• HOME
  • コラム
  • 野球
  • 日本ハム・ドラフト1位「二刀流」矢澤宏太 日体大で投手として野手として成長した4年間 

日本ハム・ドラフト1位「二刀流」矢澤宏太 日体大で投手として野手として成長した4年間 

 「投手でも、野手でもドラフト1位」と評価される選手になりたい――。 

 10月20日のドラフト会議で、北海道日本ハムファイターズから1位指名を受けた矢澤宏太投手兼外野手が、何度も口にした言葉だ。 

 藤嶺藤沢高校時代もプロ志望届を出したが、思うような結果にはならなかった。ドラフト会議翌日、古城隆利監督からの熱い誘いを受けた矢澤は、日本体育大学で4年後のドラフト1位を目指すと決めた。四番でエースも珍しくない高校野球と違い、大学では投手、野手どちらかに絞ることが一般的だ。そんな中で矢澤は、どちらの可能性も追い求め「二刀流」に挑戦してきた。 

 新しいことに挑む者には、賛否の声が降り注ぐ。ざわつく周囲にブレることなく、ひとつずつ階段をのぼってきた矢澤の4年間を取材した。 

「二刀流」で歩んできた道 

 2019年3月20日。日体大健志台球場で行われていた立正大とのオープン戦に、4月から日体大生となる矢澤が三番・ライトで出場していた。左投げ左打ちで、身長は170センチを少し超える程度。何より線が細かったため、余計に小柄に見えた。 

 この日の成績は4打数無安打3三振で、自慢の「足」を見る機会はなかった。高校時代、投打で活躍していた選手とはいえ、大学で戦えるようになるまでには少し時間がかかりそうだ。これがまったくの見立て違いだったことは、4月6日開幕の首都大学野球春季リーグ戦で知ることとなる。 

1年生のときの矢澤

 開幕日の帝京大1回戦、矢澤は九番・ライトで公式戦デビューを果たした。2打席目に廣畑敦也投手(現・ロッテ)から初安打を記録すると、次の日は五番に打順を上げ、得点に繋がる二塁打を放った。何よりも、走る姿に衝撃を受けた。何かに例えるとすれば「風」だろうか。体が大きく上下することなく、頭の位置が変わらないままスーッと前に進んでいく様子は、風を切って走る足の速い動物にたとえるよりも「風そのもの」と言えた。 

 走る距離が伸びれば伸びるほど、その惚れ惚れするような走塁が長く見られる。矢澤のプレーをまだ見たことがない人に見るべきポイントを伝えるとすれば、そのひとつが「三塁打」だろう。 

 秋季リーグ戦が開幕した2019年9月1日の帝京大1回戦、一番・ライトに矢澤の名前があった。今季も野手で出場するのか。次の日、スタメン表の一番には矢澤の名前がなかった。目を下に移していく。投手の欄にその名前を見つけた。 

 辻孟彦コーチに「3イニングだけでいいという気持ちで、コントロールは気にせず強い球を投げてこい」と送り出された矢澤は「調子は良くなかったが、できることはできた」と、140キロ台のストレート、縦・横2種類のスライダーを中心に、初登板を5回1失点にまとめた。 

 それからの矢澤は、投手として、野手として、観る者に夢を与えてくれる存在になった。DH制である首都リーグ戦で、最初は外野を守り、リリーフとしてマウンドに向かう「DH解除」を見せてくれたり、逆に先発で投げ、試合終盤に外野の守備についたこともあった。野手として先頭打者ホームランやサヨナラホームラン、投手として奪三振ショー、完封劇。極め付きは、四番・ピッチャーでの出場だ。初めて完封した3年春の筑波大1回戦も、四番・ピッチャーで出場。佐藤隼輔投手(現・西武)相手に2安打し、投げ勝った。 

 メディアの多くはドラフト候補を追うため、矢澤が1年時には3学年上の吉田大喜投手(現・ヤクルト)、2年時には2学年上の森博人投手(現・中日)に取材が集中していた。それでも、1年冬に森らと共に大学日本代表の選考合宿(※発表後、コロナで中止)に呼ばれた矢澤は、全国的にも注目されるようになっていった。3年生になると「未来のドラ1候補」として取り上げられる機会が一気に増え、最後の1年は、テレビや雑誌、インターネットで矢澤の名前を見ない日はなくなっていた。 

エースとしてチームを引っ張る矢澤

 首都リーグでは、2年秋に打率.368で外野手として、3年秋に7試合4完投3完封 防御率.200で投手として、4年春に打率.350で指名打者として、ベストナインに選ばれた。3年生、4年生と2年連続で大学日本代表に選出され(※3年時はコロナで大会中止)、3年3月には強化試合を行うトップチームの日本代表メンバーにも招集された(※コロナで強化試合中止)。

芯の強さを感じる矢澤の人間性 

 「二刀流」とは言ったものの、1年秋の時点では「4年間の中で、投手と野手どちらかに決める」という方針だった。 

 そもそも、矢澤自身「二刀流」に対する強いこだわりがあったわけではない。普段から「芯は強いが我は強くない」という印象がある矢澤は「二刀流」に対しても、一貫して「投手も野手もどちらもやりたい気持ちはありますが、チームの方針に従います」と言い続けてきた。「プロでも二刀流を続けたいか」と聞かれても、同じように答えた。 

 やることになったからには投手でも野手でもトップを目指す、と全力で取り組んだだけで、日体大入学時、古城監督に「どっちもやってみるか」と言われなければ、今の「二刀流矢澤」はなかったかもしれない。 

 下級生の頃は、野手・矢澤の方が先に頭角を現したため、将来的には野手一本になるのではないかという声が多かった。周りの私たちも大学生の二刀流挑戦に馴染みがない。どちらも同じペースで成長するならまだしも、差が出ているのなら早めにどちらかに決めた方がいいのではないか、という心配もあったと思う。 

 それと同時に、今でこそ「異なるタイプの二刀流」と認識されているが、当時は、体型もタイプもまったく違う大谷翔平選手と比べたり、矢澤の強い要望で「二刀流」に挑戦していると受け取れる報道もあり、応援の声と共に「大谷にはなれない」「どうせ無理なのに」「早くどちらかに決めた方がいい」というような否定的な言葉も聞こえてきた。矢澤の耳にもいろいろな声が届いていたことだろう。 囲み取材の場でも毎回のようにその類の質問が出た。

 本人は一度も、大谷と自分が同じと言ったことはない。どちらもやってみたいという気持ちを周りが尊重してくれただけで、自分のエゴで「二刀流」をやっているわけでもない。それでも矢澤は、嫌な顔ひとつせずに何度も何度も答えてきた。「大谷選手とはレベルが違い過ぎるので、比べるのは失礼だと思います。チームの方針に従いますが、二刀流を続けるのであれば投手でも野手でもドラフト1位と言われる選手になりたいです」。 

 制球力が低いと言われても「辻さんに、今は制球を気にせず強い球を投げなさいと言われています」、引っ張る打球ばかりで逆方向の打球がないと言われても「今はとにかく思い切りバットを振るだけです」と、丁寧に答える。そして、焦ることなく4年間という時間を有効に使い、目の前のやるべきことに取り組み、一歩ずつ進んできた。ひとつひとつ課題をこなしていく中で、四死球は減っていき、試合で使える変化球は増えていった。逆方向にも強い打球が打てるようになり、場面に応じた打撃が可能になった。どんな声にもブレない、矢澤の芯の強さを感じた。 

 矢澤は「二刀流」の利点について、こんなことも言っていた。「野手として結果を出すと投手としても同じくらい結果を出したい、投手として結果を出すと野手としても同じくらい結果を出したいと思うので、どちらもレベルアップしていけます」。その言葉通り、投手の矢澤が伸びれば野手の矢澤も伸び、学年が上がるごとにどちらの矢澤も捨てがたくなっていった。その結果が「二刀流」でのドラフト1位指名だ。 

慣れ親しんだ背番号1

 「芯は強いけど我は強くない」と前述した通り、自分のやりたいことはしっかり持っているが、だからと言って自分が自分がと前に出ることはないのも矢澤の特徴だろう。ドラフト会議の日に話題になっていた矢澤の背番号1。矢澤が、新庄剛志監督が背負う1を「狙いたい」と発言したと、報道で目にした。その背番号1を初めてつけることになった経緯も「古城監督から、何番がいい? と聞かれたので何番でもいいと答えたら1が用意されていました」というものだ。 

 野球用具へのこだわりを聞いても「特にないですね」、試合前のルーティーンを聞いても「特にないですね」と答える。筆者の取材経験に基づく主観になるが、何かにこだわり始めるのは「単純にそのもの(こと)が大好き」か「行き詰まったとき」のどちらかだ。矢澤は、野球の技術において、まだまったく行き詰まりを感じていないということになる。それは同時に、のびしろが十分にあることを意味している。 

矢澤に関わる人たちの証言 

 矢澤と何度もバッテリーを組んできた高橋建心捕手(3年・桐光学園)は、矢澤についてこう証言する。 

「矢澤さんがすごいのは、バッターを見て考えて投げているところ。キャッチャーとして、一番会話ができるピッチャーです。アイコンタクトもできているし、僕のサインに意図を持って頷いているというところが一番見えるピッチャーなので、そこがすごいなって。最初は、センスで野球をやっているのかなと思っていたんですけど、練習もきちんと計画立ててやったり、試合の中でもしっかり考えてバッターの反応とかも見えている。やっぱり一流だと思います」 

 辻コーチによると、体の強さも矢澤の武器のひとつのようだ。「(登板時)肩ができるのがすごく早い。それに、たくさん投げても次の日の方が感じが良かったり、トレーナーさんが体をケアしたときの回復も早いです。すぐ柔らかくなったり、疲労がとれる。トレーニングで無駄な筋肉がついていないというのもあると思います。故障もないですしね。肩、肘、腰が痛いというのがないです」。 

 1年生のときほどではないが、試合中の矢澤を見ると今でもやはり細身だと感じる。無駄な筋肉どころか、必要な筋肉もついているのかと疑うほどだ。だが、ユニフォームを脱いでTシャツ姿になると、とてつもなく存在感のある上腕二頭筋が袖からのぞく。4年間で増やした体重10キロには、必要なものだけが詰まっているのだろう。 

古城隆利監督(右)と辻孟彦コーチ(左)

 今、投手と野手を選ぶとしたらどちらか。囲み取材でそんな質問を受けた辻コーチは困りながらこう答えた。 

「僕が決めることじゃないですけど、野球が好きなファン、指導者として見ても決めきれないですね。どちらかが完成していればこれが基準かとなりますが、両方まだ完成していない。両方成長できそうな感じなのが決めきれない理由かなと思います」 

現在地とエースとして最後の戦い

 投手としては、最速152キロ、常時140キロ台のストレート、変化球は代名詞ともなっている縦横のスライダー、カーブ、徐々に増やしてきたチェンジアップ、この秋使える球種になったツーシームなどを操る。完投できる体力、試合を組み立てる能力も高く、奪三振数が多いのも特徴だ。制球力の低さが課題で、奪三振数と四死球の数が同じという時期もあったが、年々まとまった投球ができるようになってきた。 

 4年秋のシーズンは本来の調子とは程遠かったが、その中で試行錯誤しながら7試合を投げ3勝1敗、リーグトップの防御率1.42という成績を残した。優勝がかかった最後の試合を延長タイブレークの10回まで投げて1失点、チームは11回に勝ち越し勝利した。ガンガン攻める投球という今までの矢澤のイメージとは違う、新しい投球スタイルも見せてくれた。 

「力まずにバランスよく丁寧に投げることができました。ゾーンに投げて、コースをつくところはついて、と上手くできたのかなと思います。横のスライダーを強度高く投げたり、ちょっと大きく曲げたりしました。今日は全球種コントロールできて、どんな場面でも使えて配球ができる、という感じだったので良かったかなと思います」 

日体大リーグ優勝でチームメイトに胴上げをされる矢澤

 野手としては、生まれ持った足の速さや肩の強さ、打撃センスというところが目立っていた。後輩の門馬功外野手(1年・東海大相模)の話では、矢澤は「ボールを追わないでバットを前に出す」という感覚でバッティングをしているようだ。 

 また、矢澤はトップを作るときにグリップを一度下げる「ヒッチ」と呼ばれる動作をするが、これは意識してやっているわけではなく自然と身に着いたものだと言う。バッティングの調子が悪いとき、大引啓次臨時コーチ(元・ヤクルト)に「ヒッチが早くなっているので、もう少し間をもたせては?」というアドバイスをもらい、調子を戻したこともあった。感覚でやっていたバッティングにも少しずつ意味を持たせていき、以前は右方向ばかりだった打球も、4年生になると広角に飛ばせるようになった。 

 こうして、ドラフト1位を目指して「二刀流」に挑戦してきた4年間は、矢澤が思い描いた通りのものだったのだろうか。 

 「そうですね、結構うまくいった4年間だったのかなと思います。この(秋の)リーグ戦は自分の中ではもう少しできたかな、とは思います。でも、リーグ戦の中でなんとか粘って、チェンジアップやツーシームなどの新しくできた球種でなんとかして、悪いなりにできたと思うので、それも成長なのかなという風に思っています」 

 そんな矢澤の可能性を潰さず見守ってきた古城監督は「(日体大に)入ってきたときは、能力だけでやっていて、チームの中でひとつ飛び抜けた存在でちょっと自由なところがあったんですが、4年間重ねる中でチームの見本となる、チームを引っ張ってくれる、本当のエースになってくれた。人間的な成長を非常に感じますね」と語った。 

 メディア対応という面でも、少しやんちゃな1年生だった矢澤が、状況に合わせてわかりやすい言葉で丁寧に話してくれるようになり、時にはリップサービスで場を和ませるまでになった。その姿はもはやプロ野球選手のようだ。

 プロ野球ファンにとっては、矢澤をプロの舞台で見る日が待ちきれないだろう。だが、矢澤には日体大のエースとしての戦いがまだ残っている。一足先に、その姿を球場でチェックしてみてはどうだろうか。日体大は、11月7日から横浜スタジアムで行われる横浜市長杯争奪第18回関東地区大学野球選手権大会に出場する。 

 ここからはトーナメント戦だ。少しでも長く仲間と野球ができるように、「二刀流」の矢澤宏太が、腕を振り、バットを振り、俊足を飛ばしてチームを頂に導く。 

好きな時に好きなだけ神宮球場で野球観戦ができる環境に身を置きたいと思い、OLを辞め北海道から上京。 「三度の飯より野球が大好き」というキャッチフレーズと共にタレント活動をしながら、プロ野球・アマチュア野球を年間200試合以上観戦。気になるリーグや選手を取材し独自の視点で伝えるライターとしても活動している。 大学野球、社会人野球を中心に、記者が少なく情報が届かない大会などに自ら赴き、情報を必要とする人に発信する役割も担う。 面白いのに日の当たりづらいリーグや選手を太陽の下に引っ張り出すことを目標とする。

関連記事