日本の高校野球を経験せずに、野球をする高校生たち
広尾晃のBaseball Diversity
日本野球は「学校」をベースとして発達した。この点が、本家アメリカの野球と様々な制度や文化が異なる大きな要因となっている。
日米の野球の歩み
アメリカの野球は東海岸のブルーカラーの間で流行し、次第に選手がセミプロ化した。チームが地方を転戦するようになり、リーグ戦ができた。アメリカの野球は最初から「興行」として発達し、その後、高校や大学にも野球チームができた。
これに対し日本の野球は1872年にアメリカ人の「お雇い外国人」ホーレス・ウィルソンが開成学校(のちの東京帝国大学の前身の一つ)の学生に英語とともに野球の手ほどきをしたのが始まりとされる。 ウィルソンに野球を教わった学生が、各地の学校の教員になって各地で野球が始まった。
明治期の終わりには早慶戦など大学野球が人気となる。
さらに大正期に入って1915年には大阪朝日新聞社が「全国中等学校優勝野球大会」を開催する。今の高校野球の前身だ。1925年には全国大会が前年にできた阪神甲子園球場で行われるようになり、中等学校野球は全国的な人気となる。しかし戦前は、大学、中等学校の野球を統括する団体はなかった。このために、1932年、文部省が「野球統制令」を発令すると、学生野球は大幅に制限を受けるようになった。

日本高野連の設立
戦後、野球が再開されると、当時の指導者は、政府、文部省の圧力にも対抗できる独立した野球団体を作るべきと考え、高等学校野球連盟(高野連)を創設した。男子の高校での硬式野球と軟式野球の公式戦、大会は、地方高野連に加盟する高校でなければ出場できなくなった。
これによって、日本の高校で野球をする男子高校生は、すべて「高野連」の管理下に置かれることになった。
日本高野連は、「高校生らしさ」を重要視し、徹底的なアマチュアリズムを貫いた。
例えばユニフォームやグローブなどに、運動用具メーカーの名前を付ける場所も指定し、こまごまとしたルールを設けた。
また、高校野球チームが広告スポンサーをとったりすることも禁止した。
さらに、プロ野球関係者との接触も一切禁止した。 また、選手が高校を転校して新しい高校の野球部に入る場合は、1年間、試合に出られないというルールも設けた。選手の引き抜きを防ぐためだ。
こういう形で、日本の高校野球は、日本高野連、地方高野連の指導の下、発展を続けてきた。
春夏の甲子園大会は、日本中が注目する人気スポーツになった。

高野連以外の道
しかしながら、近年のスポーツ環境の多様化、国際化によって、日本高野連をめぐる環境は大きく揺らいでいる。
そして、野球を志す高校生の中には「高野連加盟の高校で野球をしない」という道を選ぶ選手も増えてきている。
2013年、兵庫県の芦屋学園高校野球部は、独立リーグの兵庫ブルーサンダーズと提携し、野球部を兵庫ブルーサンダーズ育成軍とした。
本来、高校野球選手は、独立リーグも含めプロ野球の指導を受けることはできないが、
この高校の野球部はプロの指導を受けることが出来、実力次第では独立リーグの試合にも出場することが可能だった。当然、兵庫県高野連には加盟していない。
さらに2017年には兵庫ブルーサンダーズが大阪府の早稲田大阪学園向陽台高と、同じく独立リーグの和歌山ファイティングバーズが鹿児島県の神村学園高等部と提携した。両高校ともに通信制の野球部があった。選手は、独立リーグの本拠地などに住み、アルバイトをしながらプロ出身の監督やコーチから直接指導を受けるという形だった。
しかし、こうした高校野球部と独立リーグとの提携は、主として独立リーグ側の体制の問題で、うまくいかなかった。
転校が難しいルール
高校野球では怪我をしたとか、指導者と合わないなどの理由で、野球部を退部したり、高校を退学する高校生が一定数いた。しかし日本高野連の規則では、退学した選手は新しい高校では1年間野球ができなかった(例外規定はある)。他校からの引き抜きを防ぐためだったが、1年生の終わりに転向しても3年生まで試合に出ることができない。こういうケースでは野球をあきらめるしかなかった。

社会人野球と言う選択肢
しかし最近は、そうした「ドロップアウトした高校野球選手」に野球をする場を提供するチームが現れた。
兵庫県の社会人野球のクラブチームのKC兵庫もそうしたチームの一つだ。日本野球連盟(JABA)に所属しているが、高校野球をドロップアウトした選手や、最初から高校では野球をせず、このチームで野球をする高校生がプレーしている。
彼らは年長の社会人選手と一緒に練習する。公式戦も社会人野球チームが相手。高校野球の文化とは異なる環境で野球をするのだ。

海外に挑戦する
また、世界の野球を目指す中学生の中には、高校のレベルからアメリカなど海外に進む人も増えてきている。
海外で学ぶためには多額の学費のほか、生活費など多くの費用が掛かる。親が負担するケースも多いが、近年は奨学金なども整備されつつある。
海外の学校での野球環境は日本の高校野球とは全く異なる。
大会の多くはトーナメントではなくリーグ戦で、試合数も多い。またレベルに合わせて複数のリーグがある。
現地で生活する中で、英語や欧米の文化を見に着けることが出来ることも大きなメリットだ。将来、野球だけでなく海外で生活をする可能性も開けていく。
こうした高校からの「野球留学」をする選手の中には、日本の高校野球の「体育会系の文化」や厳格な規律、極端なアマチュアリズムなどに対する拒否感を持っている人も多い。 取材をすると「もっと自由に野球をしたい」という声が聞こえてくる。
ドラフト指名された2人の選手
今年のNPBドラフト会議では、こうした「高野連以外の野球」を経験した選手が2人指名された。
DeNAにドラフト3位で指名されたカナダのブリティッシュコロンビア大学の外野手、杉本寛斎は、京都府生まれ。中学卒業後、カナダの高校に進む。高校に野球部がなかったので、ブリティッシュコロンビア・プレミア・ベースボールリーグ(BCPBLI)のアボッツフォードカージナルスに入り、投手、外野手の二刀流で活躍。卒業後はアメリカ、アリゾナ州のヤバパイカレッジに進み頭角を現し、ブリティッシュコロンビア大学でのプレーを経て、DeNAからドラフト指名を受けた。
ソフトバンクから育成10巡目で指名された根鈴風大は、野球指導者でMLBのすぐ下のAAAでもプレーした経験を持つ根鈴雄次氏。小学校から野球をはじめ中学では硬式野球に進むも日本の野球スタイルになじめず、卒業後はカナダの高校へ、偶然にも杉本と同じアボッツフォードカージナルスでプレーし、アメリカ、カリフォルニア州のフレズノシティカレッジへの進学が決まっていたが、ソフトバンクに指名された。

中学生も
さらに今年のドラフトで巨人は、川崎市立向丘中学の関蓮太郎を育成5位で指名した。関は巨人入団後に高校に進学するが、進学後は、高校に通うものの野球部には入らず、巨人のファームで研鑽を積むことになる。高野連とは無関係のキャリアになるのだ。
高校野球を経ずに「野球の道を目指す」ルートは、まだ少ないながらも確実に増えていると言ってよいだろう。

