「アスリートとしての価値を高めるために」現役サッカー選手・黒川淳史が農業ブランドを立ち上げる意義

近年、日本社会では働き方の多様性が叫ばれる時代になってきている。サッカー界においても現役中にビジネスを展開する選手が徐々に出始めている。
Jリーグの大宮アルディージャやFC町田ゼルビアなどで活躍し、2025年はブルガリアでプレーする黒川淳史選手もその1人だ。2025年6月、農業ブランド「PITCH to PLATE」を立ち上げる。
黒川選手は今年(2025年)2月に27歳となり、サッカー選手として脂の乗った時期を迎えている。そんな黒川選手に現役中に事業を起こした思いや意義を伺った。
新たな挑戦が始まった2025年
黒川選手は埼玉県の比企郡嵐山町(ひきぐん・らんざんまち)で生まれ育った。嵐山町は埼玉県の中部に位置し、自然豊かな場所だ。中学時代に同じ埼玉に拠点を置く大宮アルディージャのジュニアユースに入団した。
高校卒業後に大宮とプロ契約を結ぶと、2017年にJ1デビューを飾り、同年にJリーグ初得点を挙げた。その後は水戸ホーリーホック、ジュビロ磐田、FC町田ゼルビアと国内クラブを渡り歩いた。今年2月にはブルガリア1部リーグのスパルタク・ヴァルナに期限付き移籍。キャリアを通じて初となる海外リーグへの移籍を果たした。

2025年は日本からブルガリアへと大きな環境変化があったシーズンとなっているが、さらなる挑戦として農業ブランド「PITCH to PLATE」を立ち上げた。「PITCH to PLATE」とは、地域で育てた農産物をブランド化し、地産地消を広げるプロジェクト。ブランド名には現役サッカー選手である黒川選手が競技場(ピッチ)から食卓(プレート)へ農産物を届けるという意味がある。
黒川選手は出身地である嵐山町のPR大使を務めるなど、もともとサッカー以外の活動も積極的に行ってきた。これまでのPR大使としての活動や今回の農業ブランドの立ち上げの根底には恩師からの金言がある。
「サッカー選手である前に1人の人間。社会に良い影響を与える選手になりなさい」。これはユース時代の恩師に授かり、人生の礎となっている言葉である。
サッカー以外でも社会に貢献できる部分がある
黒川選手には20歳頃から漠然と農業に関わる事業をやりたいという思いがあった。出身地である嵐山町は通学路に畑があるなど、幼少期から農業が身近な環境で育った。期限付き移籍で2度在籍した水戸ホーリーホックでは、クラブが農業サービスを運営している。常に潜在意識の中に農業がある環境で過ごしてきた。
サッカー選手と農業は一見すると、つながりが薄いように感じるが、アスリートは身体が資本であり、食とは切っても切り離せない。また、農業にもチームプレーが求められ、サッカーで培ってきたものと通ずる部分が多い。
キャリア初期からサッカー選手としてどのようなことで社会に貢献できるのか、水戸時代には研修で経営者から話を聞いたり、異業種の方と交流したりと模索を続けてきた。事業のヒントとなったのが、嵐山町のPR大使での活動だ。

黒川選手は2023年4月から嵐山町のPR大使を務める。PR大使の活動は小学校での講演会や地域イベントの宣伝など多岐にわたる。そんな折、嵐山町のイベントに水戸や町田のサポーターが参加してくれる機会があった。
「自分のことを知ってくれても、プレーだけでは自分が過ごしてきた街まで知ってもらうことは難しい。イベントをきっかけに、自分がお世話になってきた街を知ってもらうことができれば、その街への恩返しになるのではないか」と話す。映画やアニメなどの作品の舞台となった場所を巡る聖地巡礼のようなイメージで自分が辿ってきた街をもっと知ってもらえるのではと考えたという。
これまでのキャリアを振り返ると、様々な土地で自分の思い出や足跡があることを実感した。出身地の嵐山町は農業が盛んで、のらぼう菜やさつまいもの生産地として知られている。黒川選手が在籍してきた水戸や磐田などにも様々な名産品がある。黒川選手を通じて地元の嵐山町やお世話になってきたホームタウンを知ってもらい、その地域の農産物を届けることで社会に貢献できると考えた。
「サッカー選手としてはピッチ上のプレーでファンを喜ばせることができる。一方でサッカーのプレー以外でも社会に貢献できる部分がある」と事業に至った思いを話す。
現役サッカー選手の道標に
2025年で27歳となり、同世代の選手たちが徐々にユニフォームを脱ぎだしている。身体を資本とするスポーツ選手のキャリアにはどうしても限りがある。また、セカンドキャリアに悩む先輩選手の姿を目にしたこともあり、アスリートとして脂の乗った27歳というタイミングで事業を始めることを決断した。
引退後のセカンドキャリアとしてサッカー以外の事業に挑戦する選手は昔から多くいた。しかし、現役引退後に新たな事業を始める場合、一時的に収入が途絶えることになる。さらに事業が軌道に乗り出すまでに時間を要すこともあり、経済的な不安が残る。サッカーに安心して取り組むため、そしてなによりも引退後に備え、現役中に別の収入源を作っておこうと考える選手も少なくない。
だが、黒川選手は収入面以外にも現役中に事業を起こす意義があると考えている。
「サッカーと並行して活動することで、より応援してもらえる選手となり、アスリートとして価値を高めることになる。プレー以外で社会に貢献することは1選手としても重要」と語る。
これは恩師の言葉である「社会に良い影響を与える選手」にもつながる。
近年はパラレルキャリアとして現役中に事業を始める選手が徐々に増えている。しかしながら、どんな手段や選択肢があるのかなど、知らない選手がまだまだ多い。当然ながら、幼少期からサッカーに取り組んできた選手たちはサッカー界以外の人と関わる機会も少ない。
「PITCH to PLATE」は黒川選手が過ごしてきた街の農産物を食卓に届けるという事業だが、アスリートのパラレルキャリアのモデルを作るという目的もある。
黒川選手は嵐山町で生まれ育ち、水戸や磐田、町田などでキャリアを歩んできたが、他の選手にもそれぞれのキャリアがあり、それぞれ過ごしてきた街がある。黒川選手が農業事業を確立することで、他の現役サッカー選手がそれぞれの土地で農業にチャレンジしやすい土壌を作りたいという思いがある。
「現役中はサッカーだけをするのではなく、現役中にサッカー以外のフィールドでも活躍できるということを証明したい。」
黒川選手には40歳まで現役を続けるという目標がある。40歳まで現役を続けるためにも、アスリートとしての価値を高め続けていく必要がある。黒川選手のプレー以外の取り組みにも注目したい。