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「高校野球発祥の地」大阪・豊中市には野球を愛する人たちの思いが溢れている

大阪・豊中市が「高校野球発祥の地」なのを知っているだろうか。夏の甲子園大会の前身となる全国中等学校優勝野球大会が初開催された場所だ。決戦の地は甲子園球場へ移ったが、豊中市には今も変わらず野球への熱くて純粋な思いが溢れている。

現在は豊中ローズ球場でプロ野球(ウエスタン・リーグ)からアマチュアまで様々な試合が行われている。

1915年8月に第1回全国中等学校優勝野球大会が豊中運動場で開催された。同施設は箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄)が1913年5月に建設。南北140m、東西150mでグラウンド面積21,000平方メートルを誇り、当時は「東洋一の広さ」と言われた。

「豊中運動場は誇りであり、揺るがない遺産になっています」とは同市都市活力部部長・上原忠氏だ。

「大人気で観客収容の問題から第1-2回大会を終えて会場は鳴尾球場に移りました(第10回大会からは甲子園球場)。2大会だけでしたが、大会自体の立ち上げ場所になったのが素晴らしいことだと思います」

「1913年8月からは関西学生連合野球大会も開催されました。旧制中学、師範学校、社会人による大会でしたが、1924年から現在の春の選抜野球大会に変化しました。春夏の甲子園大会のルーツが豊中市にあるということです」

かつての豊中運動場の場所には『高校野球発祥の地記念公園』がある。

~高校の野球、ラグビー、サッカー発祥の地

豊中運動場は大正末期に取り壊され跡地は住宅街に変わっていった。その後1988年には豊中市と日本高等学校野球連盟が協力し、運動場正門辺りに『高校野球メモリアルパーク』設立。2017年にリニューアルして『高校野球発祥の地記念公園』となった。

「高校野球の歴史の一部を感じられる公園。地域の財産として市民の皆さんに認識され始めています」とは同公園管轄部署の豊中市公園みどり推進課・細田靖彦氏だ。

「リニューアル当初は、最寄り駅の阪急電鉄・豊中駅で案内ポスターを掲示したりしました。最近は各メディアに取り上げられる回数も増え、知名度も上がっています。今後も多くの人々が集えし場所になって欲しいです」

豊中運動場は高校野球のみならず、高校ラグビーとサッカーの第1回大会が開催された場所でもある。「高校ラグビー、サッカーにとっても大事な場所ということを伝えていきたい」と上原氏は続ける。

「1918年1月に日本フートボール優勝大会として行われた。午前中はサッカー、午後はラグビー。グラウンドはサッカーが東西、ラグビーは南北で使っていたそうです。試合途中でラインなどを混同してゴールラインを間違えたというエピソードも残っています」

「2018年に夏の甲子園大会、2年後の2020年に高校ラグビー、そして翌21年に高校サッカーの第100回大会がありました。豊中運動場を始点にした各大会が100回という回数を重ねたことがスゴイと思います」

「高校サッカー時には各メディアさんが取り上げてくれて豊中運動場が話題になりました。今後、『高校野球発祥の地記念公園』内に高校ラグビーとサッカーの記念碑を設置する日が来るかもしれません」

ほぼ正方形のグラウンドを使って高校ラグビーとサッカーの第1回大会も行われた。

~大阪府予選、公式練習、そしてプロ野球

豊中ローズ球場(以下ローズ球場)にも注目したい。正式名称・豊中市立豊島(てしま)公園野球場は1968年に開場。1996年の全面改装に合わせ同市市花の薔薇(ローズ)から命名された。プロ野球二軍戦(ウエスタン・リーグ)や各種アマチュア大会で使用されている。

「ローズ球場の施設維持管理業務に携われるのは誇りです」と語るのは、同球場指定管理者である奥アンツーカ株式会社・統括責任者の井ノ口健司氏。

「大阪府予選の会場であり春夏の甲子園出場校の練習グラウンドとしても使用されます。その他にも様々な大会が開催されますが、プロ野球二軍戦は一大イベントです」

「野球に興味がある方、野球少年など、多くの人にとってプロ野球での使用球場は憧れの場所で一度はプレーしたいはずです。そういう大事な場所の管理を任されている責任を感じますが、それ以上に喜びや幸せが大きいです」

豊中ローズ球場は1968年に開場、96年に全面改装されて現在に至っている。

~数分おきに上空を飛行機が飛び交う豊中ローズ球場

「両翼95m中堅115mと多少小さめですがアマチュア選手でも本塁打を打てる可能性がある。客席からも見やすくて素晴らしい球場だと思います」と同市都市活力部スポーツ振興課課長・山村憲二氏は魅力を伝えてくれる。

「今年はウエスタン・リーグ公式戦がありました(6月17-18日、オリックスvs中日戦)。2日間で2,500人ほどの観客が入って盛り上がった。二軍戦とはいえプロ野球公式戦のできる球場は多くありません。そういう球場があるのが市の財産で誇りです」

「都市活力部をあげて盛り上げました。特設ブースを作り、職員が手作りした缶バッチを配ったりして市のPRをしました。ウエスタン・リーグがきっかけで豊中市に興味を持って遊びに来てくれれば嬉しいです」

ローズ球場の最大の特徴は、同市にもまたがる大阪国際空港(伊丹空港)が間近にあることで上空を飛行機が行き来することだ。

「2015年にできた都市活力部ではスポーツ、文化、空港、産業という4つの推進活動をしています。飛行機が飛び交う野球場は世界的にも珍しく同市のウリの1つです。ぜひ大阪国際空港を使ってローズ球場へ野球を見にきてください(笑)」

大阪国際空港を離着陸する飛行機が上空を飛び交う。

~試合がなくても野球ファンが足を運ぶ町に

1996年の全面改装から26年とかなりの時間が経過、今秋から大規模改修が行われることとなった。「部分ごとの修繕はしていますが、今回は現状における必要最大限で行います」と山村氏は説明してくれた。

「老朽化部分の修繕、ナイター照明のLED化、トイレの洋式化、グラウンドの整備等を行う。また球場を囲む防球ネットの高さを現在の約18mから30mほどにします。現状ではファールボールが球場外に飛び出すことが多々あります。プロの試合誘致をしやすくするためでもあります」

「いつの日か大阪府大会の決勝戦をローズ球場でやりたい気持ちは持っています」と上原氏は夢を語ってくれた。

「高校野球発祥の地であり、大阪を代表する野球の町だと思います。今の球場規模(収容人員2,000人)では大きな試合はできません。しかし1万人規模の球場を造るというのも現実的ではない。既存の球場を少しでも良くしていければと思います」

「資料展示室の設置も重要だと考えました。高校野球発祥の地としての歴史を残すことが必要です。試合がない日でも、ローズ球場の資料展示室と高校野球発祥の地記念公園へ足を運んでもらえるようになれば嬉しいです」

同市出身の名誉市民でもあるミュージシャンB’z・松本孝弘の手形が飾られている市役所には、ファンが写真撮影に訪れるという。「そういう場所になって欲しい」とも付け加えてくれた。

豊中市都市活力部部長・上原忠氏(写真左)と同市都市活力部スポーツ振興課課長・山村憲二氏(同右)。

~豊中市の野球はこの先もずっと続く

2019年の第101回夏の甲子園大会で優勝を飾ったのは、同市にある履正社高校だった。次なる100年に向け豊中市の野球は最高のスタートを切った形だ。

「高校野球発祥の地記念公園の優勝校プレートは第200回大会まで貼れるようにしてあります。その時までには大阪府大会の決勝ができていれば嬉しいですね」(上原忠氏)

「大会が100回を数え、新たなスタートを切った最初の大会で履正社高校が優勝したのも縁を感じます。初心を忘れず野球を愛していかないといけません」(山村憲二氏)

「夏の甲子園大会の第150回、その先の第200回記念大会の開会式だけでも豊中市で開催できることを夢みています」(細田靖彦氏)

「ローズ球場を利用した子どもたちが、大人になっても戻って来たいと思える場所であり続けたいです」(井ノ口健司氏)

豊中ローズ球場は、防球ネットを高くするなど、安全性と快適性を高める大規模改修を行う。

言葉は異なっても4人の中にある、「豊中市の野球を大事にしたい」という共通の思いが伝わってくる。今まで関わってきた全ての人たちの野球への純粋な思いは脈々と受け継がれているのだ。

甲子園まで来たら、時間が少しできたら、ぜひ豊中市まで足を運んでもらいたい。「野球の素晴らしさ」を再発見することができるはずだ。

(取材/文/写真・山岡則夫、取材協力/豊中市、奥アンツーカ株式会社、オリックス・バファローズ)

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