2年ぶり開催「第27回 関東甲信越身体障害者野球大会」パラリンピックの裏側で行われた”もうひとつのパラスポーツ”
9月4日、東京パラリンピックが連日大きな盛り上がりを見せ、翌日に閉幕するという中、同じ都内で”もうひとつのパラスポーツ”が行われていた。
東京・世田谷区で開催された「ゼット杯争奪 第27回 関東甲信越身体障害者野球大会(以下、関東甲信越大会)」。
半身まひのサウスポーが素手でボールを受け取り、低めのチェンジアップで見逃し三振を奪えば、左手に欠損のある選手が打席で渾身のフルスイングを披露し打球は外野の頭上を超えていく。
身体障がい者野球は障がいの度合いや種類を問わず、同じグラウンド・共通のルールの下、お互いを補い合いプレーする。
新型コロナウイルスの感染拡大で昨年は中止となり、今年2年ぶりの開催となった。
(取材 / 文:白石怜平、一部敬称略)
競技人口は950人以上の身体障害者野球
身体障がい者野球は現在、競技人口は950人以上にのぼる。1993年に創設された「日本身体障害者野球連盟」には29都道府県・37チームが加盟。
毎年5月にほっともっとフィールド神戸で「全国身体障害者野球大会(選抜大会)」、11月に兵庫県豊岡市但馬(たじま)で「全日本身体障害者野球選手権大会(全日本選手権)」が開催され、全国の頂点が決定する。
昨年は両大会とも新型コロナウイルス感染拡大のため中止したが、今年は5月に選抜大会を開催。11月の全日本選手権に向けて、全国7ブロックにて選手権獲得をかけた大会が行われている。(一部中止のブロックもあり)
「身体障がい者野球の灯を消さないように」
7ブロックのうち、関東甲信越エリアでは「信濃レッドスターズ」、「群馬アトム」、「栃木エンジェルス」、「埼玉ウィーズ」、「東京ジャイアンツ」、「東京ブルーサンダース」、千葉ドリームスター」の7チームがエントリーしている。
関東甲信越大会はトーナメント方式で争われ、優勝チームは同地区の代表として全日本選手権及び翌年の選抜大会の出場権を獲得する。(※)
(※)選抜大会は、各ブロックの上位2チームが参加する。
ただ、昨年から各チームで活動状況が異なるため、7月に加盟チームで理事会を開いた。それぞれの状況を共有し合うとともに大会の開催及び参加について協議した。
「5月の選抜同様、コロナ禍でも開催できるという実績をつくりたい」
「障害者野球の灯を消さないよう大会は開催したい」
その想いが全チームで一致。今大会は2チームであっても開催する運びとなった。
最終的な参加チームは、千葉ドリームスターと東京ジャイアンツの2チーム。その勝者が今年の関東甲信越代表となることで開催が正式決定した。
両チームは、これまで感染者をチーム内で1人も出さず活動を続けており、”大会を開催するなら出場したい”と手を挙げた。
千葉ドリームスターは2011年に発足した千葉県唯一の身体障がい者野球チーム。
千葉県出身で、現在は北海道日本ハムファイターズのヘッド兼打撃コーチを務める小笠原道大氏が「夢を持って野球を楽しもう」という想いを込めて創設したチームである。
14年に連盟加盟してから徐々に力をつけ、17年から19年まで3年連続で関東甲信越大会準優勝・19年には選抜大会で全国ベスト4に進出した。
東京ジャイアンツは2001年創設。体幹機能や下肢機能障がいといった重度の障がいや、身体と知的障がいとあわせた知肢重複の障がいのある選手が多く、ほとんどのメンバーが未経験から野球を始めている。
その名の通りプロ野球・読売ジャイアンツがモチーフ。18年のシーズンオフには坂本勇人選手と田中俊太選手(現:DeNA)が練習に訪れ、現在も交流が続いている。
元NPB審判、山崎夏生氏らも協力
関東甲信越大会の舞台は東京・世田谷公園。
当日は参加者全員、2週間の検温表と体調チェックシートを提出。ベンチではマスク着用必須の上、大会に臨んだ。
また、運営には同じ東京を拠点に活動する東京ブルーサンダースのメンバーも一部参加。大会出場には惜しくも人数が足らなかったが、「大会運営のためにサポートします!」と監督はじめ選手・スタッフが駆けつけた。
しかし、当日朝はあいにくの雨。9時半開始予定だったが、雨足が収まらずグラウンドにはビニールシートが乗った状態が続く。
それでも、公園管理事務所の方々が「10時ごろには止むので待ちましょう」と両チームに伝え、10時前にはその通り雨がほぼ止んだ状態に。
マウンドとバッターボックスの砂を入れ替えて入念な準備を施し、開催に向け全力でサポートした。
また、豪華な審判団も参戦。元NPB審判の山崎夏生氏が球審を担当した。
山崎氏は1984年7月〜2010年の10月の約27年シーズン、パ・リーグの審判として1451試合に出場。
「10.19」と今でも語り継がれる88年10月19日のロッテ-近鉄(川崎球場)では左翼外審、ラルフ・ブライアント選手(当時近鉄)が2試合にかけて4打席連続HRを放った翌89年の西武-近鉄のダブルヘッダー(西武球場)で外審と塁審を務めるなど、昭和から平成のパ・リーグを彩ってきた名審判である。
現在は執筆や講演活動をこなしながら、”審判応援団長”として、学生野球全般や社会人野球、女子野球などとジャンル問わず試合に駆けつけ、試合を裁いている。
この日は自身お気に入りの色でトレードマークのレモン色のポロシャツで登場。出身大学である北海道大学の後輩で、主に神奈川県のアマチュア野球で審判を務めている中山弘之氏とともに駆けつけた。
5月から多忙の合間を縫い、身体障がい者野球でもジャッジしてきたことから「今日も盛り上げますよ!」とレモン色に似合う爽やかな笑顔で両チームに挨拶した。
なお、ルールは身体障がい者野球版で、バント・盗塁・振り逃げは禁止。加えて、走塁が困難な下肢障害の選手には、打者が打ったら代わりに打者走者として走る「打者代走制度」を採用した。
時間は90分制、3回で10点差が着いた時点でコールドゲームとし、攻撃はEDH(特別指名打者)を用いた10人制で行った。
”まっさらなマウンドに上がりたい” 左腕が掲げた目標
9:58にプレーボール。試合開始時は新型コロナ感染対策の一環で、両チームはベンチ前のライン上に並び一礼。山崎球審によるの迫力ある「プレイ!」コールが全体を緊張感で包みこみ、試合が始まった。
1回表、先発投手として千葉ドリームスターの篠原敦がマウンドに上がった。
篠原は幼い頃の交通事故による右半身まひの障害をもち、野球をする際は主に左手1本でプレーしている。マウンドで投げるときは素手でボールを受け取り投球し、打撃でも左手1本で右打席に立つ。
貴重なサウスポーとして、今シーズンは健常者チームを相手に短いイニングながら無失点投球を続けるなど好調を維持してきた。
「まっさらなマウンドに上がりたい」
11年にドリームスターに入団し、念願の野球を始めてから抱く想いをよく知る小笠原一彦監督の計らいで先発起用が決まった。
共に長くプレーする中䑓陵大主将も「篠原先輩のために」と攻守決めの際に後攻を選択するなど、チームの期待を一身に背負いながらマウンドへ向かった。
初回を3人で抑えリズムをつくり、裏の攻撃に向けて勢いを呼び込んだ。
ジャイアンツの先発は左腕の齊藤輔。篠原同様、右半身まひの障害がある齊藤は、最速100kmのストレートとスライダーが武器。2016年に入団以降、主力として投げ続けてきた。
ドリームスターは初回から齊藤に襲い掛かる。1・2番が四死球で出塁すると、打席は3番の城武尊。
城は18年に行われた”もう一つのWBC”と呼ばれる、「世界身体障害者野球大会」に日本代表として出場した選手。
両腕に1本ずつある橈(とう)骨が生まれつき左腕だけなく、左手の親指と人差し指がない障害があり、主に右手でプレーしている。
普段は投打で主軸を担う若干24歳の若武者はこの日は打者で出場。ストレートを素早い体の回転で振り抜くと右中間を真っ二つ。ランナー2人を迎え入れるとともに自らも快足を飛ばしランニング本塁打に。一気に3点を先制した。
試合は千葉ドリームスターが勝利、初の全国大会へ
ドリームスターはその後も攻撃の手を緩めず初回に10点を挙げる。篠原は3回を投げ、ジャイアンツ打線を1四球のみの無安打に抑えた。
3回終了時点で11−0となり、規定によりコールドゲームとなった。
身体障がい者野球では、近隣チームとの交流が盛んで合同練習や練習試合もたびたび行われる。お互いに協力しながら活動を続けていることから、横のつながりが強いのも特徴の1つである。
普段は”同志”であるがこの日は真剣勝負。両軍ベンチから緊張感が漂う試合となった。
試合を裁いた山崎球審は「まずは、その技術の高さに驚きました。一本腕打法やグラブトス、素早くグラブを投げ捨て送球するなど、相当の練習をこなしたのでしょう。でも、それ以上に魅力的なのが笑顔あふれる野球であること。足りない部分は皆でカバーしあう。
好プレーには敵味方関係なくベンチから歓声が沸く。こんな風に野球を楽しむ権利は万人にあり平等なんだと教えてくれます。これからも深く関わっていきたいですね」と話した。
終了後には表彰式が行われ、MVPは篠原が獲得した。
試合を振り返り、「コロナ禍ではありますが、無事開催できたことを嬉しく思います。またチームの代表として投手に指名いただき、全ての方に感謝するマウンドでした。
ピッチングはとにかくミットめがけ、緩急で打ち取ること。ベンチ・グラウンドからのチームメイトの声が力になりました。今後も障がい者野球の発展のために活動を続けます」と充実した表情を見せた。
大会後には運営スタッフやブルーサンダースのメンバーを交えて交流戦を開催。勝敗関係なく、球場に集まった全員が野球を楽しんだ。
2年ぶり開催の関東甲信越大会は終了。現在も感染者を出していない。
ジャイアンツの西尾健太監督は「これまで感染症対策と選手の健康状態に配慮しつつ、大会を目指して野球ができる限られた時間を大切にして取り組んで来ました。選手たちの気持ちを考え、無事に大会を開催できてこの試合ができたことはとても大きな意味があると思います」と参加した意義を語った。
ドリームスターは関東甲信越の代表として、創設以来初の全日本選手権に出場する。笹川秀一代表は、大会を開催し実績を残せたことに触れながら、
「2チームでの開催を承認していただいたNPO法人日本身体障害者野球連盟事務局、関東甲信越連盟理事会の皆様、試合をサポートいただいた東京ブルーサンダースの方々、そして開始時の霧雨も吹き飛ばすジャッジをしていただいた山崎様、中山様に感謝申し上げます。本当にありがとうございました」
と開催できたことに関係者全員へ感謝の気持ちを述べた。
5月には神戸で選抜大会を開催し、身体障がい者野球としても各地で「with コロナ」に向けて開催実績を残しつつある。
10月から緩和の動きが徐々に見られるという報道もある中、11月に全日本選手権が行われる予定である。障がい者スポーツの希望の1つとして、新たな熱戦の記録が刻まれた。