二刀流に挑むTDK・高橋入麻が追い求める「唯一無二の野球選手」
二刀流。それは野球ファンにとってのロマンだ。高校球児の「エースで4番」は珍しくないが、高校卒業後はほとんどの選手が投手、野手のどちらかに専念する。プロの世界では日本に限らず、MLBでもベーブ・ルース以降不可能とされてきた。その常識を覆したのが、大谷翔平(エンゼルス)だった。日本で二刀流を成功させると、MLB4年目の昨季は46本塁打、9勝をマークしシーズンMVPを受賞。勢いは今季も衰えず、世界を驚かせ続けている。
また昨今の日本野球界は、大谷以外にも二刀流の話題が尽きない。日体大で二刀流に挑戦している矢澤宏太投手は、今秋のドラフト1位候補。今春のリーグ戦でも投打ともに結果を残している。プロ野球では中日・根尾昂外野手が、二軍戦で遊撃のポジションからマウンドに上がった。甲子園で輝いた高校時代を思わせる150キロの速球を投げ、野球ファンを沸かせた。
投手としても、野手としても活躍することは容易なことではない。しかし、不可能ではないことを大谷が証明した。この時代において、二刀流に挑戦する選手はどんな思いで野球と向き合っているのか。その一人であるTDK・高橋入麻選手(18)を取材した。
背番号「11」の二塁手
4月3日、仙台市民球場で3年ぶりに開催された東北地区社会人・大学野球対抗戦を観戦した。東北の社会人・大学野球強豪チームが一堂に会するこの場所でひときわ目を引いたのが、秋田県にかほ市の社会人チーム・TDKに所属する新人・高橋だった。
富士大戦に「7番・二塁」でスタメン出場すると、2回の第1打席で得点につながる鮮やかな中前打。続く3回の第2打席では、二死二、三塁でまたしてもセンターにはじき返し、手応えありのタイムリーに塁上で笑顔を見せた。守備でも複数機会で安定感のあるグラブ捌きを披露。勝利に貢献したこの男が身にまとう背番号は、「11」だった。
背番号11といえば、投手、それもエース級の投手が背負う番号という印象が強い。TDKでは昨季まで、昨秋のドラフトでオリックスから7位指名を受けた小木田敦也投手が背負っていた。小木田は高橋と同じ秋田県出身で、角館高時代に甲子園を経験。3年夏は「エースで4番」として県大会でノーヒットノーランを達成するなど活躍した、地元のスター選手だ。その小木田でもTDKでは投手に専念し、プロの門を叩いた。同郷の大先輩から背番号11を受け継いだ18歳は、二刀流でプロの世界へ飛び込もうと意気込んでいる。
父から受け継いだ野球のDNA
野球を始めたきっかけは「覚えていない」というが、父・健良さんも強豪・青森山田高でプレーした高校球児だった。健良さんは、高橋が4歳の時に交通事故でこの世を去った。高橋が野球を始めたのは小学3年の時で、父と野球をした記憶はないが、DNAは自然と受け継がれていた。女手一つで育ててくれた母・ともみさんに対しては「結構やんちゃだったので、たくさん迷惑をかけた」と苦笑いを浮かべつつ、「プロ野球選手になって恩返ししたい」と胸に誓う思いを口にした。大学ではなく、地元の社会人チームで野球を続けることを選択したのも、ともみさんを思ってのことだった。
そんな高橋の野球人生は外野手としてスタートした。中学入学後から投手にも挑戦し、甲子園出場を夢見て地元の強豪・秋田商高に進学。1年春からベンチ入りを果たし、投手と外野手で起用されるようになった。大きく成長したのは2年の冬。元々体が細かったが、筋トレと食トレに打ち込み体重が約8キロ増加したことで、最高球速が約10キロ伸び、長打が打てるようになった。
エースナンバーを背負った3年の夏は、「2番・投手」に座り投打の柱となった。県大会2回戦で完投&本塁打をやってのけると、3回戦では2試合連続本塁打をマーク。準決勝で敗れたものの、その試合も1人で投げきり、5打数3安打と快音を響かせた。投げては最速145キロ、打っては高校通算21本塁打。甲子園の夢こそ叶わなかったが、二刀流高校生として申し分ない実績を残した。
新しい環境で試行錯誤の日々
TDKでは当初、野手に専念しようと考えていたが、高橋の才能に惚れ込んだ佐藤康典監督の「どっちもやるぞ!」の言葉で一転、二刀流継続を決意した。現在は投手の練習は行っていないが、投打で評価され3年後にプロに行く、という明確な目標を掲げている。背番号11も、佐藤監督の期待の表れ。「重い番号。やらなきゃいけない」と気を引き締める。
高卒1年目ながらオープン戦から積極的に起用され、現在は二塁を守る。内野は高校時代に練習試合などで数回遊撃に入った程度で、二塁は初めて。「全然ダメです。むずいです。考えることが多いし、常に動いていないといけない」。走者の状況や打者のタイプによってポジショニングが変わる二塁守備に苦戦しながらも、必死に食らいついている。
打撃面でも、最初は社会人、大学生が投げる質の高い変化球に面食らったが、下半身の使い方を工夫することで徐々に順応できるようになってきた。3年をかけての二刀流プラン。まだまだやるべきことはたくさんあるが、一歩一歩前に進んでいる。そしてなにより、グラウンドで楽しそうにプレーする姿が印象的だ。
二刀流にはなぜロマンがあるのか
取材中、憧れの選手、目標としている選手を尋ねてみた。大抵こういう質問に対しては、自分と似た体格や特徴の選手の名前が返ってくることが多い。高橋の場合、おそらく多くの記者は「大谷」という答えを期待するだろう。大谷と同じ右投げ、左打ち、おまけに背番号11は大谷が日本ハム時代につけていた番号だ。しかし、高橋はしばらく考え込んだ末、結局誰の名前も口にしなかった。ついでに「大谷選手を意識することはあるか」という”愚問“をぶつけてみると、「いや、しないです」と即答した。
高橋にとって、二刀流は特別なことではない。野球は打って、投げて、守るスポーツ。その全てに全力で取り組む課程で、「特に意識せず、普通にやってきた」。挑戦する理由は珍しいからでも、誰かに憧れているからでもない。ただ純粋に、「投手としても野手としても、『こいつが出たら勝てる』と思われる選手になりたい」と考えているからだ。だがそれは、センスと忍耐力を併せ持ち、そして野球を心から愛するごく一部の者にしかできない。だからこそ、二刀流は注目され、ロマンを感じさせる。
周囲に才能を認められ、楽しみながらも真剣に野球と向き合う高橋には、野望を実現する素質が十分にあるはずだ。唯一無二の存在になり、3年後、恩返しを果たすため――。若き背番号11はがむしゃらに野球を追求する。
(取材・文・写真 川浪康太郎)