旭川スタルヒン球場は、北海道が全国へ誇る伝説の球場
旭川スタルヒン球場(花咲スポーツ公園硬式野球場/以下スタルヒン球場)は、北海道が全国へ誇る野球場だ。1932年建築のオールドスタイルの球場は、多くの野球人に愛される名所と言える。
共に旭川で高校時代を過ごし対戦経験もある独立リーガーの2人、今津辰吾(士別サムライブレイズ/北海道フロンティアL)と西森弘貴(大分B-リングス/九州アジアL)に同球場への思いを聞いた。

~スタルヒン球場が繋げた野球人同士の絆
「高校3年最後の打席がスタルヒン球場で、西森への1塁ゴロで試合終了になりました(笑)」(今津)
「1塁ゴロを捕球した際は『楽勝でアウトだ』と思ったら、今津の足が速くて焦ったのを覚えています(笑)」(西森)
2015年7月6日、全国高校野球選手権北北海道大会・地区大会代表決定戦で旭川明成と旭川実業が対戦。「11-3」で西森の旭川実業が勝利を収めた試合、最終打者となったのが旭川明成の今津だった。
「あの日は打撃の調子が良く、3安打を放ちました。出塁のたびに1塁手の西森が、『ナイスバッティング、よく打つな』と声をかけてくれました」(今津)
「バットを振れば安打という感じで、『良い打者だなぁ』と思いました。最後は1塁でヘッドスライディングをしたので、少しでも遅かったらセーフのタイミングだったので危なかったです(笑)」(西森)

スタルヒン球場の1塁ベース上で運命の出会いを果たした2人は、共に星槎道都大(北海道)へ進学し野球部でチームメイトとなる。また2022年には大分B-リングスで1年間、同じユニホームにも袖を通した。
「2020-21年とクラブチーム・ハナマウイでプレーしました。『独立でも良いのでプロでやりたい』と思っていた時、『大分のトライアウトを受けないか』と今津が声を掛けてくれた。同じ大学、独立でプレーするという不思議な縁を感じました」(西森)
西森は大学卒業後、ハナマウイを経て2022年は大分で今津と共にプレー。翌23年の士別を挟み、24年からは再び大分へ復帰。現在は兼任投手としてマウンドに立ち続けながら、野手での試合出場もあるという。
「火の国サラマンダーズ(九州アジアL)でプレーしていた時には、大分で投げていた西森との対戦機会も多かった。なぜか得意にしていて、8割近くの結果を残しています。僕に打たれてから調子を崩すことが多かったようです(笑)」(今津)
今津は大学卒業後、2020-21年は福井ワイルドラプターズ(当時・BC)でプレー。2022年は大分、23年は宮崎サンシャインズ(九州アジアL)、24年は火の国、そして25年から地元・北海道へ戻って士別へ加入した。

~ベンチ裏のゴムの匂いがスタルヒン球場の思い出
スタルヒン球場は1932年に完成した旭川市営球場が前身であり、1984年に改築され現在のものとなった。球場名は、巨人等で活躍したヴィクトル・スタルヒン氏の功績を讃え1982年に命名された。なお立地する公園が1991年に花咲スポーツ公園と改称したため、正式名称は『花咲スポーツ公園硬式野球場』である。
「地元の人にとっては、日常に当たり前に存在する建物です」とは、旭川市出身の今津。「小さい頃から何度となく足を運びました」と続ける。
「野球観戦とプレーの両方で身近にある球場でした。日本ハムの2軍戦が頻繁に開催され、中田翔さんのプレーを観た記憶があります。『(中田は)身体がでかい』と驚きました。また巨人の1軍戦で亀井義行さん(現巨人コーチ)が2本塁打を打ったのも覚えています」
2004年に日本ハムが北海道へ移転してからは、地域密着を図るために道内各地で試合が開催された。札幌市から比較的近い旭川市では、1、2軍を問わず多くの試合が行われており、時間が許せば足を運んでいた。
また巨人は長年に渡り北海道内で試合を開催してきた。スタルヒン球場で行われた2004年8月4日の広島戦、亀井は9回に同点2ラン、延長11回裏にサヨナラ2ランと2本塁打を放つ大活躍。この試合を今津はスタンドで見ていたという。
「選手として初めてグラウンドに立ったのは、小学生の時に社会人・JR北海道主催の野球教室でした。河川敷や小学校のグラウンドでしかやったことがなかったので、『でっかいなぁ』というのが第一印象。『土や芝も手入れされて、本当にキレイだな』と感動したのも忘れません」
「中学や高校では何度となく使用しました。『良い球場だなぁ』と感じながらプレーしていました。外野の芝は常に青々としていて、内野の土もサラサラです。土が硬めに慣らされているのでボールが走る感じで、内野を守っていてもイレギュラーの心配をすることがなかったです」
グラウンドの素晴らしさはもちろん、今津にとって忘れられないのがバックヤードの“匂い”だという。「独特の懐かしい匂いが忘れられない」と笑う。
「昨年、士別の試合で高校の最後以来10年ぶりに訪れました。ベンチ裏の匂いが当時のままで嬉しくなりました。床に敷いてあるゴムの独特の匂いが、僕にとってのスタルヒン球場の思い出。この先、改修が行われてもこの匂いだけは残してもらいたいです(笑)」

~プロ野球でも使う球場はすごい
「『プロ野球で使う球場は、大きいな、すごいな、キレイだな』と圧倒されました」と、西森は初めてスタルヒン球場へ足を運んだ日のことを振り返る。
「北海道網走市出身なので、小さい頃は『名前は聞いたことのある球場』という感じでした。小学3年の時にマクドナルド杯の全北海道大会で初めてグラウンドに立ちました。網走市営球場とかでのプレーはありましたが、比べられないくらい立派に感じました」
中学まで網走市で過ごした後、高校は強豪・旭川実業へ進学。寮生活を続けながら野球に打ち込む中、スタルヒン球場では数多くの試合を経験した。
「高校入学後に初めて訪れた時は、『久しぶりだなぁ』という感じでした。高校1年時はベンチ入りできなかったのでスタンドに初めて入りました。大きい球場ですが本当に見やすく、『早くここでプレーしたい』と気持ちが入りました」
「高校2年春から試合に出始め、スタルヒン球場でもプレーできるようになりました。初めてマウンドに上がった時は、大ミスをしたので今でも鮮明に覚えています。別の投手が投げるはずだったのに、間違えてマウンドに行ってしまったので監督にすごく怒られました(苦笑)」
投手に加え打撃の非凡さもあり、野手としての試合出場機会も増え始めた。投手と野手の両方でスタルヒン球場を知る人物でもある。
「スタルヒン球場では野手としての出場機会が多かった。投手としては5試合前後しか投げていないと思います。野手としては守りやすい球場という印象。投手としてもマウンドが固く、程良い傾斜で投げやすかったです」
「クラブチームや九州アジアLで使用する球場と比較しても、スタルヒン球場は本当に良い球場だと思います。高校卒業後はプレーしたことないので、いつかまたプレーしてみたいですね」

「思い出がめちゃくちゃ詰まった場所です。野球とは別にプライベートで来る機会があったのですが、『ここでやっていたんだなあ』と感慨深くなりました。ずっとずっと残り続けて欲しい球場です」(西森)
「旭川で野球をやっていた人なら1度は触れる場所。また旭川市内の生徒達は野球部の全校応援などで足を運んだこともあるはず。みんなにとって思い出の場所なので、このままであって欲しい。世界一の球場だと思っています」(今津)
スタルヒン球場は、旭川市の野球人にとって宝物のような場所だ。道内にはエスコンフィールド北海道(北広島市)という世界に誇れるボールパークもできたが、「スタルヒン球場も負けないほど立派で素敵な球場です」と2人は口を揃える。

「“スタルヒンそば”も美味しいので、機会があったら食べてみてください」と最後に付け加えてくれた。入場ゲートから階段を上がったところに名物のソウルフードがあるという。
旭川市が誇る伝説の球場には、グラウンド内外に多くの魅力が詰まっている。北海道へ訪れた際にはぜひ足を運んでみたい“ボールパーク”だ。
(取材/文/写真:山岡則夫、取材協力/写真:士別サムライブレイズ、大分B-リングス)
