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32年ぶり“ジャイアントキリング”起こした東北大OBの今 大学野球の「成功体験」を人生に生かす

 アマチュア野球ファンにとって、選手の「進路」は気になる情報の一つだ。強豪高校から大学野球や社会人野球など、強豪大学から社会人野球などに進むいわゆる“継続組”の進路は追いやすいが、野球を引退した選手の「その後」を知る機会はそう多くない。

 今回、東北大硬式野球部OBの畑古悠人さん、小池侑生さん、瀬戸崚生さんが取材に応じてくれた。三人は2年前の春、東北大が仙台六大学野球リーグ戦で32年ぶりに東北福祉大に勝利した代の4年生。大学野球を通して得たものはなにか、それが今にどう生きているのか――。大学卒業から1年が経ち、2年目を迎えたばかりの三人に話を聞いた。

元主将が身につけた「考える」習慣

 4年時に主将を務めた畑古さんは、現在は旭化成(東京都千代田区)でハウスメーカーや工務店への断熱材の営業に従事している。

 就職活動の際、軸にしていたのは「人の『できない』を『できる』に変える仕事をしたい」との思い。大学では主将として、チームの「勝てない」を「勝てる」に変えるべく試行錯誤の日々を送った。その日々にやりがいを感じ、仕事にもつなげられると考えたのだ。

練習からチームを引っ張った畑古さん(手前)

 畑古さんは「自分としても組織としても目標があって、そのために『今何が足りないか』とか『どうしたらいいか』を考える習慣がついたのは大きい。仕事をしている今も目標を達成するための方法を論理立てて考えようとする習慣があるのは、大学野球の経験から身につけたスキルがあるからではないかと思います」と話す。

 主将という役目を背負っていたこともあり、大学時代は自分の目標よりもチームの目標を優先していた。東北大は練習の日程やメニューを選手が決めるほど主体性の高いチーム。だからこそ主将が常に全体を見渡し、全員の士気が上がるような、時には尻をたたくような言葉をかけ続けた。やり方を模索する中で「たくさん失敗もした」。そのたびに反省を繰り返し、実際に「勝てない」を「勝てる」に変えてみせた。

 「今も自分のことより、会社や住宅業界全体のことを考えて仕事をしています。自分で売り上げを伸ばすことも大事なんですけど、それよりも『うちの会社として何ができるか』『どうしたら住宅業界に貢献できるか』などを考えているのは、キャプテンをやっていた影響かもしれません」。野球人生には一区切りをつけたが、組織のために考え、汗を流す姿勢は変わっていない。

「苦労」重ねた4年間が将来の糧に

 東北福祉大に土をつけた試合で9回1失点完投勝利を挙げるなど先発の柱を担った小池さんは、NTT東日本(東京都新宿区)に就職。元々地方創生に関心があり、全国各地に支店を置いて地方にサービスを行き届かせている同社を選んだ。現在はNTT東日本の取り組みなどを紹介するショールームの企画、運営に取り組んでいる。

 現役当時は最速143キロを誇り、強豪相手に好投する機会もあったため、社会人野球に進もうと検討する時期もあった。しかし、トヨタ自動車硬式野球部の練習に体験参加した際に「実力不足」を痛感し、継続は断念。大学卒業と同時にユニホームを脱ぐ決断を下した。

速球を武器に活躍した小池さん

 ただ、大学野球の経験は間違いなく今に生きている。小池は「大学ではしんどい思いをした時期が長くて、最後に福祉大に勝つというほとんどの人が無理だと思っていたことを達成できた。今は仕事で『自分の能力が低い』と不安になる時もあるんですけど、大学で苦労と成功体験をしたからこそ、『目の前のことをがむしゃらにやればいつかは自信を持てるようになる』と粘り強く生きられるようになりました」と胸を張る。

 特に「しんどさ」を感じたのは3年秋のリーグ戦。仙台大戦で救援登板し、リードを守り切れず負け投手に。その一戦でやる気と自信を失い、翌週の東北福祉大戦は鈴木得央監督に「ベンチに入りたくない」と直談判した。「自分のせいで負けた。チームに居場所はない」。周りの目を気にする性格も相まって、極限状態に陥った。

 それでも、その後のオフ期間は目の色を変えて練習に励み、大学ラストイヤーで快挙を成し遂げた。小池さんは「福祉大に勝った日のことが特別記憶に残っているわけではない。1、2、3年生の頃の苦労と同等の、4年間の1パーツとして思い出に残っています」と語る。そしてその4年間を、社会人として生きる上での活力にしている。

「思い切り」野球やるため学業と両立

 小池さんと二枚看板を張った瀬戸さんは、東北大大学院に進みロボット関連の研究を行っている。今でも時折、東北大硬式野球部出身の大学院生が所属する草野球チームで野球を楽しんでいるという。

 神奈川の強豪・桐光学園出身で、高校時代は1学年上に中川颯投手(現・横浜DeNAベイスターズ)、同学年には渡部遼人外野手(現・オリックスバファローズ)がいた。「将来野球で飯を食っていくであろう人たちを見て、自分はまったくそのレベルではなかったので、大学で野球を楽しんで終わろうと思いました」。その言葉通り、大学では試合に出られる喜びを噛みしめながらプレーした。

 大学院に進む場合、4年の夏頃に大学院入試を受験する必要があるが、成績上位者は受験を免除される。瀬戸さんは「最後に思い切り野球をやる」ことを目標に下級生の頃から勉強にも精を出し、見事免除を勝ち取った。4年時は投手リーダーを務め、単に野球を楽しむだけでなく、上に立つ自覚を持って投手陣を牽引した。

大学では鉄腕ぶりを発揮した瀬戸さん

 小池さんが3年秋の仙台大戦を機に自らベンチを外れた際は、小池さんの言動が「周りに良い影響を及ばさない」と考えて本人に直接注意した。「相棒」だった二人の関係は、約3か月間、互いに口を利かなくなるほど悪化。そうなると分かっていても注意したのは、新チームから投手リーダーを務める自覚があったからだ。

 結果的に思いは伝わり、二人の関係は自然と修復。最後の1年は二枚看板がフル回転してチームを支えた。今では「何度も嫌になった野球を続けられたのは瀬戸のおかげ。瀬戸なしでは4年間やれなかった」(小池さん)、「自分が負けても小池が勝ってくれて、また投げる機会をもらえた。小池に助けられた」(瀬戸さん)と感謝し合っている。野球にも勉強にも、本気で向き合った4年間だった。

限られた時間の中で味わう「達成感」

 国立大で野球を続けるか悩む高校生も少なくないはず。三人に国立大や東北大で野球をすることの良さを聞いてみた。

 「練習環境や時間の面で不利というか、勝てない理由付けになる部分はあるけど、だからこそ、その条件で勝てば評価される。実際に福祉大に勝った時は注目されましたし、環境が整っていなくても勝てるというところを見せてこそ味わえる達成感がありました」と畑古さん。小池さんも「限られた時間の中で技術を上げて結果を残す経験はその先の人生でも生きる。強豪校と嫌でも対戦できて、たった1回でも勝ったらヒーローになれる環境があるのはありがたい」と話す。

卒業式で集合写真に収まる同期メンバー(畑古さん提供)

 また瀬戸さんも「仙台六大学というレベルの高いリーグで強いチームと戦わせてもらえる環境は恵まれている。高校と違っていろんな背景を持った人と出会えたのも面白かったです」と口にした。

 東北大の現チームは今春、5位に終わったものの、優勝した仙台大に善戦したり、植木祐樹外野手(4年=長野吉田)が首位打者に輝いたりと存在感を示した。価値ある「1勝」を追い求め努力を重ねる日々は、秋に、そしてその先の未来につながっていく。

(取材・文・写真 川浪康太郎/一部写真提供 畑古悠人さん)

読売新聞記者を経て2022年春からフリーに転身。東北のアマチュア野球を中心に取材している。福岡出身仙台在住。

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