初の全国大会出場へ!群雄割拠の富山を制した龍谷富山サッカー部の挑戦
“選手権”でサッカーファンにはお馴染みの全国高校サッカー選手権大会が、今年も12月28日から始まる。
高校でサッカーをしている選手にとって憧れの舞台で、出場できるのは僅か48校。日本代表や海外で活躍する選手の多くが、この大会から羽ばたいていった。
各都道府県の予選がこの秋に行われ、常連校が出場権を獲得した一方、新進気鋭の学校が勝ち上がったケースも。その中でも富山県では、2013年大会で優勝し、県予選でも9連覇をしていた富山第一が準決勝で敗戦。大きな話題となった。
長年立ちはだかっていた壁を今回打ち破ったのが、創部21年目の龍谷富山だ。部としては初の全国大会。創部とともに指揮官に就任した濱辺哲監督にとっても悲願の舞台だが、ここまで幾度とない苦難があった。
選手としての夢に区切りを付け
0からの組織構築を目指した指揮官
東京学芸大学卒業後に、来季J2に復帰するカターレ富山の前身・アローズ北陸(当時はJFL)に所属し、Jリーガーを目指していた濱辺監督。元々教員志望で、龍谷富山にサッカー部が創設されるタイミングで現役を引退した。
「Jリーガーを目指していたので、未練はあった」ものの、「部の創設に携われることができるのは一生に1回あるかないか。そのチャンスに懸けてみようと思いました」と24歳にして選手に区切りを付け、監督に就任した。
ただ創部当初の部員は11人。交代要員がいない上に初心者がいたり、不登校の部員がいたりと、試合を成立させることすら大変な状況だった。
さらに、5年目までは特待生として選手を受け入れることができず、一般生のみでチームを編成していた。しかしこの5年間で、現在まで続く指導の原点を構築できたという。
「挨拶の指導や練習時間を削って奉仕活動、学校のために何ができるかをやってきました。私はサッカーの指導者ではなく教員。選手はいつか引退しなければいけないので、人間力を少しでも伸ばしていきたい」
こうしたピッチ以外での活動と濱辺監督の根気強い指導が実り、就任5年目には特待生の受け入れを認められるように。環境面で他の強豪に比べて劣っていたため、思い通りのリクルートができない時期もあったが、徐々に実績を積み重ねていった。就任16年目の2019年、そして20年の選手権県予選で2年連続ベスト4入りを果たした。
選手の目標が明確になり、
どんな状況でもブレないチームに
20年に県ベスト4入りしてからは、夏のインターハイ県予選も含めその先に進めない期間が数年続いた。しかしその間、龍谷富山の門を叩く選手たちのモチベーションに変化が生まれた。
「『富山第一や他の学校に行けるレベルではないから龍谷富山に進学する』ではなく、今年のキャプテンの横山旺世のように『富山第一に勝つために龍谷富山に進学する』に変わりました」と濱辺監督。横山選手も「当初は富山第一で全国に行きたい気持ちはありましたが、濱辺監督に声をかけられたこともあり、龍谷富山に入って富山第一を倒して歴史を変えたいという思いに変わっていきました」と話すように、明確な目的を持って龍谷富山に進む選手が多くなった。
特に今年の3年生はその思いが強く、横山選手は「どんな状況でも練習に取り組む姿勢を変えたらいけない。目標も変わらないので、目標を達成するために何をしなければいけないかを逆算しながらやってきました」と振り返る。
こうした芯の強い人間力は濱辺監督が創設当初から大切にしてきた部分。遠征や対外試合を経て学べる部分が多いのだが、新型コロナウイルスの影響で自チームのみで完結せざるを得ない状況になった。そのため重要視してきた人間力を養う指導が一度は振り出しに戻ったものの、「今年の3年生は言わなくても人間力の大切さに気付き始めてくれた」と濱辺監督は3年生に全幅の信頼を置いている。
今年のチームは秀でた選手がいるわけではなく、インターハイ県予選では準々決勝で敗退と決して良いスタートではなかったが、3年生が軸になりチーム力を高めていった。
そして迎えた選手権県予選。内容は良くなかったものの下位回戦を勝ち進み、準決勝で10連覇を目指す富山第一と相まみえた。
前半を1対1で終えると、後半に向けたハーフタイムで檄を飛ばそうとしていた濱辺監督の前にチームメイトを鼓舞したのは横山選手だった。
「このままじゃダメだ」
プレーの強度で通用している部分が多く、横山選手は「このままいけばチャンスはある」と感じていた中でも敢えて仲間たちを奮い立たせた。
この様子を見た濱辺監督は「これはいけるかもしれないという感覚がありました」と回顧する。結果、横山選手自身のハットトリックもあり4-1で勝利。これまで幾度となく苦杯をなめてきた相手からついに勝ち星をあげた。
勢いそのままに決勝でも富山東を2-0で下し、初の選手権の切符をつかんだ。「目標だった富山第一に勝利し、キャプテンとしての重圧や責任感から解放された感覚がありました。決勝もいい緊張感で臨むことができ、本当に嬉しかったです」と横山選手は県予選を振り返る。
濱辺監督に指名されて、サッカー人生で初めて務めたキャプテン。「自分のことばかり考えていた」下級生時代から「まずはチームの雰囲気やチームのために何ができるかを考えられるようになりました」と精神面で大きく成長を遂げた。
強いキャプテンシーで有言実行を果たし、龍谷富山の歴史を変える立役者になった。
地元Jクラブとの連携を追い風に
選手権では一戦必勝で挑む
こうした好成績の裏には、地元のJクラブとの連携の追い風もあった。濱辺監督の大学の先輩である野田浩之普及育成部長との縁で、2022年にカターレ富山と包括連携協定を締結した。
カターレが使用する人工芝のグラウンドで練習ができ、ホームゲーム時にはボールパーソン として試合の運営をサポート。また選手やコーチングスタッフからのアドバイスも受けられるなど、環境も整えられた。
カターレは来季のJ2 復帰を決め、県内の熱も高まっている。「選手権も期待しているサッカーファンは多くいるはず。いい流れを作りたいです」と濱辺監督は意気込む。
横山選手も「本当にたくさんの方々に支えてきてもらいました。その感謝の思いを結果で恩返ししたい」と話す。
大会に向けた明確な目標は定めていないものの、「目の前の試合を大事にしていきたい」(横山選手)と、これまでのチーム同様、一歩ずつ歩みを進め、新たな歴史を刻む。
初戦は12月29日、沖縄県代表の那覇西と対戦だ。