【佐藤愛】まだ夢を持てていない、それでもいい〈前編〉

佐藤愛さんは、女子サッカーの名門・宮城県常盤木学園高校で全国制覇を成し遂げ、U-19女子日本代表にも選出。アジア選手権優勝、世界選手権ベスト8を果たしました。

高校卒業後、伊賀FCくノーに入団。12年間に渡って活躍をします。30歳を機に引退した後、不動産会社で4年間の勤務を経て、一般社団法人TREの一員として、子供から大人までサッカーの指導をしています。

一般社団法人TREとは、アスリートのセカンドキャリア支援やサッカースクール運営を中心に活動している団体です。

佐藤さんが再びサッカーの世界に戻ってきた経緯を、前編と後編に分けてお届けします。

ー佐藤さんがサッカーを始めたきっかけは何でしょうか?

小学4年生の時、兄をきっかけに宮城県のスポーツ少年団で始めました。でも、通い始めたら、チームで女子が2人と少なく、性格も今と違って内気だったので、男子チームになかなか馴染めず、行きたくないとズル休みした事もありましたね。(笑)

それでも、5年生の時に「女子サッカーもあるよ」と声を掛けてもらって、そちらに参加するようになってから、「サッカーって楽しいな」と思うようになりました。 もしあのまま、男子チームだけでプレイしていたら、辞めていたかもしれないですね。女子チームがあったお陰で救われました。

小学生の時からサッカー選手として
生きていくと決めていた

ー女子ならではの苦労もあったんですね…。
2011年にW杯で日本代表が優勝して以来、社会的にも女子サッカーは有名になりました。
それ以前にサッカー選手になると決めたことは、「サッカーが好き」という気持ちがあっての決断ではないですか?

小学生の時から、サッカー選手として生きていきたいと思っていました。 でも、高校に進学する時、家庭の事情なども考えて、サッカーは趣味にして、地元の高校に行こうかとも思っていたんですよ。常盤木学園は私立で、お金もすごくかかると思っていましたし…。

そんな時、常盤木学園の恩師が、わざわざ私の中学校まで出向いてくれて、「是非入部してほしい」とお誘いいただき、学校側にも私のことを強く推奨してくれました。さすがの両親も、そこまで言ってくれるならと、常盤木学園への進学を快諾してくれました。

進学が決まってからは、私自身迷いもなくなり、以前よりも強くサッカー選手として生きていきたいと思うようになりました。
常盤木学園に入学してからは、女子サッカー界の現状などを深く知る事ができました。 プロチームが市民クラブになってしまう背景なども知っていたので、サッカーだけで食べてくのは難しいと思っていました。

だからこそ、仕事をしながらサッカーをするのは当たり前だと思っていましたし、「本当に好きなサッカーを続けられるのであれば!」という気持ちで仕事をしていましたね。

周囲もそれを理解してくれていたので、定時で上がれるような仕事を振ってくれていました。 当時、仕事を終えた後、19時半から22時過ぎまで練習をするような過酷な生活も、全然苦ではなかったですね。とにかく夢中でした。

必要とされているからこそ
絶対にここで結果を残したい

ープロになれば、サッカーだけで食べていけるものだと思っていました。スポーツ選手になっても、また違う厳しい現実が待ち受けているんですね…。
佐藤さんは、12年間を伊賀FCくノー一筋でサッカー選手を続けてきましたが、他のチームに移ることを考えたことはありますか?

1年目なんてベンチにも入れず、挫折を経験しました。高校時代の全国制覇がなかったかのように思えましたね。他の選手とのレベルの差も感じて、帰ってから毎日のように泣いていました。

だからこそ、すぐ移籍ではなく、必要とされているからチームに入ったのだから、絶対にここで結果を残したい想いがありました。
その後、試合に出られるようになってからは、頑張ってきた仲間とともに優勝したい気持ちが大きくなったので、他のチームにいくことは一回も考えたことはなかったですね。

まだ夢を持てていない人も
それでいいと思うんです

ー自分の思いだけでなく、佐藤さんに期待をかけたチームに応えようと苦しい状況でも諦めなかったんですね。
それでも、なかには一生懸命に取り組んでいて、いざ燃え尽きてしまったり、ケガなどで諦めざるを得ない時、「次に、何をすればいいんだろう」と不安になる人もいると思います。

まだ夢を持てていない人も、それでいいと思うんです。私自身、引退してから、やりたいことはなかったですし、転職先の不動産業には全く興味がありませんでした。でも実際に働いてみたら、「不動産の仕事は楽しいかも!」と思っていましたね。 私のように、たまたま就いた仕事が楽しい!と思えたり、更にはやりがいに変わる事もあると思います。

逆にやりたい事が見つかるまで辛抱して、次に備えて貯金するのもひとつですよね。あとは、職場で出会った方が、素敵だったりすると、長く一緒に働きたいという想いも芽生えると思います。なので、「まず、社会に出て働いてみようよ!」って思いますね。もちろん辛い事もあるけれど、悩んだら、今の時代たくさん仕事もあるので、「転職してもいいのでは?」と個人的には思います。

現役の時に、ケガで一緒に入院していたJリーガーに「とにかく、色々なところに顔を出した方がいいよ! いずれ自分の為になるから」と言われました。当時はプレーに集中したいし「どうして練習で疲れた後、 知り合いの食事会とかに参加しなきゃいけないの?」と、意味も分からなかったんですが、いま思うと、サッカーを辞めてからの転職先は、そういう場で出会った方から紹介していただきました。

当時は、サッカーに生きていましたが、機会があれば、面倒臭がらずに、自分から進んで、繋がりを作っていくことも大切なのかなと思いますね。

◆次回、【佐藤愛】会社員を経て、再びサッカーの世界へ〈後編〉

▼一般社団法人TRE
(TRE2030 STRIKER ACADEMY)
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▼一般社団法人TRE:代表長谷川太郎さんのコラム
【元J2日本人得点王!一般社団法人TRE代表の長谷川太郎さんを直撃】
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出野 千夏
1995年静岡県出身。バスケット競技歴10年。会社員の傍ら、スポーツライターとして活動中。

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