Jリーガー小池純輝はなぜ児童養護施設の支援を続けるのか?ー子どもたちの居場所を作る「F-connect」
子どもたちがサッカー選手にあこがれるのは、自分自身がサッカー選手になりたいからだけではない。2014年のことである。現在、東京ヴェルディに所属する小池選手は、横浜FC時代にとある児童養護施設をプライベートで訪れた。子どもたちはJリーガー小池純輝選手の訪問に大喜びだ。想像以上の大歓迎で迎えてくれた子どもたちの反応は、サッカー選手として自分ができることが、プレー以外にもあるのだと感じさせてくれた。
このことがきっかけで立ち上げたのが、児童養護施設の子どもの支援活動をする団体である一般社団法人F-connectだ。サッカー選手として施設の子どもたちに会いに行くことをベースに、農業や試合招待をはじめ、子どもたちや企業向けの講演会など、様々な体験や学びの場を提供している。小池選手自身の話から知ることができた、立ち上げの背景や想いを紹介したい。
小池純輝はいかにしてプロサッカー選手になったのか
埼玉で生まれ東京で育った小池選手は、小学1年生のときにサッカーを始めた。ボールで遊ぶのが好きだった少年は、家に投函されたサッカークラブの募集チラシを見て興味を持つ。そんな我が子を見た両親が、カリオカクラブ(現RIOフットボールクラブ)に入団させたのが、小池選手のキャリアのスタートである。小学5年生で埼玉に引っ越したあとは嵐山町サッカースポーツ少年団に入り、中学生になると地域のクラブチーム、坂戸ディプロマッツに入団。後に強豪クラブとなるこのクラブで才能を見出され、浦和レッズユースにスカウトされた。
「小学生時代は両クラブでサッカーの楽しさを教わりました。中学生時代のクラブチームでは楽しさだけでなく厳しさも知り、プロになることを意識し始めたのはこの頃です」と言う。サッカーに情熱を持って取り組む中で、Jリーガーは夢から目標に変わっていった。
しかし全てが順調だったわけではない。中学3年生時には世代別日本代表候補に選出されるも、高校2年生のときには試合に出られなくなるなど苦悩の時期を過ごした。それでも結果的にはトップチームに昇格を果たすことになる。
「何でサッカーをやっているのか自問自答しました。好きだからやっているのだということを思い出したんです。原点回帰ですね。上手くいかないときはどうしたら良いか必死に考えて行動することを続けていたら結果がついてきました」
諦めずに続けられた理由をこのように語った。
当時は必死だったというが、多くのことを考えながら成長していった。F-connectの事業の一つである「ユメイク」では、小池選手が自らの経験を子どもたちに伝えている。
忘れられない感動がF-connectを誕生させた
2014年夏頃、横浜FCに所属していたときのこと。知人の依頼で梶川諒太選手(現在は小池選手とともに東京ヴェルディに所属)と一緒に児童養護施設にプライベートで訪問した。「一緒にサッカーをすれば喜んでくれるかな?くらいの気持ちで行った」とのことだったが、想像以上の大歓迎に驚いた。
訪問後に子どもたちは試合を観戦。横浜FCのホームスタジアムであるニッパツ三ツ沢球技場はピッチが近く、自分への歓声がはっきり聞こえる。それが嬉しかった。
その年の年末に施設を再訪問したとき、自分のことを覚えていてくれたことにさらなる喜びを感じた。サッカー選手は子どもたちに夢と希望を与える職業だということを改めて実感した。
「選手として行くほうが影響力はある」と、現役中に施設訪問を続けたいと考えた。その想いから2015年に梶川選手とともに立ち上げたのがF-connectである。
活動は「子どもたちに会いに行くことがベース」である。施設訪問を軸に、試合に招待したり、様々な体験の場を提供したりすることが目的だ。2020年以降はコロナ禍で訪問できないことが続いたが、オンラインでの交流を続けた。
立ち上げるまでには苦労もあった。「何もないところからのスタートだった」と小池選手は語る。最初はグッズを作って資金集めをしようと試みた。「Tシャツ300枚作りました。短い時間で発送まで自分でやったのは大変でした。完売しましたが、よくこんなに作って、そして売れたなと思います(笑)」と当時を振り返る。大変ではあったが、応援してくれている人がいると実感することで、喜びがそれを上回った。
目的は農業ではなく、農業を通じた居場所を創出すること
F-connectの活動の一つに農業体験がある。長野県の飯綱町に「エフコネファーム」という畑を作ったのだ。
セカンドキャリアに農業を選択するアスリートが増えているが、「農業をやることが目的ではない」と小池選手は言う。もちろん美味しい野菜を育てたいという情熱を持って農業に携わっているが、それは子どもたちに「体験」を提供するための手段の一つなのだ。
小池選手が農業に興味があったことも事業に選んだ理由だ。愛媛FC時代に知人から畑を借りた。「サポートしてもらいながらでしたが、なかなか上手くできませんでしたが、でも自分にとってはスーパーに売っているものとは価値が違うと感じたんです」隣の家の人と一緒にBBQをしたり、地域の方々と交流したりしたことも強く記憶に残っている。それをF-connectでやりたいと思った。小池選手が取り組む農業の活動の本質は「居場所作り」なのである。
飯綱町の畑では、子どもたちと地域の人々との交流が行われている。「ビジネスとしての農業ではなく、子どもたちに体験の場を作る活動であることが、受け入れてもらえた理由だと思います」と語った。
2022年は6月〜11月に2名が3回ほどリンゴの収穫を、8月14〜15日には15名が一泊でトウモロコシの収穫を体験した。
「施設でも食べているトウモロコシがどうやってできているか知らない、髭がついていることも知らない子もいるんです」と話すが、今はインターネットなどで情報は容易に取得できる時代。それも良いことではあるが、リアルな体験から感じることが成長に必要なことだと小池選手は考えている。
セカンドキャリアを視野に入れながらも現役生活は続く
引退年齢は決めていない。アスリートとして長く続けたいと考えている。「F-connectを始めて自分では気づいていなかったアスリートの価値に気付けた」と話す。課題を見つける力など、自分が伝えていける「何か」があるのではないかと思った。
「35歳まで続けられたのはF-connectがあったから」
これからもプロサッカー選手としてスポーツの価値を伝えていきたいと考えている。
F-connectの代表としてはどうしていくのだろうか。「児童養護施設の子どもたちに会いに行く」というベースの活動を続けながら、新たなチャレンジも考えている。
「これまではメンタルにアプローチすることが多かった」という。施設訪問や試合招待で小池選手のプロになるまでの経験を伝える「ユメイク」や、企業研修での講師などがそうだ。それは続けつつ「今は現実的な社会課題にも、少しずつですが取り組めるようになってきている」とのこと。ボランティアから事業になってきた手応えを感じている。
2023年の具体的な活動はまだ公にはできないが「こういう活動は続けないと意味がない」と小池選手は語る。継続的に事業を大きくしていく予定だ。施設の多くの子どもたちは、18歳で退所して進学するより就職する子が多いが、離職率が高いと聞く。ゆくゆくは「エフコネファームが退所後の選択肢になる」ことも視野に入れているという。さらには体験を提供する側、つまりアスリートのセカンドキャリアとしての選択肢にもなり得ると考えている。
F-connectは子どもたちの将来の選択肢を広げるために活動する団体である。プロサッカー選手を輩出することを目的としているわけではないが、いつかは関わった子どもたちの中からプロサッカー選手が出てくるかもしれない。実際に「そのきっかけになりたい」と話していた。小池純輝はまだまだ現役として走り続ける。
(取材・文:阿部 賢 写真提供:F-connect)