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『ここで成功したいという意欲がより強くなった』 想像を絶する困難に立ち向かった日々 /サイバーダイン茨城ロボッツ社長 山谷拓志の歩んだ道筋 第5回

「茨城の誇りになりたい――」
 
2016年9月に開幕した新プロバスケットボールリーグ「Bリーグ」のサイバーダイン茨城ロボッツ代表取締役社長を務める、山谷拓志氏はそう口にする。

(c) Ibaraki Robots Sports Entertainment

 
2015-16シーズンはNBL(旧トップリーグ)で順位でも観客動員数でも最下位。2014年には前運営会社の経営悪化によりチーム存続が危ぶまれる事態に陥ったこともある。だが、サイバーダイン茨城ロボッツが目指しているのは、2020-21シーズンまでにBリーグのチャンピオンになることだ。現状を見れば、決して容易ではない、それどころか不可能な目標のようにも思える。だが、最初から諦めるようなことはしたくないと山谷氏は言う。その高みに向かって妥協することなく挑戦する姿、そして強い姿を県民の人々に見てもらいたい、と。
 
茨城の出身ではない山谷氏が、なぜそこまでの情熱をサイバーダイン茨城ロボッツに注いでいるのか。「人生、山あり谷あり、志をきり拓く。名前の通りですね」と笑う山谷氏の半生を振り返りつつ、山谷氏がサイバーダイン茨城ロボッツに懸ける思いをひも解いていきたい。
 
(これまでの話)
第1回『茨城の誇りになりたい!』 “のびしろ日本一”の地で見据える大きな夢
第2回『バスケ界がうらやましく見えた』 訪れた転機に挑戦を決意したわけ
第3回 創設3年目にして奇跡の日本一! その成功の要因とはいったい何だったのか
第4回『日本バスケ界にとってリーグ統合は絶対的な命題だった』 リーグの統合に懸けた想いとは?
 

■ロボッツへと向かわせた山谷氏の“オフェンスライン”の矜持

NBL(旧トップリーグ)のCOO(最高執行責任者)に就任した山谷氏は、2016年の統合プロリーグの創設というミッションのために邁進していた。時には批判や反発を招きながらも、ブリッジリーグとしてNBLの商品価値を高めていくこと。決して平坦ではなかったが、その道筋は少しずつ見えていた。
 
だが、思いがけない事態が起こる。
 
2014年、NBLの2シーズン目を迎え、NBL所属のつくばロボッツ(当時のチーム名)が資金繰りの悪化によって、存続が危ぶまれる事態に陥ったのだ。
 
経営状態が悪化していることについてはリーグでも夏ごろから把握しており、当時の運営法人やロボッツのメインスポンサーであるサイバーダイン社を交えて、再建に向けた話し合いを続けていた。だが最終的には、旧運営法人で再生していくことは難しいという判断の下、新運営法人へと運営体制を引き継がせることが決まった。
 
山谷氏はNBLを退任し、11月に設立された新運営法人、株式会社つくばスポーツエンターテインメント(当時の社名)の代表取締役社長に就任。つくばロボッツの経営に携わることになった。
 
「NBLでの仕事は道半ばでした。2016年の統合プロリーグ創設まであと2年というところで、やるべき仕事は本当に山ほどありましたから。ただ、目の前に苦しんでいるチームがあり、助けを求めている人たちがいる。どんなことがあってもチームを消滅させるわけにはいけないと思っていた。そこで、『やってくれないか?』と言われて、断るわけにはいかなかったですね」
 
サイバーダインCEOの山海嘉之氏と山谷氏は、誕生日が同じだということをきっかけに親交を深めていた。その山海氏から、「山谷さんがロボッツの社長になるのであれば、支援を続けるよ」と言われたのだった。
 
振り返れば、山谷氏はいつだって周りの人たちからの依頼や要請に応えるようにして人生を歩んできた。シーガルズのアシスタントGM、リンクアンドモチベーションのスポーツ事業部長、リンク栃木ブレックスの社長就任、NBLでの統合プロリーグ創設というミッション…、全て周囲からの期待や求める声に呼応する形で就任してきた。今度はそれが、ロボッツだったというだけなのだろう。
 
「家族からはいつも、勝手に決めるなと怒られていますよ(笑)。ただ、きれい事かもしれませんが、裏方だとか、縁の下の力持ちだとか、そういった仕事が全然苦ではありません」
 
山谷氏はアメフトの現役時代、オフェンスラインというポジションを務めていた。ボールを扱うポジションではないため、タッチダウンのような華やかなプレーとは無縁だ。綿密な作戦の下、自らの体を犠牲にして味方選手のオフェンスを支えるといった、見た目には地味に映るかもしれないポジションだ。しかし、オフェンスラインは非常に重要なポジションといわれており、アメフトという競技における醍醐味ともいえるポジションでもある。山谷氏はこのポジションに対する矜持を持っているからこそ、現役を引退してから今に至るまでも、“オフェンスライン”のような生き様を見せているのかもしれない。
 
「ちょうどそのころ、川淵三郎さんが日本バスケ界の改革や統合プロリーグ創設に関わってこられるという話が出てきていたこともあり、あれだけ実績のある方に来ていただけるのであれば、きっと大丈夫だろうと。そういった状況もあり、自分はロボッツの立て直しを引き受けることにしたのです。
 
ただ、中には『山谷は火中の栗を拾いに行った』と言う方もいましたが、自分自身では全くそうは思っていませんでした。茨城県は人口も多く、高校でも大学でもバスケが盛んですし、積極的な支援を表明してくださるサイバーダインの存在もあった。ロボッツというチームに将来的な可能性を感じたからこそ、ここにやって来たのです。それは今も全く変わっていません」
 

■奮闘の日々が始まる

 
こうしてロボッツの経営を引き継いだ山谷氏だったが、ここからの困難は想像を絶するものだった。
 
まず直面したのが選手契約に関すること。旧法人がチームを運営していた2014年9月ごろから、すでに選手の給与未払いが発生していた。新運営法人に変わったといはいえ、もともと経営状況が悪かったところからのスタートであり、急激な収入増加が見込めるわけではない。チームを存続させるためには、どうしても所属選手との契約を見直さざるを得なかった。自身も元選手だっただけに選手たちのつらい気持ちはよく分かる。契約内容に合意できず退団するという判断は、選手として当然考えるべき選択肢の一つだ。結果的には、大半の所属選手が退団することになってしまった。
 
「NBLでは試合実施の成立条件として、ベンチ登録選手を最低10名以上そろえるというルールがありました。新法人がリーグ参入権を引き継ぐ直前の試合が終わったところで5人以外の選手がチームを去ることになってしまったので、翌週末に試合があることを考えれば、実質3日程度で新たな選手5名との契約をまとめる必要がありました。何人かの契約下にない選手に連絡を取って条件を提示しました。とにかく時間が無かったため、やるかやらないか結論を求めていき、木曜の夜にはどうにかめどを付けることができて、試合前日の金曜に全員と契約書を交わすことができました。選手同士は土曜の試合前のロッカールームで初めて顔を合わせ、そのまま試合をすることになりました。普通ではありえないことでしたが、とにかくチームを存続させることに必死でしたね」
 
その後も苦境は続く。本来ならば、営業に回って収入をあげなければならない。だが旧法人からは情報などほとんど何も引き継がれなかった。そのため、試合運営一つを取ってみても、チケッティングから会場設営、当日の試合運営など、一つひとつをゼロから構築していく必要があった。こうしたことが試合運営に限らず、経営における全ての要素において同様だった。
 
リンク栃木ブレックス時代にも、ゼロからプロスポーツチームを立ち上げた経験はあったが、あの時はシーズンインまでに10カ月ほどの猶予があった。だが今回はシーズン中に新運営法人・新チームを立ち上げ、毎週次から次へと試合が行われる状況の中で再建を進め、チームや経営を回していくための体制や運用づくりを同時に行い、さらには山谷氏自身が借金をして出資した6000万円の資本金の中で選手やスタッフの給与などのやり繰りをしなければならなかった。
 
「もう一度やりたいかと言われれば、やりたくはないですね(笑)。ファンの皆さんから目の前で『ふざけるな!』と怒られたことや、選手が大きく入れ替わってしまったことに涙されたこともありました。経営的にはどうにか生き延びていくための毎日を過ごしていましたが、こうした厳しい経験を通じて胆力がついたと思いますし、ここで成功したいという意欲がより強くなったことも事実です。これからどんな大変なことが起きたとしても、全く動じることはないでしょうね」
 
こうして、2014-15シーズンをどうにか乗り切り、NBLとしてはラストとなる2015-16シーズンを迎えた。翌2016-17シーズンからは統合プロリーグであるBリーグがスタートすることとなっていたが、ここで山谷氏はまたしても新たな困難に直面することになった。
 
(第6回へと続く)

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スポチュニティコラム編集部より:
サイバーダイン茨城ロボッツは現在、応援してくださる皆様からの支援を募集しています。
支援募集ページはこちら:
『茨城が誇れるチームに!バスケ日本一を目指すサイバーダイン茨城ロボッツを支援してください』
https://www.spportunity.com/ibaraki/team/151/detail/
1,000円から始められる支援、共感頂けた方はぜひ支援も宜しくお願いいたします。
 

野口学
約10年にわたり経営コンサルティング業界に従事した後、スポーツの世界へ。月刊『サッカーマガジンZONE』編集者を経て、現在は主にスポーツビジネスについて取材・執筆を続ける。「スポーツの持つチカラでより多くの人がより幸せになれる世の中に」を理念として、スポーツの“価値”を高めるため、ライター/編集者の枠にとらわれずに活動中。書籍『プロスポーツビジネス 私たちの成功事例』(東邦出版)構成(http://amzn.asia/j0dFA8O)。Webメディア『VICTORY』編集者(https://victorysportsnews.com/)。


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