ベンドラメ礼生 サンロッカーズ渋谷一筋6年間のこれまでと培われた”結”のバスケ「チームのバスケを全員が理解をし、表現できる状態が常にある」
10月に開幕したBリーグ2022−23シーズン。
B1中地区に所属するサンロッカーズ渋谷(以下、SR渋谷)は5勝4敗で川崎ブレイブサンダースと同率2位ながら得失点差で3位(11月8日現在)というスタートを切った。
今シーズンはBリーグ初制覇のタイトル獲得を目指している。
SR渋谷の中核を担うのは、主将でPGのベンドラメ礼生(れお)。2016年に前身の日立サンロッカーズ東京に入団してからチーム一筋7年目、主将を4シーズン連続で務めている。
また、11日から始まる「FIBAバスケットボールワールドカップ2023 アジア地区予選」Window5の日本代表にも選出されている。
今回は開幕直前に、ベンドラメ選手へここまでのプロバスケットボール生活を振り返るとともに、今シーズンに向けての抱負などを伺った。
(取材協力 / 写真提供:サンロッカーズ渋谷、取材 / 文:白石怜平 )
「一番最初に声をかけてくれた」当時の日立サンロッカーズ渋谷に入団
福岡県出身のベンドラメ選手は、ブラジル人の父と日本人の母との間に生まれた。その類稀な身体能力を活かし、宮崎・延岡学園高校では1年生の頃から活躍。
卒業後は東海大学へ進学し、1年生よりインカレ出場を果たすと4年連続で決勝戦へと進出。3年生の時には優秀選手にも選出された。
SR渋谷入団の経緯について語った。
「僕は卒業後、まずプロに行きたい気持ちがありました。そんな中で1番最初に声をかけてくれたのがサンロッカーズでした。僕の中では迷うことなく決めましたね」
大学卒業間際の16年1月にアーリーエントリー選手として、当時NBL所属だった日立サンロッカーズ東京に入団。そこで17試合に出場した。
2016年 Bリーグ発足、初代新人王に輝く
16年9月、Bリーグとして生まれ変わりチームも新たなスタートを切った。ベンドラメ選手も開幕戦から出場するなど、早くもチームの戦力としてコートに立ち続けた。
ルーキーイヤーは49試合(うちスターターは27試合)、チャンピオンシップにも2試合ともスターターで出場するなど活躍し、Bリーグの初代新人王に輝いた。
「1年目を新リーグとして迎えることができたのですが、その年の新人王を獲得できたのはタイミングがいいしツイているなと思いましたね。
今後も振り返られる時に初代というのは必ず名前が出るわけですから。1シーズンやれる自信もありましたし、やってきて通用するところとしないところがたくさん見つかったので良いシーズンだったと思います」
2年目以降も通用するために1年目に感じた課題とは何だったのか。自身を分析しながら語った。
「まずPGとして外国人選手もコントロールしなければいけない。自分の持ち味は積極的なドライブだったり得点に絡むところなのですが、アーリーエントリーで1年目も試合には出ましたけれども、プレータイムはほとんどなかった。
Bリーグ1年目も限られたプレータイムの中で、うまくボールを回す必要があったので、そこに難しさを感じましたね」
「一人一人がリーダーとしてチームを引っ張ってほしい」
2年目以降はさらに出場試合数を増やした。3年目の2018−19シーズンには初の全試合かつスターターでの出場と、チームの軸を担う選手へと成長していった。20年には天皇杯を優勝に導き、チームにタイトルをもたらした。
「プレータイムが増えたので自分の中でも”やらなけれいけない”という気持ちが増していきました。自分のシュートで試合が決まったり、負けにも勝ちにもさせるという大事な場面でボールを持つ回数が増えてきたので、そういった中で責任感とかそういった部分が強くなっていったと思います」
以降現在まで全試合出場を続け、チームの主力として活躍。19年からはチームの主将に任命された。
今季も務め4シーズン目となるが、ベンドラメ選手は自身は「みんなプロですから、リーダーがたくさん出てくるようなチームにしたいなと思っています」と語る。
それは、”全員がリーダー”として、各々が自覚を持って取り組むという考えであった。それにはこんな意図があった。
「プロ選手は自分の1つのプレーで来年の職が決まるシビアな世界でやっていてます。僕も生活をかけて日々の練習では常に”昨日よりも今日成長できるように”と今日の練習に取り組む気持ちを持って臨んでいます」
東京五輪に選出されるも「不完全燃焼でした」
また、SR渋谷での活躍にとどまらず、日本を代表する選手へと駆け上がっていった。
18年には「第18回アジア競技大会」 男子日本代表、19年2月には「FIBAバスケットボールワールドカップ2019 アジア地区2次予選 (Window6)」 とそれぞれ選出。
そして、昨年には東京五輪で日の丸を背負ってプレー。トップレベルの選手たちによる激しい代表争いを勝ち抜いての選出だった。
「日本代表は五輪に限らず常に目標に置いてプレーしています。ここでもすごいプレッシャーのある中で練習していましたし、明日誰が落選するか分からない状態でやっていたので、選ばれた時はほんと嬉しかったです」
母国で開催された五輪、SR渋谷で培ったバスケを武器にアピールをした。
「僕はいつも通りのバスケットをするように心がけました。サンロッカーズでは、ディフェンスにプライドを持ってやっていたので、代表に入ってもそこは人一倍頑張りましたし、力は発揮できたのではないかと思います」
ただ、ここでは高い壁を感じた。出場選手は八村塁や渡邊雄太、馬場雄大といった海外組もメンバーに名を連ねており、国内トップ選手だけでなく世界で戦う選手で構成されていた。
結果、大会での出場は2試合。プレータイムも2分弱に終わった。
「不完全燃焼でしたね、正直コートに立ったことも覚えていないです」
ベンチで出番を待ちながらも、各国を代表する選手のプレーを間近で見ることができた。これも大きな収穫かつ、シーズンに向けて切り替えられる要因にもなったという。
「コートレベルで世界トップレベルの選手のプレーを見ることができたのは、今後の成長に繋がると僕の中で落とし込めているので、良い経験だったと思います」
不完全燃焼の想いを晴らすべく、そしてSR渋谷を優勝に導くべく迎えた昨シーズン。激闘から休む間もなく迎えた。
チームとしても序盤首位争いし、最後までチャンピオンシップ(CS)出場を争った。しかし、ベンドラメ選手や伊佐HCが揃って口にした、大黒柱のライアン・ケリーが椎間板ヘルニアによる離脱などが影響し、惜しくもCSには届かなかった。
伊佐勉ヘッドコーチが創り上げる”結”のバスケ
そして今シーズン、7年目のシーズンを迎えた。ここまでSR渋谷一筋6年、新リーグの発足や天皇杯優勝、そして今シーズンから運営母体がセガサミーホールディングスに変わるなど、さまざまな変化を経験してきた。
ここまでの6年、サンロッカーズのバスケはどのように醸成されてきたのか、フランチャイズプレイヤーだからこそ分かる視点で尋ねてみた。
「ムーさん(伊佐HC)になって、サンロッカーズのバスケはディフェンスが特徴となりました。ディフェンスはチーム全員で行うものなので、ローテーションやチームワークで失点を抑える。
この約4年間”結(YUI)”というチームスローガンを継続していて、選手やスタッフ、そしてファンのみなさま含めたチーム全体で感じられる文化ができていると思っています」
Bリーグの選手は毎年入れ替わりが激しく、翌年も同じメンバー・チームでプレーできる保証が全くない世界。ルーキーの選手、そして移籍してきた選手もサンロッカーズのバスケをすぐに理解できる環境がここまでつくられてきた。
「ムーさんが就任して4年目になって、選手たちも同様に4年目を迎えるメンバーが増えてきました。チーム作りの段階から、方針=ディフェンスから守って走るというのを明確に示してくれています。
そのムーさんがやりたいバスケットボールを全員がしっかり理解をし、表現できる状態が常にあるので、そういった環境であることがサンロッカーズの強みですね」
「ディフェンスのチーム」としてのバスケを展開
10月、新シーズンが開幕した。今季のバスケもSR渋谷だからこそできるバスケを披露したいと考えている。
「ディフェンスのチームですので、失点を少なくする試合展開で進めたいです。ディフェンスを激しく行けばスティールや攻撃回数も増えますが、その分相手の攻撃も多くなるリスクもあります。そこをうまく抑えていきたいですね」
ホームアリーナである青山記念会館も観客と選手の距離が近く、臨場感溢れるとともに、チームカラーのイエローで染まったファンが選手の力となっている。
「アリーナも選手にすごく近い距離でバスケットを見ることができるので、ファンの皆さんの熱量もすごく伝わるものがあります。一つ一つのプレーですごく盛り上がりますし、試合終盤で接戦になった時は思わず声が出てくるようなプレーがあったり、アリーナが揺れるような感じがあってとても力になっています」
インタビューの最後、改めて今シーズンの目標を語ってもらった。
「Bリーグ優勝もしたいですし、ベストファイブ・そしてMVPを獲りたい想いが僕の中であります。毎年目標をMVPに設定しているので、ベストファイブに入りたいです」
SR渋谷は8日現在、中地区3位と上位を争っている。激闘のフィナーレとしてSR渋谷が頂点に立った時、トロフィーを掲げるベンドラメ選手の姿をファンは楽しみに待っている。
(おわり)