球に熱心で、チームを引っ張ってくれた。練習では怒られることもあったけど、試合になると自分たちがミスをしても『大丈夫』『任せろ』と声をかけてくれました」。後輩たちにとっては絶対的なエースであり、主将だった。

 今年6月中旬、高校を訪れた佐藤が投手陣にストレッチなどに関するアドバイスをしてくれた。助言を受けた選手たちはたった1日で球のスピードやキレが向上したといい、今夏の青森大会1回戦ではエース左腕だった芳賀風堂さん(3年)が11三振を奪う力投。敗れたもののセンバツ出場経験のある八戸西高校相手に善戦した。佐藤さんは「幻瑛さんが教えに来てくれたおかげでピッチャーが成長して、最後に良い試合をして楽しく終えられた」と先輩に感謝している。

今夏の青森大会1回戦で善戦した柏木農ナイン(柏木農野球部提供)

 柏木農は近年、大幅な定員割れが続いており、団体競技の部活動はすべて単独チームを組めていない。野球部も例外ではなく、今秋の県大会は五所川原商業高校、浪岡高校との連合チームで出場した。佐藤の1年時に30人以上いた部員は現在5人まで減っている。

 新チームで主将に就任した村田公王樹内野手(2年)は「5人だと練習の内容も限られてしまう。部員が増えて、単独で大会に出たい」と切実な思いを明かす。地域自体の野球人口が減少傾向にあり、部員を増やすことは容易ではないが、高校の知名度向上が後輩たちにとってプラスに働くことは間違いない。

伸び代と非凡さはニュースター誕生の布石

 佐藤は今秋、壁にもぶつかった。開幕から3試合、24回連続自責点0を続けた一方、東北学院大戦、東北福祉大戦はいずれも試合をつくれずに早期降板する悔しいマウンドを経験した。

取材日は雨天のため、村田主将(右)ら部員5人はウエイトトレーニングに励んでいた

 三浦監督は「高校時代、ものすごく調子が良くて『ノーヒットノーランやるな』と思っていても、自分の四球がきっかけになって0で抑えることはなかなかできなかった」と話す。佐藤自身も四球から崩れる課題をたびたび口にしており、秋は特に「防御率0.00」へのこだわりを強調していた。さらなる進化に向け、やるべきことは明確だ。

 投手としての伸び代はまだまだあり、少々“やんちゃ”な性格からは非凡さが感じられる。母校の恩師や後輩の期待を背負い、大学4年間で大きく育ってくれるはずだ。

(取材・文・写真 川浪康太郎/一部写真提供 柏木農野球部)

読売新聞記者を経て2022年春からフリーに転身。東北のアマチュア野球を中心に取材している。福岡出身仙台在住。

関連記事